第六十六話
4.分岐点─愛着
そのうつくしい女性は、無邪気に目を細めながら問いました。
「どうだった?」
彼女にこちら側から頼みごとをすることもあれば、向こう側からお願い事をして来る時もある。
自由奔放なこの女性とは、持ちつ持たれつの関係で案外上手くやれていた。
それ以外にも突然アレがしたいコレがしたいと至極個人的な思いつきで仕事中に押しかけてくる時もあって、困ってしまうこともありましたけど。
まぁ良いかコレくらいならと、相手が許してしまうラインを上手く歩ける女性でした。
私も常に喧嘩腰の態度でいる訳でもないし、リリスさんも自由気ままなようで読むべき空気は読んでいる方だ。
共にいてお互いが衝突することは早々なく、穏やかに過ごせていた。…ただ一つのことを除いては。
その話題になると、お互いの間にどこか棘のような空気が漂うのがわかります。
私のシンプルな警戒心のせいで、リリスさんは毒のような誘惑と牽制と悪戯心のせいで。
悪魔のリリスさんは、当然男である私のことを誘惑する。
けれどどういう訳でしょうか。あの子…のことも欲しがっている節があるのでした。
「どうにか出来たかしら」
いつの日からか、顔を合わせた時、リリスさんはまず初めに挨拶代わりのようにあの子の近況のような物を聞いてくるようになった。
けれど今回初めにその唇が紡いだ言葉は、今までとは違ってとても抽象的なものだった。
そう来るだろうことは半ば予想出来ていたことなので、やっぱりなと納得しながら呆れたように返すのみでした。
「…あんな風に釘をささなくても、どうにかしましたよ」
「そう、ならよかったわ」
「…よかったんですか?」
「あたしの好きなヒトたちが上手いように転んだなら、それは嬉しいことじゃない」
「…それ、相手の幸せを願うとかそういうことなんですかねえ」
だとしたらあの子が幸せかどうかなんて別にわからないなと、声にしなかったその思いは漏れていたらしい。
リリスさんが相手の幸せを願う、喜びを分かち合う一途な女神のような性分をしているかどうか、その真偽はともかく。
現世に三人で行った時。リリスさんが本当にやりたかった事は、あの子をからかって遊ぶことではなくて、間接的にこちらをちくちくと刺すことだった。
勿論あの子の反応を楽しんでいた部分もあったんでしょうけど。
あの時言っていたその通り、リリスさんはほんの少しだけあの子に魅力を感じていて、ほんの少しだけあの子を想っている。
私はただの彼女が愛する世界中の殿方のうちの一人というだけ。そんな男性限定で発揮される平等さ、博愛主義にも似た気質を越えて、とんでもない特例を作られてしまうなんて。
それは私にとって快いことではない。
あの子のせいで、リリスさんの中からはおそらく平等がなくなってしまった。均衡がほんの少し崩れてしまった。あの子はまた誰かの特別な子になってしまったのです。
「鬼灯様、案外初心で鈍かったのね。意外だわ」
くすくすと品よく笑っている。私とあの子の関係というのはどうも他人にとっては面白いものらしく、補佐仲間の彼らも、昔馴染三人も面白そうにしていたし、そこまで付き合いが長くない桃太郎さんにも好奇心を抱かせていたようでした。
どこぞの神獣はあの子に接する私の態度が不快だったようですけど。
けれど私が何をやっても苛立ちを覚えるのだろうし、私自身も相手の一挙一動が癇に障るのです。それはひとまず置いておくとして。
「繊細ではなくても、そこまで鈍くはないと思いますけど」
気が付きすぎて嫌だとあの子に嘆かれたことさえある。鈍くて察しが悪ければ務まらない仕事をしているし、今現在もきちんと務まってる自負がある。先の仕事ぶりまでは誰も保障してくれないでしょうけど。
「でも愛してなんてないって言うんでしょう」
「……ええ」
こんなものが愛だなんて崇高なものだと言い張るくらいなら、変質な執着だと認めた方がマシでしょう。
これが純粋な思いだとも思えない、献身だと思えない、相手を尊重する慈愛だとも思えない。
じゃあこれは何なのかと考えても答えはでないが、
「まったく自分本位な異常性癖だな」と言われた方がまだしっくり来るのでした。
「でも鬼灯様、その子のほしい言葉をかけようとするのも、逃げ出さないようにと優しくするのも、触れるのを躊躇うのも、全部好きだからでしょう」
「手に入れるための手段です、躊躇うのは前科があるからです」
「じゃあ全部駆け引きなんだと言いたいの?」
「…似たようなものでしょうね。言いくるめる、納得させるための方便でした」
「それでもあの子はおかげで心を許してくれたわよね」
「…」
「鬼灯様、あなたが望んだ通りほしい子が手に入ってどう思った?それで満足?」
「…それは」
すぐに答えられず口ごもる姿をみて、珍しいとまた笑っていた。
もごもごと不明瞭な言い方をする癖はないのですが、私自身あの子に関連することとなるとうまい表現が思いつかず、時折口ごもることがあるという自覚はあります。
「満足しなかったんでしょう」
「…」
リリスさんは見透かしたように断言しました。図星なので黙らざるを得ません。
今更はいそうですと頷くのも馬鹿馬鹿しくなってしまった。
リリスさんは思った通りきちんと沈黙を肯定と捉えて進めてくれました。
「あら、当てちゃった?ふふ。でもそれしかないじゃない、満足なんてするはずがないわよ」
「…あなたに言われると、変に説得力があって嫌ですね」
自分の欲に果てなどないんだと、試しても見ないうちから納得しそうになる。ただ一つの予言めいたものだけで、愚直にも信じこみそうになります。
「必要な言葉を探して渡してあげる鬼灯様は優しいわ」
「……私にとっても必要じゃなければ、そんなモノかけませんよ」
「無駄なものなんて沢山いらないもの、あたしは」
どうでもいいものを積み上げられてゴミ山が出来るよりも、本当にほしい言葉が一つもらえて心から満たされるなら、その方が理想じゃないかと言う。
「愛しい人に必死に尽くそうとしているみたいで、なんだか見ていて可愛いわ」
「…尽くす」
我ながらなんとも不釣り合いな言葉です。尽くすも可愛いもどちらもです。
仕事に、趣味に全力を尽くすということはあっても、特定の誰かに献身的に尽くす姿というのは想像しても違和感しか抱けません。
「簡単に手に入らなくてよかったわね。楽しくなりそう。その方がきっと燃えるでしょ」
「趣味でならそうかもしれませんけど、これに関しては別です」
仕事なら一番効率よく最短であればいい、趣味でなら燃えられるといい、しかし人間関係はシンプルである方がいいし、あの子のことでこれ以上拗れるのは御免でした。
相当悩まされ煩わされてきたのです。自分が望んだことだとはいえ、いったん「これでやっと手に入った」と確信した瞬間があったからこそ、今のこの現状には肩すかしを食らわされていた。
「でも、許したとして」
「ええ」
「…私が、愛していたんだとして」
「いるでしょうね」
「……それでも、あの子が私を愛していないことは明らかです」
そもそも相思相愛ではないのです。だとしたら必死に一方的に尽くそうとする姿はなんて滑稽なんでしょう。
それを見て可愛いと言えるリリスさんは趣味が悪い。
いやだわ鬼灯様とまたくすくすと笑われた。
「だから男の人は女をあの手この手で口説くんでしょう」
「……はあ」
言いたいことがわかって思わずため息が漏れた。
どうにか枠組みを探しました。情を探しました。画策をしたつもりでした。
それらに長い時間を使ってきて、今度はあの子を口説き落とすために果てしない時間を費やせと言うのです。
誰に強制されたことではない。それでもさすがに脱力してしまいます。
「今度は好きになってもらうために尽くして口説いて、自分の方に心を引き寄せるの。罪悪感なんて感じる必要はないわよ、こんなの落としたもの勝ちだもの」
「……あなたの言葉はなんだか洗脳みたいですね」
この方面にかけては右に出るものがいなさそうな彼女に饒舌に後押しされると、私もよくない吹っ切れ方をしそうでした。
「あなたが言う執着なんて、あたしにはとびきりの愛情にしか思えないもの」
「…そういう目でみたこと一度もないんですけど」
「説得力がなさすぎるわね」
「だいたいあの子に触れたいと思ったことなんてありませんよ。気持ち悪く感じる時すらあります」
「その子が好きになってくれたら、きっともっと可愛くなって触れたくなるわよ」
「どうでしょうね」
「そうなるでしょうね」
なんでもお見通しなようで、何もかも分かったように百戦錬磨の彼女は言い切ります。
「本当にかわいい人」
いつもは一人の女性として、大人び艶めいた視線を向けて来る彼女だったけど、今日ばかりは微笑ましそうな目を向けて来る。
それだけ大人の男とは思えない滑稽な姿だったんだろうと思うと、自分の精神的な進歩のなさに呆れました。
何千年もかかった微々たる進展。あの子を口説くのにだって、きっと果てしない時間が必要なんでしょう。
ほしい、という欲求を口に出すことに抵抗がなくなりました。
愛している、と言葉を言い変えてもそう違和感がないことに気が付きました。
だとしたら、あの子を手に入れようと足掻いた全ては、一途な求愛と捉えてもさして変わりはないのでしょう。彼女の言う通りでした。
──私はあの子がほしい。私はあの子を愛している。
そこに性愛があろうとなかろうと、本質は何も変わらない。
女性的な魅力は二の次で、あの子がただほしいと一途に想い続けているだけ。
気まぐれな飽き性ということもなく、変に凝り性な性格が祟ったのかもしれない。盲目に一直線だ。
「あたしがあの子に魅力を感じたって、別に嘘じゃないのよ」
「…そうでしょうね」
「思い当たる節があるのね」
「嫌というほど知ってますよ」
神が惹きこみやすいというあの子の異常な体質は、神とは反対にいる悪魔であるリリスさんでも適応されるらしい。
ちょっとだけ、という表現と、ベルゼブブさんが特に反応した様子がなかったことから、やはり本質は神を惹き込むことで、これは副作用みたいなものだったんでしょうけど。
「余裕があるのね。…ねえ、あたしがちょっかいかけたらどうする?」
「…かけさせません」
「あの子があたしを好きになってくれるかもしれない」
「目移りなんてさせません」
「あたし、あの子がほしいわ」
リリスさんが初めて直接的な言葉で要求しました。
それがほんのちょっとの好奇心や、ほんのちょっとの好意だとして、彼女に欲求が芽生えたという事実に変わりはありません。
力あるもののほんのちょっとがどれだけ恐ろしいかはもう知っています。
私はもう二度と、横入りなどさせないと誓ったのです。
奪い合うなんて冗談ではない。逃げられるのだってもう御免です。
「あの子は私がほしかったものです」
何千年ほしいと思い続けていたもので、それでも手に入らなくて、掠め取られそうになる始末で。
取り合い奪い合いになることを恐れて、牽制もしたし、都合のいい方向に動くように物事を促したし、けれどそうまでしても望む結果はいつまでも出ることはないままで。
──それでもやっと、やっとのことです。
「もう私のものになりました」
なんて傲慢、なんて身勝手。鬼じゃなくて悪魔みたいだと、目の前の彼女はおかしそうに笑っていた。
勝手だろうとなんだろうと今更の事。あの子は私の欲求を認めました。頷きました。
ならば何だって、全部どうだっていい事でしょう。
──ぐしゃりと、歩を進めるうちに自分の足が何かを踏みにじったことに気が付く。
足を引いてみると、地面に薄らと土埃が舞いました。
隣を歩いていたリリスさんもそのことに気がつき、歩みを止めて潰れてしまったものを見下ろす。
「かわいそう」
リリスさんの声色は明るく、心から不憫に思ってる様子はありませんでした。
地獄で育つ植物はあまり数多くない。乾いた土の間から芽を出した、地獄ではあまり見ない小さな花を踏みにじったのだと知りました。
しかしもうこの花はお役御免。ここら一帯にはこれからの時期他の緑の芽が顔を出してきます。もう毎年のことです。おそらく共生することなく、押しのけられると分かっている花を潰しても、あまり罪悪感がわきませんでした。
4.分岐点─愛着
そのうつくしい女性は、無邪気に目を細めながら問いました。
「どうだった?」
彼女にこちら側から頼みごとをすることもあれば、向こう側からお願い事をして来る時もある。
自由奔放なこの女性とは、持ちつ持たれつの関係で案外上手くやれていた。
それ以外にも突然アレがしたいコレがしたいと至極個人的な思いつきで仕事中に押しかけてくる時もあって、困ってしまうこともありましたけど。
まぁ良いかコレくらいならと、相手が許してしまうラインを上手く歩ける女性でした。
私も常に喧嘩腰の態度でいる訳でもないし、リリスさんも自由気ままなようで読むべき空気は読んでいる方だ。
共にいてお互いが衝突することは早々なく、穏やかに過ごせていた。…ただ一つのことを除いては。
その話題になると、お互いの間にどこか棘のような空気が漂うのがわかります。
私のシンプルな警戒心のせいで、リリスさんは毒のような誘惑と牽制と悪戯心のせいで。
悪魔のリリスさんは、当然男である私のことを誘惑する。
けれどどういう訳でしょうか。あの子…のことも欲しがっている節があるのでした。
「どうにか出来たかしら」
いつの日からか、顔を合わせた時、リリスさんはまず初めに挨拶代わりのようにあの子の近況のような物を聞いてくるようになった。
けれど今回初めにその唇が紡いだ言葉は、今までとは違ってとても抽象的なものだった。
そう来るだろうことは半ば予想出来ていたことなので、やっぱりなと納得しながら呆れたように返すのみでした。
「…あんな風に釘をささなくても、どうにかしましたよ」
「そう、ならよかったわ」
「…よかったんですか?」
「あたしの好きなヒトたちが上手いように転んだなら、それは嬉しいことじゃない」
「…それ、相手の幸せを願うとかそういうことなんですかねえ」
だとしたらあの子が幸せかどうかなんて別にわからないなと、声にしなかったその思いは漏れていたらしい。
リリスさんが相手の幸せを願う、喜びを分かち合う一途な女神のような性分をしているかどうか、その真偽はともかく。
現世に三人で行った時。リリスさんが本当にやりたかった事は、あの子をからかって遊ぶことではなくて、間接的にこちらをちくちくと刺すことだった。
勿論あの子の反応を楽しんでいた部分もあったんでしょうけど。
あの時言っていたその通り、リリスさんはほんの少しだけあの子に魅力を感じていて、ほんの少しだけあの子を想っている。
私はただの彼女が愛する世界中の殿方のうちの一人というだけ。そんな男性限定で発揮される平等さ、博愛主義にも似た気質を越えて、とんでもない特例を作られてしまうなんて。
それは私にとって快いことではない。
あの子のせいで、リリスさんの中からはおそらく平等がなくなってしまった。均衡がほんの少し崩れてしまった。あの子はまた誰かの特別な子になってしまったのです。
「鬼灯様、案外初心で鈍かったのね。意外だわ」
くすくすと品よく笑っている。私とあの子の関係というのはどうも他人にとっては面白いものらしく、補佐仲間の彼らも、昔馴染三人も面白そうにしていたし、そこまで付き合いが長くない桃太郎さんにも好奇心を抱かせていたようでした。
どこぞの神獣はあの子に接する私の態度が不快だったようですけど。
けれど私が何をやっても苛立ちを覚えるのだろうし、私自身も相手の一挙一動が癇に障るのです。それはひとまず置いておくとして。
「繊細ではなくても、そこまで鈍くはないと思いますけど」
気が付きすぎて嫌だとあの子に嘆かれたことさえある。鈍くて察しが悪ければ務まらない仕事をしているし、今現在もきちんと務まってる自負がある。先の仕事ぶりまでは誰も保障してくれないでしょうけど。
「でも愛してなんてないって言うんでしょう」
「……ええ」
こんなものが愛だなんて崇高なものだと言い張るくらいなら、変質な執着だと認めた方がマシでしょう。
これが純粋な思いだとも思えない、献身だと思えない、相手を尊重する慈愛だとも思えない。
じゃあこれは何なのかと考えても答えはでないが、
「まったく自分本位な異常性癖だな」と言われた方がまだしっくり来るのでした。
「でも鬼灯様、その子のほしい言葉をかけようとするのも、逃げ出さないようにと優しくするのも、触れるのを躊躇うのも、全部好きだからでしょう」
「手に入れるための手段です、躊躇うのは前科があるからです」
「じゃあ全部駆け引きなんだと言いたいの?」
「…似たようなものでしょうね。言いくるめる、納得させるための方便でした」
「それでもあの子はおかげで心を許してくれたわよね」
「…」
「鬼灯様、あなたが望んだ通りほしい子が手に入ってどう思った?それで満足?」
「…それは」
すぐに答えられず口ごもる姿をみて、珍しいとまた笑っていた。
もごもごと不明瞭な言い方をする癖はないのですが、私自身あの子に関連することとなるとうまい表現が思いつかず、時折口ごもることがあるという自覚はあります。
「満足しなかったんでしょう」
「…」
リリスさんは見透かしたように断言しました。図星なので黙らざるを得ません。
今更はいそうですと頷くのも馬鹿馬鹿しくなってしまった。
リリスさんは思った通りきちんと沈黙を肯定と捉えて進めてくれました。
「あら、当てちゃった?ふふ。でもそれしかないじゃない、満足なんてするはずがないわよ」
「…あなたに言われると、変に説得力があって嫌ですね」
自分の欲に果てなどないんだと、試しても見ないうちから納得しそうになる。ただ一つの予言めいたものだけで、愚直にも信じこみそうになります。
「必要な言葉を探して渡してあげる鬼灯様は優しいわ」
「……私にとっても必要じゃなければ、そんなモノかけませんよ」
「無駄なものなんて沢山いらないもの、あたしは」
どうでもいいものを積み上げられてゴミ山が出来るよりも、本当にほしい言葉が一つもらえて心から満たされるなら、その方が理想じゃないかと言う。
「愛しい人に必死に尽くそうとしているみたいで、なんだか見ていて可愛いわ」
「…尽くす」
我ながらなんとも不釣り合いな言葉です。尽くすも可愛いもどちらもです。
仕事に、趣味に全力を尽くすということはあっても、特定の誰かに献身的に尽くす姿というのは想像しても違和感しか抱けません。
「簡単に手に入らなくてよかったわね。楽しくなりそう。その方がきっと燃えるでしょ」
「趣味でならそうかもしれませんけど、これに関しては別です」
仕事なら一番効率よく最短であればいい、趣味でなら燃えられるといい、しかし人間関係はシンプルである方がいいし、あの子のことでこれ以上拗れるのは御免でした。
相当悩まされ煩わされてきたのです。自分が望んだことだとはいえ、いったん「これでやっと手に入った」と確信した瞬間があったからこそ、今のこの現状には肩すかしを食らわされていた。
「でも、許したとして」
「ええ」
「…私が、愛していたんだとして」
「いるでしょうね」
「……それでも、あの子が私を愛していないことは明らかです」
そもそも相思相愛ではないのです。だとしたら必死に一方的に尽くそうとする姿はなんて滑稽なんでしょう。
それを見て可愛いと言えるリリスさんは趣味が悪い。
いやだわ鬼灯様とまたくすくすと笑われた。
「だから男の人は女をあの手この手で口説くんでしょう」
「……はあ」
言いたいことがわかって思わずため息が漏れた。
どうにか枠組みを探しました。情を探しました。画策をしたつもりでした。
それらに長い時間を使ってきて、今度はあの子を口説き落とすために果てしない時間を費やせと言うのです。
誰に強制されたことではない。それでもさすがに脱力してしまいます。
「今度は好きになってもらうために尽くして口説いて、自分の方に心を引き寄せるの。罪悪感なんて感じる必要はないわよ、こんなの落としたもの勝ちだもの」
「……あなたの言葉はなんだか洗脳みたいですね」
この方面にかけては右に出るものがいなさそうな彼女に饒舌に後押しされると、私もよくない吹っ切れ方をしそうでした。
「あなたが言う執着なんて、あたしにはとびきりの愛情にしか思えないもの」
「…そういう目でみたこと一度もないんですけど」
「説得力がなさすぎるわね」
「だいたいあの子に触れたいと思ったことなんてありませんよ。気持ち悪く感じる時すらあります」
「その子が好きになってくれたら、きっともっと可愛くなって触れたくなるわよ」
「どうでしょうね」
「そうなるでしょうね」
なんでもお見通しなようで、何もかも分かったように百戦錬磨の彼女は言い切ります。
「本当にかわいい人」
いつもは一人の女性として、大人び艶めいた視線を向けて来る彼女だったけど、今日ばかりは微笑ましそうな目を向けて来る。
それだけ大人の男とは思えない滑稽な姿だったんだろうと思うと、自分の精神的な進歩のなさに呆れました。
何千年もかかった微々たる進展。あの子を口説くのにだって、きっと果てしない時間が必要なんでしょう。
ほしい、という欲求を口に出すことに抵抗がなくなりました。
愛している、と言葉を言い変えてもそう違和感がないことに気が付きました。
だとしたら、あの子を手に入れようと足掻いた全ては、一途な求愛と捉えてもさして変わりはないのでしょう。彼女の言う通りでした。
──私はあの子がほしい。私はあの子を愛している。
そこに性愛があろうとなかろうと、本質は何も変わらない。
女性的な魅力は二の次で、あの子がただほしいと一途に想い続けているだけ。
気まぐれな飽き性ということもなく、変に凝り性な性格が祟ったのかもしれない。盲目に一直線だ。
「あたしがあの子に魅力を感じたって、別に嘘じゃないのよ」
「…そうでしょうね」
「思い当たる節があるのね」
「嫌というほど知ってますよ」
神が惹きこみやすいというあの子の異常な体質は、神とは反対にいる悪魔であるリリスさんでも適応されるらしい。
ちょっとだけ、という表現と、ベルゼブブさんが特に反応した様子がなかったことから、やはり本質は神を惹き込むことで、これは副作用みたいなものだったんでしょうけど。
「余裕があるのね。…ねえ、あたしがちょっかいかけたらどうする?」
「…かけさせません」
「あの子があたしを好きになってくれるかもしれない」
「目移りなんてさせません」
「あたし、あの子がほしいわ」
リリスさんが初めて直接的な言葉で要求しました。
それがほんのちょっとの好奇心や、ほんのちょっとの好意だとして、彼女に欲求が芽生えたという事実に変わりはありません。
力あるもののほんのちょっとがどれだけ恐ろしいかはもう知っています。
私はもう二度と、横入りなどさせないと誓ったのです。
奪い合うなんて冗談ではない。逃げられるのだってもう御免です。
「あの子は私がほしかったものです」
何千年ほしいと思い続けていたもので、それでも手に入らなくて、掠め取られそうになる始末で。
取り合い奪い合いになることを恐れて、牽制もしたし、都合のいい方向に動くように物事を促したし、けれどそうまでしても望む結果はいつまでも出ることはないままで。
──それでもやっと、やっとのことです。
「もう私のものになりました」
なんて傲慢、なんて身勝手。鬼じゃなくて悪魔みたいだと、目の前の彼女はおかしそうに笑っていた。
勝手だろうとなんだろうと今更の事。あの子は私の欲求を認めました。頷きました。
ならば何だって、全部どうだっていい事でしょう。
──ぐしゃりと、歩を進めるうちに自分の足が何かを踏みにじったことに気が付く。
足を引いてみると、地面に薄らと土埃が舞いました。
隣を歩いていたリリスさんもそのことに気がつき、歩みを止めて潰れてしまったものを見下ろす。
「かわいそう」
リリスさんの声色は明るく、心から不憫に思ってる様子はありませんでした。
地獄で育つ植物はあまり数多くない。乾いた土の間から芽を出した、地獄ではあまり見ない小さな花を踏みにじったのだと知りました。
しかしもうこの花はお役御免。ここら一帯にはこれからの時期他の緑の芽が顔を出してきます。もう毎年のことです。おそらく共生することなく、押しのけられると分かっている花を潰しても、あまり罪悪感がわきませんでした。