第三話
1.if望まれた所以
「誰かに望まれて落されたんだよ」


と言われて。
ああそうなのか、と腑に落ちている自分がいた。
──は死んだ。慣れ親しんだ日常にはもう戻れない。
私は違う何かになってしまったと漠然と感じ、切り離されてしまったとも思っていた。
違う場所に落とされた。それもまた腑に落ちる言葉だ。
だからか、思っていたよりも冷静な声が喉から滑り出た。


「…だれに?」

そうだったとして。元いた場所、生から隔絶されたのだとして。
誰が、どうしてそんな事をしたのだろう。

「あなたが呼んだの…かもしれない、なんですよね。自分で泥をかぶるような言い回しをしますけど…ほんとはあんまり確信はなかったりします…?」

言うと、彼は少し眉を下げて、罰が悪そうにした。

「…えーと…ほんとに僕にだったりする…かもしれないよ?…そうは言ってもなぁ…召喚するにしても術使うにしても、普通手順踏むもんだから、なにかは要ったんだろうけど」
「…じゅ、じゅつ?誰かが"望んだ"からじゃないんですか?」

もっと漠然と…ぼんやりとした理由でこの状況は作られたのかと思っていたのに。
随分と労力がかかるのだと聞いて、驚いた。
問うと、彼はおかしそうに手を振って否定する。


「望まれたから、とは確かに言ったけどね。そんなただの執念みたいなものじゃ、普通手繰り寄せられないよ。それで寄せられたら…もうそれ怨念級だよねえ」

ただの人間がやったのであれば、不発だったかもしれなかった。
けれど。もし正しい手順を無意識に踏んだなら、発動してもおかしくない素養を彼は持ってる。
そんな芸当を成せる存在はそうそういないらしい。

彼は神様だから、元から声が大きい人みたいなもので、ちょと張り上げただけで凄い遠くまで響く。
その彼が、今回たまった鬱憤とやらのせいで、とんでもなく大きく喚いてしまった…ということだった。

望まれ落された…のかもしれない。その犯人は彼…なのかもしれない。
結局何か分かったようで、何もわかっていない、あやふやな状態のままだ。

陽が暮れてきたその頃合いで、彼に促されるままにその場から移動を始めた。
電灯もない自然の中では、ただの夕暮れ時の薄暗闇さえ恐ろしいものだった。


***




──さて、じゃあ、僕はどうしようか。

一通り話をした後も、あの子は理解が及びきっていない様子だった。
あの子に問われ、答え、また問われ。
その繰り返しをしているうちに、夜が明けてしまった。

小さな子と夜明かしするには適さない、ただの岩ばかりが転がる荒地だった。
焚いた火を囲んで僕らは語り合った。二人して起きているから、火の番などいらない。

結局空が白んできた頃にあの子がうたた寝を初めて、僕も少しだけ眠った。
ほんの少し眠っただけでも、昨晩は酒を呑まなかったおかげか、随分と目覚めがいい。
久し振りに覚醒した頭で朝の訪れを目撃できた。
猫のように丸まって眠っている迷子のあの子を横目に見やる。
仮眠直後でも脳はよく働いてくれて、昨日のことは鮮明に思い出された。

「…うーん」


朝日が差し込んできて、うっとおしそうに眉を寄せ始めたあの子をみて、目覚めはもう近いなと悟る。
──これからこの子をどうしようか。どうしてあげたらいいいかな。
だって帰る場所がないなら、どこに送ることも出来ない。
まだ小さいけど、一応この子も僕の好きな"女の子"だ。また財布をあげたっていいんだけど。それで生きていけるのかな、この子は。
未来がどうこうという話の真偽はともかくとしてだ。明らかに世慣れしていない。
生きるのに不慣れであるだろうことは見て取れた。
小さい身体では、人里まで行くことすら困難だろう。
人里に辿りついたとして、この子って何ができるのかな?
お金をあげても、それを元手に生活基盤を整えられなければ、また路頭に迷うだけ。
これからどうやって生きていくか模索するにあたって、どんな選択肢があるのか、この子は知っていなければならない。
この子はたぶん…きっと今いる場所どころか、"今"の常識すら知らないんだろう。

「…当たり前ねえ」

丸い背中を眺めながらぽつりと呟く。
時代ごとに"当たり前"というやつは変化してくる。
「返すのが当たり前」というのが、ただの彼女個人の信条だというなら話は違ってくる。善意には善意で返すという精神を持つものは、どの時代にもいる。
けれど、それが世の理だとでも言わんばかりの言い様に引っかかりを覚えた。
多くの場合がそうあるべきである。
あの時の彼女の顔にはそう書いてあった。
それは理想論というやつで、残念ながら大多数は生活の余裕というやつがない。
元から返せる物を持つ者、作り出そうと出来る者は少数だ。

そういう風にだ。当たり前の常識が違っていると、さぞかし生きにくいだろうという懸念もあった。
立派な信条を根本に抱いたあの子は、このご時世を生き抜けるだろうか。
何も出来ないとは言わない。でも、それはとても大変なことだろうと思う。


「でもなあ」


この自問自答に答えを出すのはなるべく早くがいい。出来ればこの子が目が覚めるまでにがいいな。

──多分ここで僕が見捨てたら、きっとこの子はもう心から誰かを信じないし、頼らないだろう。
この子が純粋な子供なだとしたら、きっとそうだ。
中身と外見がちぐはぐらしいこの子は、もしかしたら聞き分けよく出来るかもしれない。仕方ないことだと納得してくれるかもしれない。
それでも傷つくし、心細いしだろう。この世に頼るものはないのかと希望を抱けなくなるかもしれない。
今度こそ本当に持ち物は何もなく、0のまま生きることを始めるのだ。

僕が最低限の援助をしたって、今度は持ち物が財布一つに変わるだけ。
この世に蔓延る知識というやつを持っていないというのは、僕からしたら驚きの状況だ。
僕だって積み重ねた経験と、脳みそにある膨大な知識便りに過ごしているのだ。
それがなかったらと思うと、どうやって振る舞ったらいいかわからない。

突然身勝手に落され、見捨てられ、恵まれたものは何もなく…なんて。状況は最悪、なんんてかわいそうなんだろう。
なのに。

僕は理解者として、理解ある言葉を投げてしまったのだ。
それなのに「これ以上はムリ」と言って踵を返したらどうなるんだろう。
僕以上の理解者になんて、早々巡り合えないだろうとこの子も分かっているだろうし。
今回僕に見切りをつけられてしまったら、多分これ以上の事はない。
自惚れではなく、現時点でこの子を最大限理解して、施せる者なんて、僕くらいだろう。
ほかの神に偶然、奇跡的に、運よく出会たなら話は違ってくるだろう。
そうは言っても神の個性もそれぞれなのだ。どんな対応を取られるかは、それもまた運次第だ。
僕がきっと一番だ。けれどそれは、僕がこの子を"見捨てない"と決めた場合の話だった。


「…」


見捨てないということは、僕がこの子の人生に責任を持つと言うこと。
こんなうじうじと葛藤している僕は、つまるところ責任を負いたくないのだ。
…そう言うクズっぽいけど。実際中途半端に情けをかけることの方が、スッパリ切り捨てるより残酷なんじゃないかな。

100年だったら面倒見よう。だって僕は神獣で、はてしない年月を既に生きてきた。
多く見積もっても、人間の生きる限界ギリギリの100年なんてあっと言う間の話。
まあ苦痛だけど。相当精神的に負荷かかるんだけど。我慢すれば100年女の子断ちだって出来る。この子のことを責任もって見届けることが出来る。

けれどこの子は、恐らく既にただの人間ではない。
寿命があるかもまだ分からない。限度のない人生を最後まで面倒見るなんて軽い約束はできない。
そりゃあこの子だっていつまでも子供の身体のままではないだろうから、一人前になった弟子が師の元から巣立って行くように、いつかは自立する日がくるだろう。

それはいつ?現世の人間と違って、こちらの住人の成長速度に平均値はない。僕が長い間この目でみてきた限りはそうだった。
この子は生い立ちや状況も体質も特殊だ。短い付き合いじゃ、本来の性格まではわからないけど…
恐らく今この瞬間は恐怖で硬直しているし、悲観しているし、死と向き合って絶望している。
このまま自分の中で折り合いがつけられなければどうなるんだろう、と考える。
見知らぬ地で彷徨うこの子は、何を原動力に足掻けるだろうか。
生きる気力ってわくのかな。反骨精神でもあればいいんだけど。いや生きる気力ってのもおかしいか。
もう人ではなくなっていて、よくわからない何かになっているから。
今の所僕の言葉と行動と、誠意がこの子を歩ませるしかない。


「あーうーん」


乗りかかった船だとはよく言う言葉だけど、その船ちょっと特殊すぎないかなあ。


2019.10.27