第七話
1.生贄春の訪れ
「春だ!春だ、花が咲いてるー」


はしゃいでウサギのように飛び跳ねている彼女をみて、若干微笑ましい気持ちがわかなかった訳でもなかったけど、それ以上に外に出たとき感じた違和感の方が引っかかる。


「風もあったかい」
「まだまだ本当の春は遠いですよ」


まだ陽気と呼ぶには足りない冷たい風を掴んで、彼女の発言を否定する。


「でも、生きて冬は越えられたね」
「まあ、そうみたいですね」


まだ地面に残る雪を踵で踏みにじりながら、それでも茶色い土が露出している所をみれば冬は終わりに近づき、春が接近していることが目に見えてわかった。


「…まだ咲くには早いですけど」
「なに?花の話?」
「そうです。でも少なくないですか」
「…わかんない。私ここで冬を越したのも春を迎えるのも初めてだし」
「ああ、あなたは新参ですしね」
「そう。土地勘も季節感も皆無だよ」
「威張ることでもないでしょう」

恥じる様子もなく言い切った彼女に少し呆れつつも周囲を観察して、やっぱりだと確信する。秋の死に木が目立った上に春に咲く花が少ないなんて不吉続き。


「次は、春を無事に越せるといいですね」
「…春って危険なものだったけ」


次に気を付けるのは梅雨の時期じゃないかと首を傾げる彼女。
何が危険かどうかと聞かれても、具体的に語る言葉を持たないので、それ以上は口を噤もました。
私達は孤児であり、冷遇されており、持つものは少なく、何の力もない。
ひとりが二人に変わったところで、彼女とつるんだ所で、実は出来ることが増えた訳でもなんでもありませんでした。
恐らく彼女はひとりでも冬をこせたし、そのための度胸も妙に偏った知恵もあったし、私が色んな知識を授けようとしなくても、自分で上手くやり過ごしたのかもしれません。
出会う以前との明確な違いなんて、話しが出来る相手がいるかいないかくらいのものでした。

何が言いたいかと言えば、お互い等しく悪い環境にいるというのに、これ以上に悪化したらどうなるのやら、ということ。
まあ二人揃って死ぬでしょう。何に殺されるのかはその時になってみなければわからない。
でも人か、立場か、環境か、病か、何かに首を絞められて死んでいく。
そんな未来は目に見えていて、それを許容して打開することを諦める気はないけれど、殺されてやるつもりはないけれど、出来ることはやりきるけれど。

──だとしたら、一緒にいようがいまいがやっぱり変わりません。


「…いきましょう」
「あ、待って、早い」



なんとなく、なんとなーく一緒に過ごして一緒に秋と冬を越えた。
ずるずると隣にいる事実を洞窟に籠ってる最中改めて不思議に思って、違和感を感じて。外に出たら離れてもとに戻ってみようかと。
しかし、離れても離れなくても何も変わらないのだと、外の空気を十分に吸いこんだ頃再確認をして、私は当たり前のように声をかけました。

一蓮托生、死なばもろとも、旅は道連れ。
この際妙な縁が出来た彼女を引き連れてどこまででも行ってやろうと、どこか自棄になったように決意した。

──一瞬過ったらしくなく諦観気味の自分が想像した悲観的な未来が脳裏をよぎって消えなくて、ああ、腹が立つ。


「そういえば、あなたはどこから来たんですか」


軽く聞いていいものか迷ったが、彼女ならばさして気にしないんじゃないかと確証もなく思い至り、問いかけた。


「どこって」
「山を一つ越えて、もう一つ越えた所にあるという集落からでしょうか。子供の足で?」
「…捨てられたのかなあ、大人の足で」
「曖昧ですね」
「きみみたいに物心つく前から一人…って訳じゃないと思う…んだけど…?」
「…忘れたんですか」
「うん」


これは聞いてはいけないことだったかもしれないと思い改めた。
親に捨てられたことがあまりに悲しすぎたせいか、それかここに至る道中他の何かがあったのか、とにかく記憶が欠如している様子でした。
ドジで頭を打ったなら笑い話にもなりますが、内因的なものであれば軽く触れたらまずいものであることくらい、私でもわかります。


「…でも、あなたの出身が隣の集落の、そのまた向こうの所だったらいいですね」
「なんで?よく知らないけど、隣じゃ何かだめなの…?」
「隣は静かな所だと聞きました。村の大人が話してるの聞きかじったくらいの話ですけど…その隣は賑やかで楽しい所なんだと。ここはただ特徴もなく平凡な場所ですね」
「へえ、そうなんだ!…ええ、でもなんでそこ出身だったらいいなあって話になるの?」
「あなたは一人が嫌なんでしょう」
「え…」
「賑やかな所にいたから静かなのが嫌いなのか、それが生まれつきかどうかなんて知りませんが」


今はそこから切り離され隔絶され、寂しかったとしても、昔はせめて賑やかな所にいれたんだとしたらいいですねと、なんの生産性もなく、相手の慰めにもならないことを考えて、話してからしまったとハッとした。
けれどこれが実のない話、他愛のない談笑というやつかとすぐに気が付き、だとしたらこれでいいんでしょうと自問自答して納得する。
人と会話したことなんてあまりなくて、そこに気が付くのにずいぶんとかかりました。

すると、わなわなと震えたかと思えばバシバシと背中を叩いてきたので、その手を後ろ手に回した片手で払いのける。


「何するんですか」
「うれしくて」
「返事になってない、かみ合ってませんよ」
「なってるよ」
「どこが」


ぐしゃりと、歩を進めるうちに冬の芽を踏みにじったことに気が付く。
しかしもうそれらはお役御免、冬の草花を押しのけるようにして春の芽が出て来るのだろうと思うとあまり罪悪感がわきませんでした。


「私、隣の静かなところに行っても同じ扱いうけたかもしれないね」
「私が行ってもそうでしょうね」
「だから平凡でもここに来れてよかったよ」
「…なぜそうなるですか」
「きみがここにいたから」
「……もしかしたら向こうの方が少しだけなら待遇がよかったかもしれませんよ」
「少しだけならこっちにいた方がいいよ」


じゃあ大きく待遇が変わるならそちらの方がよかったのか、という問いは野暮だなと思い仕舞い込む。
話し相手が出来たということで退屈とはすっかり縁遠くなり、得たものがないとは私も言いませんけど。
明日を生き延びるための糧よりも、退屈がしのげる話し相手を選ぶなんて、物好きだなとつくづく思います。
私だったら絶対に話し相手より環境が良くなる方を選びます。

余所者と追い出され冷たくあしらわれるのは同じだとしても、それ以上の事に発展することはなく、無関心に過ごしてくれるかもしれないそちらの方がよかった。

時折退屈しのぎに絡んでくる村の子供たち。
暴力には暴力で制そうと私が拳を振るえば、それ以上の力強い暴力が大人から降り注いだのは忘れません。
たかだか子供の喧嘩に介入するなんてといくら憤っても、それが現実でした。
あの過剰な報復は、わが子を害されたからというよりも、「余所者のみなしごなんかに」害されたという事実が大人たの後押しをしたんだろうということは想像に難くない。

無関心のまま、巻きこまないまま、流れる風のように、さらりと過ごさせてくれたならそれ以上は何も言うつもりも望むつもりも彼らに対して思うこともありませんでした。


その時は。
2018.10.21