第九話
1.生贄最後の夜?のかみさま

これが最後の時間になるんだろうなあ、とごろりと板の上に横になって考える。
お供えもあり見た目は立派だったけど、岩場の上、地面より少し高い所に設置されたそこは造りが不安定な気がして転がるのが怖かった。


「…そういえば、名前を聞いていませんでした」
「え?」
「私の名前は、さっき言ったように丁と言います」


隣からぼそりと小さな声が聞えた。
同じように横になった彼は、この状況で大きな声でお喋りする気ないらしく、声をひそめている。
笑い声を響かせたりしたらそれを聞いた村人がどう思うかわからない。神へ無礼だ罰が当たる、なんて怒られても困ってしまう。
日が沈んできてそろそろ暗くなろうとしていた。夜の闇に包まれて私達は死んでいくのだ。

「あなたの名前です。そもそも持っているんですか?」
「あ、ええと、あるにはあるけど」
「なぜ濁すんですか」
「…っていうの」
「へえ。立派なのものがあるじゃありませんか。知らなかった」
「でもなんていうのかな…気に入ってないというか、使うつもりはないというか」
「贅沢なことを言うんですね。無名よりマシでしょう」
「そうだね。でももう使う機会もなさそう」
「そうですね」


見あげた星空は昨日と変わりない。これを見れるのが最後だなんて思えなかった。
夜に浮かぶ光をこの目に焼きつける。そうした所で死後の世界とやらにそのきらめきを持っていけるのかは謎だけど、もったいないなと思った。


「おやすみなさい」


昨日と変わらないのはこの挨拶も一緒だ。
何度繰り返したのかもわからない。返事が帰ってくるとはもう思わない。
最後なのだから、と期待していた所は正直あった。やっぱり反応がないのは悲しかった。

でも。

「…おやみなさい」


──でも、返ってきた。
きらめきは土産に持っていけないと諦めていた。返事もないと諦めていた。
明日死ぬことも抗わず受け入れ諦めていた。

なのに、最後の最後で報われるなんて、なんだ。捨てたものじゃないじゃない、私の人生。
じわりと涙が浮かんできて、堪えようと思って失敗した。ずずっと鼻を啜ったことに気づかれたかもしれない。恥ずかしい。でも嬉しくてたまらない。


「…うん、おやすみ。また明日ね」


隠しきれない涙声で言うと、手を握られた。小さな手は冷えているのかひんやりしていたけど、寄り添おうとしてくれた彼の気持ちが嬉しかった。

最期の夜だというのに、初めてづくしだ。いや最期だからこそだろうか。


「いい日になるといいなあ」
「……本当に、ばかですね」
「うん、私ばかなの」


夜空を見上げながら、小さな手と手同士をつないで眠った。
涙はこぼれていたけど、悲しかったけど、自然と笑顔が浮かぶ。私は幸せだった。
もう後悔も未練もないなあ。こんな小さなことで幸福になれるなんて安い人間だと思う。
逆に考えると、小さなことで誰かを幸せに出来るこの子が凄いんじゃないかな。

ああ、嬉しい、楽しい、もう寂しくない。一緒に手を繋いで死のうね。怖いから、寂しいから離さないでね。
そう言うと、また「ばかです」と言葉が聞えた。それがおかしくて笑って、その次の瞬間からの記憶はない。

ぶつりと意識が途切れる直前まで、私達は手を繋いだままだったと思う。

2018.10.21