第二話
1.if─境遇神様暴露
都会のように、少し歩けばコンビニに出くわすような立地ではない。
少し歩いただけでは民家にも辿りつけない、とても辺鄙な場所に私達はいるらしい。
「もっと落ち着ける所があったら良かったんだけど。ごめんねー」
ひらひらと手を振りながら、彼は岩場に腰かけた。
彼には丁度いい高さでも、私にはそうでない。よじ上るしかないかなぁと困っていると、
彼は私の脇に手を差し入れ、ひょいと座らせてくれた。
まるで人形にでもするような軽々とした動作だ。びっくりして心臓が嫌な音を立てている。
自分が子供の身体をしているという事は、こんなにも心もとない物なのか。
落ち着かなくて、無意味につま先を擦り合わせる。古びた草履だけを履いた、足袋も纏わない素足だった。
「いえ、私、お金もないですし…」
「それくらい僕が出すって」
「そんなの悪いです。返す宛もないし」
ふるふると首を振った。
落ち着ける場所、というのは、きっとお店屋さんの事だろう。
それがどれだけ良心的な値段をしていたとして、私は一銭も持っていないのだ。払えない。
無一文の子供の私には、稼ぐ当てもない。
そもそもだ。人の手が加わった人工物を一度も見ていないのだ。ここに紙幣の流通する人里があるのかどうかも怪しいとすら感じてきた。
摩訶不思議な異空間にいるような心地がしていた。
そんな所にたった一人だけ、私を現実と繋ぎ止めるものがある。今、隣にいる彼だ。
「返さなくていいのに。きみ律義だねえ。真面目っていうか」
「借りたら返すっていうのは、常識じゃないでしょうか…」
「常識?」
言うと、きょとんと不思議そうに瞬きしていた。
私も思わず彼に倣うようにしてぱちぱちと瞬きする。何かおかしい事を言っただろうか。
昼の青もとっくに消え失せ、橙色が滲んだ空を眺めながら、二人して首を傾げる。
「きみって、もしかして、いいところの子だったりしたのかな」
「へ…なんでそんな話に…?」
「出してもらったら返す。それって確かに理想的だけど、世の中そんな訳にもいかないからね」
「それは…まあ…ない物は出せないし…」
ない時はないのは当然だ。逆立ちしたって出て来ないものは出て来ない。
それが何だと訝しがっている私に気が付くと、彼は更に苦笑を深めた。
「作ればいいって思ってるんでしょう?でも、そんな余裕なんてない人もいる訳だ。」
「……」
「今日食べるものにも困ってる人は、返すという発想に至れない。…いや、それがいけないことだってきっと分かってるだろうし、罪悪感だってあるだろうけどね?」
「……それって…」
「場合によっちゃ、毟るだけ毟ってどろんだよね」
「そんな…あっさりと言いますか…」
「まあこのご時世仕方ないよねえ。相手が女の子だったら、財布ごとあげちゃいたいくらいだけど。ていうか僕何度かあげたことあるなぁ」
「何度か…ある…?」
びっくりして、叫ぶことも出来なかった。
呆然と彼の言葉を輪唱する。
お金持ち?博愛の人?聖人?最期には服も渡して、身体さえ擦り切らせる君子みたいだった。
肝を抜かした私がぽかんと見上げているのに気が付いたらしい。彼は苦笑して言った。
「いやいや…別な僕が特別できた人って訳じゃなくて。差し出せるから差し出すだけ。」
否定するように手を振りながら話す。口を尖らせて、なんだか子供っぽい仕草をした。
「男相手にはヤだけどね。それこそ僕だって心広い訳じゃないからさ」
「あ…あぁ、そうなんですか…そっか…」
それなら話は違ってくる。ギリギリその気持ちは理解できた。
万人に対してその行動を取っていたというなら、どんな聖人だと驚くけど。
女の子にだけと限定されているなら別だ。
例えばだ。子供相手だと、大抵の人が無条件に甘く見てしまうだろう。
この人にとっての庇護の対象が、女の子であるというだけ。
財布丸ごとというのは、それにしても凄い話だと思うけど。
女の子目当てで旅行する程の人だ。それ程の行動力ある人だしなと、ちょっと納得もした。
「なんていうかねえ。民草には厳しいご時世だよね」
「た、民草…?」
ぼんやりと流れるひつじ雲を目で追っていると、横から飛んできたワードにびっくりしてしまった。
聞きなれない単語だった。
「なんだか…時代錯誤な言い方しますね」
「時代錯誤?」
私が少し怪訝に言い返すと、今度は彼が訝しげな顔をしていた。
何か変なことを言っただろうか。
二人分の影が土の上に伸びている。どんどん色濃くなっていて、そのうち暗闇にかき消されてしまいそうだった。
これからもうすぐ夜が来る。私はそのとき、どうしたらいいんだろう。帰る場所もあてもない。
「…きみってさ、やっぱり変な子だね」
「ええ…」
「うん、話戻すね。きみ、やっぱり死んだか、死にかけてるかしたからここに居ると思うんだけど。心当たりはあるよね?」
「は、はい」
微塵も疑った様子のない、断定的な言い方だった。私も疑う事なく、それが事実だと頷く。
「今の言い方がさ、古いって思ったんでしょう?じゃあさ、きみは普段どんな言い方するの」
「……今の場合だったら…一般人とか…?」
改めて向き直り問い掛けられて、少し居心地が悪くなる。
偉い人じゃない、芸能人でもない、お金持ちでもない、特殊な立場にいない人のことを、私なら大ざっぱに一般人という。
すると、彼はおかしそうに、ふにゃりと笑った。
「別に変ではないけど、あんまり使わないねー」
「そう、でしょうか…?」
私だけが使うような、コアな言葉でもなければ、造語でもないはずだ。
困惑していると、うんと一つ頷いて、再び閃いた!とでも言うように快活に言った。
「きみさ、時代遡ったりしてない?」
「…はい?」
「きみのその着物とかさ、景色みたりさ、僕の言葉聞いたりして。古いって思ったでしょ。ここは自分の故郷とは違う場所だな〜って、パッと見でわかるくらいだったんだ」
「…」
「きみ、さっきからずっと居心地悪そうにしてるよね」
なんて笑ながら言われても、どう返事したらいいか分からなかった。
「そうだとしたら…そりゃ"ここ"の"どこでもない場所"なんて言う訳だ」
うんうんと彼は独りで納得してしまっている。私の理解も納得も追いつかないのに。自己完結が進んでしまっていて、私は置き去りだ。
私は慌てて食らいつく様に問いかけた。
「未来から来たとか…そんなこと、信じるんですか…?」
そもそもだ。死んだとか、死にかけているとか、幽体離脱とか。そんな話をする時点で、既に常軌を逸脱している。
それに加えて、未来だの時代だのと…当然のように語る彼は、冗談を言ってる様子はない。茶化している訳ではないのだ。本気なのだ。
本気でそんな摩訶不思議な事が起こり得ると信じている。
「まあそういうこともあるかなって思って」
「…軽いですね…」
「長い間生きてればさ、色々なこと起こるよ?世界は広いし学ぶことは多いし発見も尽きない」
にこにこと、彼は私に諭すように言う。
遥かな高みからみた物言いをすると想った。
長い間生きているというけれど、まだ幼い面影すら残るような、ただの青年にしか見えないのに。
達観するにはまだ早い年齢ではないだろうか。
「ねえ、どの辺りから来たの?」
「………ずっと、ずーっと遠い先の方から」
ぐるぐると困惑するのは辞めて、開き直る事にした。
全て理解して呑みこんだふりをして、彼の非現実手な話に相槌を打つ。
私は死んだという自覚がある。そんな私は、ここが死後の世界だと言われても受け止められるくらいには自分が柔軟だと信じていた。
けれど、その見込みは甘かったらしい。タイムトリップのような事を示唆されても、あまりにおかしすぎて、上手く呑みこめない。
「うん。きみはずーっと遠くからきたんだね」
「………はい、多分」
「でも、遡ったりするって、普通じゃないよね。もし"死んで"生まれ変わるにしても…死んだその時点から駆け離れない、ちょっと先ぐらいの所に生れ落ちるはず。間が出来てもほんの一拍なはずだよ」
「…」
饒舌に語られ、私はそれに相槌を打つこともできず、無言で頷いた。
半信半疑のまま話を聞いているけれど、そんな話があるものかと否定する事はできない。
死んだという事実を、ただの常人に一目で見抜かれるはずがないのだ。
だとしたら彼はやはり普通ではないひと。普通ではないひとには、普通ではないものが見えるのだろうか。
「多分さ、今まできみ、あちこち彷徨ってきたんじゃないかな。それこそ何百、何千回も」
「……え?」
「今回きみが死んだみたいに。生まれて、死んで、生まれて、また死んで。それを繰り返してきたんだと思う。」
「……転生ってこと?それ、普通じゃないんですか?」
「輪廻転生ってのは珍しい事じゃないけど。きみの場合ちょっと特殊だよね」
お互い輪廻転生という現象が当たり前に起る事を前提に話す。
まさかこんなオカルトを真面目に語り合う日が来るとは思わなかった。
少し青ざめた私の顔色には気が付かず、彼は私に纏わる仮説を語る。
「遠い未来も遠い過去も関係なく、規則性なくぐちゃぐちゃに。法則破りのこと繰り返してたら、魂なんて擦り切れちゃうよ」
「…なんで、そんなことに…」
「そこまでは僕にはわからない事だけど…。一回なにかの間違いがあった後、そういう癖が出来ちゃったんじゃない?放浪癖とか、夢遊病とか、そういうのと一緒で」
「そ、それと一緒…?」
ちょっと違うかもしれないけどね、と付け足された。ちょっと所か大分違う次元の話じゃないかなぁと思う。
「でもそれって理不尽でしょ。可哀そうでしょ。あんまりな話だよね。
人間を見守る神様とか大いなる存在っていうのかな?そういうのって沢山いるから、きみみたいな子を見たら同情する訳だ」
「…」
「あ、気を悪くさせちゃたらごめんね?でも、幸せで恵まれた子とは言えないよね」
可哀そう、という言葉を思わず自分の口の中でか細く転がすと、彼は困ったように眉をさげた。
確かに彼の言う通りだ。もしもそんな子がいたら、普通の境遇じゃなくてとても"可哀そう"。
「だから同情する。慈しむ。差し伸べる。加護を与える。そうやって繰り返してるうちにどんどん蓄積されてって…特別な子になって…」
「…特別」
特別というといい響きな気がする。けれど、それは特殊や特異とでも言った方がよく当てはまる気がした。
だって、同情されるくらい可哀そうな出来事なのだ。祝福されるものではない。特別いいものではない。どうしてそういう言い回しをするのか分からない。
「それでね、」と彼は付け足して。
「今度は僕がきみを引き寄せちゃったのかも?」
「……」
「望んじゃったんだよねー。きっと」
とんでもないことを、なんでもない事のように暴露した。
私は唖然とするばかりで、問い返すのが遅くなった。
「………それは、どういう風に?可哀そうな子がほしいと、あなたが望んだんですか?」
「いやいや。退屈しのぎとか、癒しがほしいなーみたいな感じ。最近ちょっと鬱憤が溜まってたんだよね」
「……た、たったそれだけ?」
「そう。たったそれだけで出来ちゃうかもよ。僕も神様なんだし」
「…っ!!?」
跳ねあがって後退して、思わず岩場からずりおちそうになった。
彼に咄嗟に腕を掴まれて、なんとか難を逃れた。
二重の意味で跳ねあがった心臓の辺りを抑え、深呼吸をすると、少し困ったように目を細められた。
「…そんなに驚く?」
「だって、あなた、人…人じゃ……」
「そりゃ人型取ってるからね。僕神獣だから、元はこういう姿じゃないんだよ」
彼は常人じゃない。人じゃない。人外だった。神様だった。
そんな事、予想が出来るはずがない。
霊能力者か何かかな?とは思ってたけど…そんな物とは訳が違う。
不思議な事を見抜けるはずだ。透視でもするかのように言い当てられるはずだ。
人間とは違う、超常的な存在なのだから。
「望まれた子なんだよ。きみ」
「のぞまれた…?」
「誰かに望まれて落されたんだよ」
彼はにっこりと目を細め、私へ穏やかに語り掛ける。
藍色交じりの夕焼けが照らす時間帯、造り出された影のせいで、彼の姿がはっきり見えなくなってくる。
細められた彼の瞼の奥で、彼の瞳が不思議に色付いている気がした。
1.if─境遇神様暴露
都会のように、少し歩けばコンビニに出くわすような立地ではない。
少し歩いただけでは民家にも辿りつけない、とても辺鄙な場所に私達はいるらしい。
「もっと落ち着ける所があったら良かったんだけど。ごめんねー」
ひらひらと手を振りながら、彼は岩場に腰かけた。
彼には丁度いい高さでも、私にはそうでない。よじ上るしかないかなぁと困っていると、
彼は私の脇に手を差し入れ、ひょいと座らせてくれた。
まるで人形にでもするような軽々とした動作だ。びっくりして心臓が嫌な音を立てている。
自分が子供の身体をしているという事は、こんなにも心もとない物なのか。
落ち着かなくて、無意味につま先を擦り合わせる。古びた草履だけを履いた、足袋も纏わない素足だった。
「いえ、私、お金もないですし…」
「それくらい僕が出すって」
「そんなの悪いです。返す宛もないし」
ふるふると首を振った。
落ち着ける場所、というのは、きっとお店屋さんの事だろう。
それがどれだけ良心的な値段をしていたとして、私は一銭も持っていないのだ。払えない。
無一文の子供の私には、稼ぐ当てもない。
そもそもだ。人の手が加わった人工物を一度も見ていないのだ。ここに紙幣の流通する人里があるのかどうかも怪しいとすら感じてきた。
摩訶不思議な異空間にいるような心地がしていた。
そんな所にたった一人だけ、私を現実と繋ぎ止めるものがある。今、隣にいる彼だ。
「返さなくていいのに。きみ律義だねえ。真面目っていうか」
「借りたら返すっていうのは、常識じゃないでしょうか…」
「常識?」
言うと、きょとんと不思議そうに瞬きしていた。
私も思わず彼に倣うようにしてぱちぱちと瞬きする。何かおかしい事を言っただろうか。
昼の青もとっくに消え失せ、橙色が滲んだ空を眺めながら、二人して首を傾げる。
「きみって、もしかして、いいところの子だったりしたのかな」
「へ…なんでそんな話に…?」
「出してもらったら返す。それって確かに理想的だけど、世の中そんな訳にもいかないからね」
「それは…まあ…ない物は出せないし…」
ない時はないのは当然だ。逆立ちしたって出て来ないものは出て来ない。
それが何だと訝しがっている私に気が付くと、彼は更に苦笑を深めた。
「作ればいいって思ってるんでしょう?でも、そんな余裕なんてない人もいる訳だ。」
「……」
「今日食べるものにも困ってる人は、返すという発想に至れない。…いや、それがいけないことだってきっと分かってるだろうし、罪悪感だってあるだろうけどね?」
「……それって…」
「場合によっちゃ、毟るだけ毟ってどろんだよね」
「そんな…あっさりと言いますか…」
「まあこのご時世仕方ないよねえ。相手が女の子だったら、財布ごとあげちゃいたいくらいだけど。ていうか僕何度かあげたことあるなぁ」
「何度か…ある…?」
びっくりして、叫ぶことも出来なかった。
呆然と彼の言葉を輪唱する。
お金持ち?博愛の人?聖人?最期には服も渡して、身体さえ擦り切らせる君子みたいだった。
肝を抜かした私がぽかんと見上げているのに気が付いたらしい。彼は苦笑して言った。
「いやいや…別な僕が特別できた人って訳じゃなくて。差し出せるから差し出すだけ。」
否定するように手を振りながら話す。口を尖らせて、なんだか子供っぽい仕草をした。
「男相手にはヤだけどね。それこそ僕だって心広い訳じゃないからさ」
「あ…あぁ、そうなんですか…そっか…」
それなら話は違ってくる。ギリギリその気持ちは理解できた。
万人に対してその行動を取っていたというなら、どんな聖人だと驚くけど。
女の子にだけと限定されているなら別だ。
例えばだ。子供相手だと、大抵の人が無条件に甘く見てしまうだろう。
この人にとっての庇護の対象が、女の子であるというだけ。
財布丸ごとというのは、それにしても凄い話だと思うけど。
女の子目当てで旅行する程の人だ。それ程の行動力ある人だしなと、ちょっと納得もした。
「なんていうかねえ。民草には厳しいご時世だよね」
「た、民草…?」
ぼんやりと流れるひつじ雲を目で追っていると、横から飛んできたワードにびっくりしてしまった。
聞きなれない単語だった。
「なんだか…時代錯誤な言い方しますね」
「時代錯誤?」
私が少し怪訝に言い返すと、今度は彼が訝しげな顔をしていた。
何か変なことを言っただろうか。
二人分の影が土の上に伸びている。どんどん色濃くなっていて、そのうち暗闇にかき消されてしまいそうだった。
これからもうすぐ夜が来る。私はそのとき、どうしたらいいんだろう。帰る場所もあてもない。
「…きみってさ、やっぱり変な子だね」
「ええ…」
「うん、話戻すね。きみ、やっぱり死んだか、死にかけてるかしたからここに居ると思うんだけど。心当たりはあるよね?」
「は、はい」
微塵も疑った様子のない、断定的な言い方だった。私も疑う事なく、それが事実だと頷く。
「今の言い方がさ、古いって思ったんでしょう?じゃあさ、きみは普段どんな言い方するの」
「……今の場合だったら…一般人とか…?」
改めて向き直り問い掛けられて、少し居心地が悪くなる。
偉い人じゃない、芸能人でもない、お金持ちでもない、特殊な立場にいない人のことを、私なら大ざっぱに一般人という。
すると、彼はおかしそうに、ふにゃりと笑った。
「別に変ではないけど、あんまり使わないねー」
「そう、でしょうか…?」
私だけが使うような、コアな言葉でもなければ、造語でもないはずだ。
困惑していると、うんと一つ頷いて、再び閃いた!とでも言うように快活に言った。
「きみさ、時代遡ったりしてない?」
「…はい?」
「きみのその着物とかさ、景色みたりさ、僕の言葉聞いたりして。古いって思ったでしょ。ここは自分の故郷とは違う場所だな〜って、パッと見でわかるくらいだったんだ」
「…」
「きみ、さっきからずっと居心地悪そうにしてるよね」
なんて笑ながら言われても、どう返事したらいいか分からなかった。
「そうだとしたら…そりゃ"ここ"の"どこでもない場所"なんて言う訳だ」
うんうんと彼は独りで納得してしまっている。私の理解も納得も追いつかないのに。自己完結が進んでしまっていて、私は置き去りだ。
私は慌てて食らいつく様に問いかけた。
「未来から来たとか…そんなこと、信じるんですか…?」
そもそもだ。死んだとか、死にかけているとか、幽体離脱とか。そんな話をする時点で、既に常軌を逸脱している。
それに加えて、未来だの時代だのと…当然のように語る彼は、冗談を言ってる様子はない。茶化している訳ではないのだ。本気なのだ。
本気でそんな摩訶不思議な事が起こり得ると信じている。
「まあそういうこともあるかなって思って」
「…軽いですね…」
「長い間生きてればさ、色々なこと起こるよ?世界は広いし学ぶことは多いし発見も尽きない」
にこにこと、彼は私に諭すように言う。
遥かな高みからみた物言いをすると想った。
長い間生きているというけれど、まだ幼い面影すら残るような、ただの青年にしか見えないのに。
達観するにはまだ早い年齢ではないだろうか。
「ねえ、どの辺りから来たの?」
「………ずっと、ずーっと遠い先の方から」
ぐるぐると困惑するのは辞めて、開き直る事にした。
全て理解して呑みこんだふりをして、彼の非現実手な話に相槌を打つ。
私は死んだという自覚がある。そんな私は、ここが死後の世界だと言われても受け止められるくらいには自分が柔軟だと信じていた。
けれど、その見込みは甘かったらしい。タイムトリップのような事を示唆されても、あまりにおかしすぎて、上手く呑みこめない。
「うん。きみはずーっと遠くからきたんだね」
「………はい、多分」
「でも、遡ったりするって、普通じゃないよね。もし"死んで"生まれ変わるにしても…死んだその時点から駆け離れない、ちょっと先ぐらいの所に生れ落ちるはず。間が出来てもほんの一拍なはずだよ」
「…」
饒舌に語られ、私はそれに相槌を打つこともできず、無言で頷いた。
半信半疑のまま話を聞いているけれど、そんな話があるものかと否定する事はできない。
死んだという事実を、ただの常人に一目で見抜かれるはずがないのだ。
だとしたら彼はやはり普通ではないひと。普通ではないひとには、普通ではないものが見えるのだろうか。
「多分さ、今まできみ、あちこち彷徨ってきたんじゃないかな。それこそ何百、何千回も」
「……え?」
「今回きみが死んだみたいに。生まれて、死んで、生まれて、また死んで。それを繰り返してきたんだと思う。」
「……転生ってこと?それ、普通じゃないんですか?」
「輪廻転生ってのは珍しい事じゃないけど。きみの場合ちょっと特殊だよね」
お互い輪廻転生という現象が当たり前に起る事を前提に話す。
まさかこんなオカルトを真面目に語り合う日が来るとは思わなかった。
少し青ざめた私の顔色には気が付かず、彼は私に纏わる仮説を語る。
「遠い未来も遠い過去も関係なく、規則性なくぐちゃぐちゃに。法則破りのこと繰り返してたら、魂なんて擦り切れちゃうよ」
「…なんで、そんなことに…」
「そこまでは僕にはわからない事だけど…。一回なにかの間違いがあった後、そういう癖が出来ちゃったんじゃない?放浪癖とか、夢遊病とか、そういうのと一緒で」
「そ、それと一緒…?」
ちょっと違うかもしれないけどね、と付け足された。ちょっと所か大分違う次元の話じゃないかなぁと思う。
「でもそれって理不尽でしょ。可哀そうでしょ。あんまりな話だよね。
人間を見守る神様とか大いなる存在っていうのかな?そういうのって沢山いるから、きみみたいな子を見たら同情する訳だ」
「…」
「あ、気を悪くさせちゃたらごめんね?でも、幸せで恵まれた子とは言えないよね」
可哀そう、という言葉を思わず自分の口の中でか細く転がすと、彼は困ったように眉をさげた。
確かに彼の言う通りだ。もしもそんな子がいたら、普通の境遇じゃなくてとても"可哀そう"。
「だから同情する。慈しむ。差し伸べる。加護を与える。そうやって繰り返してるうちにどんどん蓄積されてって…特別な子になって…」
「…特別」
特別というといい響きな気がする。けれど、それは特殊や特異とでも言った方がよく当てはまる気がした。
だって、同情されるくらい可哀そうな出来事なのだ。祝福されるものではない。特別いいものではない。どうしてそういう言い回しをするのか分からない。
「それでね、」と彼は付け足して。
「今度は僕がきみを引き寄せちゃったのかも?」
「……」
「望んじゃったんだよねー。きっと」
とんでもないことを、なんでもない事のように暴露した。
私は唖然とするばかりで、問い返すのが遅くなった。
「………それは、どういう風に?可哀そうな子がほしいと、あなたが望んだんですか?」
「いやいや。退屈しのぎとか、癒しがほしいなーみたいな感じ。最近ちょっと鬱憤が溜まってたんだよね」
「……た、たったそれだけ?」
「そう。たったそれだけで出来ちゃうかもよ。僕も神様なんだし」
「…っ!!?」
跳ねあがって後退して、思わず岩場からずりおちそうになった。
彼に咄嗟に腕を掴まれて、なんとか難を逃れた。
二重の意味で跳ねあがった心臓の辺りを抑え、深呼吸をすると、少し困ったように目を細められた。
「…そんなに驚く?」
「だって、あなた、人…人じゃ……」
「そりゃ人型取ってるからね。僕神獣だから、元はこういう姿じゃないんだよ」
彼は常人じゃない。人じゃない。人外だった。神様だった。
そんな事、予想が出来るはずがない。
霊能力者か何かかな?とは思ってたけど…そんな物とは訳が違う。
不思議な事を見抜けるはずだ。透視でもするかのように言い当てられるはずだ。
人間とは違う、超常的な存在なのだから。
「望まれた子なんだよ。きみ」
「のぞまれた…?」
「誰かに望まれて落されたんだよ」
彼はにっこりと目を細め、私へ穏やかに語り掛ける。
藍色交じりの夕焼けが照らす時間帯、造り出された影のせいで、彼の姿がはっきり見えなくなってくる。
細められた彼の瞼の奥で、彼の瞳が不思議に色付いている気がした。