第六十三話
4.分岐点─リリス
寮へと帰ろうと閻魔殿の内部にある使い慣れた道を辿ると、通り道に金髪の美女がぽつんと佇んでいた。
獄卒向けに設置されている自販機を陣取り、物珍し気に眺めている。
"苦々しい珈琲濃〜い"という主張の激しい缶コーヒーや、果肉入りブドウジュース、種類は様々あった。
壁や床の柄や装飾を物珍しそうに見渡していることにも気が付く。彼女の顔だちをよく見ると、日本の鬼でも神でもないんだろうなと気が付けた。
そもそも洋服を着ているひとは少数派だ。彼女が纏っているのはゴシックな服装。
まさかどれを飲もうか迷っているという訳でもあるまい。何か不慣れで困っているのかと思い、歩み寄って話しかけた。
「あの、何かお困りですか」
「あら、ごめんね別に困ってないの。ただの待ち合わせ」
彼女は短い金髪をさらりと靡かせながら振り返ると、にこりと笑った。
何気ない一言、何気ないその仕草一つ。なんだろう…すごい妖艶に感じる。大人というかなんというか…。
その煌びやかさに若干圧倒されていると、今度は彼女は周囲ではなく私に興味を持ち出したらしい。こてんと首をかしげ、上目で見上げながら問いかけてきた。
「ねえ、あなたここで働いてる人?」
「あ、ええそうです。閻魔庁で働いている鬼女です」
「そうだったの。じゃあ鬼灯様のことはわかるわよね。あの方いついらっしゃるかしら」
待ち合わせは鬼灯くんとしているらしいと知った。
いつ…と言われても、一介の記録課の女鬼は"鬼灯様"のことを当然知っていても、スケジュールなんて日々把握していないし、どこに居るのかどうかなんて分からない。
私が明確に分かるものと言えばいつ頃切り上げていつの時期根を詰め出すかみたいな、大ざっぱな生活習慣のような物くらいだった。
うーんなんて答えよっかなぁと眉を下げ言葉を探していると、遠くから鬼灯くんとスーツを着た男の人が歩いて来るのが見えた。
背中に羽、頭に触覚を生やし、モノクルをしている彼は、こっちも面差しが日本のモノとはまた違う。少なくとも"鬼"ではなさそうな男のひとだった。
声は聞こえないけど、遠目に見える二人は何か言い合いをしているように見える。
「喧嘩してたから遅れたのね」
なるほどと彼女は納得して頷くだけで、待ちぼうけを食らわされた事を気にもしなかった。
喧嘩していることもあっさりと受け止めて、いつものことだと流している。寛容な女性なのか物事に動じない性格なのか。彼女の隣で私もこちらへ歩いてくる二人を眺めていた。
鬼灯くんは傍までやってくると、女性にぺこりと頭を下げた。
「お待たせして申し訳ございません」
「そんなに待ってないわ。気にしないで」
「リリスを待たせるなんてとんでもないぞお前…」
「何を言ってるんですか。なただって同罪ですよ」
再び顔を見合わせ口論を始めた二人。賑やかにしている二人を見て、くすくすと彼女は笑っている。
男のひとの発言で、自然と彼女はリリスという名の女性だと知る。
その男性は、ふとリリスさんの隣に見知らぬ鬼女がいる事に気が付いて言い合いを止めた。
鬼灯くんは私の存在に気が付いていたみたいで、最初からずっと嫌そうに目を細めていた。
…まだ怒られるようなこと何もしてないのになんで?
何か都合の悪いことでもあったかと考えるけど、あ、これただお友達と集まっていた訳じゃなくてお仕事なのかも…とハッとして口元に手を当てた。なんだか親しそうだからすぐにそこに思い至らなかった。
そのままぺこりと頭を下げて、急ぎ足でこの場を去ろうと一歩退く。
「じゃあ私はこれでっ」
さっきまでのんびりぼんやり傍観していたのに、唐突にキビキビと動き出した私に男性は少し面食らった様子で、けれど彼女の方はやはり少しも動じず、手招きして去ろうとする私を引き止めた。
「あ、ねえ待って。あなた鬼灯様とどんな関係?」
「……え?」
無事合流できたようですし…と一歩身を引いて別れようとする私に、リリスさんは面白そうに聞いてきた。
一言も会話を交わしていないのに、何か関係があるのだと察した彼女。驚きで咄嗟にまともな返事が出て来なかった。
ここで働いてる以上鬼灯くんのことを知ってるのは当然。でも、彼女の口ぶりはただの上司と部下以外にも何かがあるでしょうと確信している物だった。
実際にそうなんだけど、この短い間でなんで悟られたんだろう。
困惑で言葉も出ず、口を開いたり閉じたりしていた私を見かねてか、一言付け足した。
「意味深にアイコンタクトしてたもの」
「ん?そんなのしてたか?」
断言して更に笑みを深めた彼女とは違い、隣のモノクルの彼は思い当たる節がなかったらしく、訝しげにしていた。うーん、この様子を見るに彼女の方に特別観察眼があったんだろうなぁ。
確かに私は鬼灯くんの目をみて撤退をきめたし、だけどもアイコンタクトを交わしたというのも違う。
付き合いの長さが手伝って機嫌を察することが出来ただけだった。
…そういうことまでも見抜いたのかと思うと、侮れない女性だなあと若干引け腰になる。
ちらりと向かい側に佇んでいる鬼灯くんを伺うように見遣ってから、説明のために口を開いた。相変わらず冷めた目で見られている。
「私はこのひとの…」
鬼灯くんと言うのも鬼灯様と言うのも気まずくて、曖昧に言う。
この期に及んでなんと答えようかとその先を言い淀んだ見かねて、鬼灯くんが代弁するように遮った。
「このひとは…、」
けれど、鬼灯くんもそこまで言って言葉に詰まっていた。
お互い困る話題ではあるけど、けれども鬼灯くんが上手く繕えないで、素で言い淀んむというのは珍しい光景だった。どんな投げかけにも、普段小賢しいとも巧みだとも言えるあの手この手で撃ち返しているのに。
この奇妙な空気にモノクルの男性が一歩引き気味になって来たころ、鬼灯くんはあっと思い出したように声をあげて私の方に片手を向ける仕草をした。
「……あ、お付き合いしている女性です」
「とってつけたように言ったなお前!」
男性がキレのあるツッコミをいれる。本当にとってつけて鬼灯くんは言った。今の今まで忘れていたんだろう。
思い出してからは言い淀んでいた姿など見る影もなく、ハキハキとしたいつもの姿に戻っている。
昨日のことがあってちょっと会うのが気まずいなあとは思っていたけれど、付き合う付き合わないの押し問答があったことは、正直に言うと私もいつの間にか忘れてた。
…今更こんなのやめようとか言うつもりはないけど、これに意味があるのか分からないなぁと思う。
効果が薄そうなことはもうこのやり取りだけでわかっちゃったし。継続は力なりを信じるのも手なのかなあ。
それとも「付き合ってます」とどんどん周囲に公言していけば、「私達恋人っぽいな」と錯覚を起こして恋心も芽生えるかもしれない。
…うーん。かもしれないけど、やっぱりそれってどうなんだろうなぁ。頭を抱えたくなってきた。錯覚は錯覚だし、ある意味洗脳だし気の迷だし。刹那的な関係・恋心って、ドマラじゃないんだから。
ふふと乾き気味な笑いを零しながら私も頷く。
「ホントにとってつけたねぇ」
「そもそもがとって付けたものじゃないですか」
鬼灯くんは、だからうっかり忘れた私は悪くありませんとでも言いたげに自己を正当していた。
最初に提案してとって付け出したの鬼灯くんだもん、じゃあ私もっと悪くないもんと弁解したくなったけど、本当にそろそろ邪魔しないように退却してしまおうと居住まいを正す。
ズカズカ聞ける立場じゃないけど、この二人はどこの高貴な方たちなんだろうと気になりはする。
外国のあの世事情には詳しくない私には、すこしの予想も出来なかった。
4.分岐点─リリス
寮へと帰ろうと閻魔殿の内部にある使い慣れた道を辿ると、通り道に金髪の美女がぽつんと佇んでいた。
獄卒向けに設置されている自販機を陣取り、物珍し気に眺めている。
"苦々しい珈琲濃〜い"という主張の激しい缶コーヒーや、果肉入りブドウジュース、種類は様々あった。
壁や床の柄や装飾を物珍しそうに見渡していることにも気が付く。彼女の顔だちをよく見ると、日本の鬼でも神でもないんだろうなと気が付けた。
そもそも洋服を着ているひとは少数派だ。彼女が纏っているのはゴシックな服装。
まさかどれを飲もうか迷っているという訳でもあるまい。何か不慣れで困っているのかと思い、歩み寄って話しかけた。
「あの、何かお困りですか」
「あら、ごめんね別に困ってないの。ただの待ち合わせ」
彼女は短い金髪をさらりと靡かせながら振り返ると、にこりと笑った。
何気ない一言、何気ないその仕草一つ。なんだろう…すごい妖艶に感じる。大人というかなんというか…。
その煌びやかさに若干圧倒されていると、今度は彼女は周囲ではなく私に興味を持ち出したらしい。こてんと首をかしげ、上目で見上げながら問いかけてきた。
「ねえ、あなたここで働いてる人?」
「あ、ええそうです。閻魔庁で働いている鬼女です」
「そうだったの。じゃあ鬼灯様のことはわかるわよね。あの方いついらっしゃるかしら」
待ち合わせは鬼灯くんとしているらしいと知った。
いつ…と言われても、一介の記録課の女鬼は"鬼灯様"のことを当然知っていても、スケジュールなんて日々把握していないし、どこに居るのかどうかなんて分からない。
私が明確に分かるものと言えばいつ頃切り上げていつの時期根を詰め出すかみたいな、大ざっぱな生活習慣のような物くらいだった。
うーんなんて答えよっかなぁと眉を下げ言葉を探していると、遠くから鬼灯くんとスーツを着た男の人が歩いて来るのが見えた。
背中に羽、頭に触覚を生やし、モノクルをしている彼は、こっちも面差しが日本のモノとはまた違う。少なくとも"鬼"ではなさそうな男のひとだった。
声は聞こえないけど、遠目に見える二人は何か言い合いをしているように見える。
「喧嘩してたから遅れたのね」
なるほどと彼女は納得して頷くだけで、待ちぼうけを食らわされた事を気にもしなかった。
喧嘩していることもあっさりと受け止めて、いつものことだと流している。寛容な女性なのか物事に動じない性格なのか。彼女の隣で私もこちらへ歩いてくる二人を眺めていた。
鬼灯くんは傍までやってくると、女性にぺこりと頭を下げた。
「お待たせして申し訳ございません」
「そんなに待ってないわ。気にしないで」
「リリスを待たせるなんてとんでもないぞお前…」
「何を言ってるんですか。なただって同罪ですよ」
再び顔を見合わせ口論を始めた二人。賑やかにしている二人を見て、くすくすと彼女は笑っている。
男のひとの発言で、自然と彼女はリリスという名の女性だと知る。
その男性は、ふとリリスさんの隣に見知らぬ鬼女がいる事に気が付いて言い合いを止めた。
鬼灯くんは私の存在に気が付いていたみたいで、最初からずっと嫌そうに目を細めていた。
…まだ怒られるようなこと何もしてないのになんで?
何か都合の悪いことでもあったかと考えるけど、あ、これただお友達と集まっていた訳じゃなくてお仕事なのかも…とハッとして口元に手を当てた。なんだか親しそうだからすぐにそこに思い至らなかった。
そのままぺこりと頭を下げて、急ぎ足でこの場を去ろうと一歩退く。
「じゃあ私はこれでっ」
さっきまでのんびりぼんやり傍観していたのに、唐突にキビキビと動き出した私に男性は少し面食らった様子で、けれど彼女の方はやはり少しも動じず、手招きして去ろうとする私を引き止めた。
「あ、ねえ待って。あなた鬼灯様とどんな関係?」
「……え?」
無事合流できたようですし…と一歩身を引いて別れようとする私に、リリスさんは面白そうに聞いてきた。
一言も会話を交わしていないのに、何か関係があるのだと察した彼女。驚きで咄嗟にまともな返事が出て来なかった。
ここで働いてる以上鬼灯くんのことを知ってるのは当然。でも、彼女の口ぶりはただの上司と部下以外にも何かがあるでしょうと確信している物だった。
実際にそうなんだけど、この短い間でなんで悟られたんだろう。
困惑で言葉も出ず、口を開いたり閉じたりしていた私を見かねてか、一言付け足した。
「意味深にアイコンタクトしてたもの」
「ん?そんなのしてたか?」
断言して更に笑みを深めた彼女とは違い、隣のモノクルの彼は思い当たる節がなかったらしく、訝しげにしていた。うーん、この様子を見るに彼女の方に特別観察眼があったんだろうなぁ。
確かに私は鬼灯くんの目をみて撤退をきめたし、だけどもアイコンタクトを交わしたというのも違う。
付き合いの長さが手伝って機嫌を察することが出来ただけだった。
…そういうことまでも見抜いたのかと思うと、侮れない女性だなあと若干引け腰になる。
ちらりと向かい側に佇んでいる鬼灯くんを伺うように見遣ってから、説明のために口を開いた。相変わらず冷めた目で見られている。
「私はこのひとの…」
鬼灯くんと言うのも鬼灯様と言うのも気まずくて、曖昧に言う。
この期に及んでなんと答えようかとその先を言い淀んだ見かねて、鬼灯くんが代弁するように遮った。
「このひとは…、」
けれど、鬼灯くんもそこまで言って言葉に詰まっていた。
お互い困る話題ではあるけど、けれども鬼灯くんが上手く繕えないで、素で言い淀んむというのは珍しい光景だった。どんな投げかけにも、普段小賢しいとも巧みだとも言えるあの手この手で撃ち返しているのに。
この奇妙な空気にモノクルの男性が一歩引き気味になって来たころ、鬼灯くんはあっと思い出したように声をあげて私の方に片手を向ける仕草をした。
「……あ、お付き合いしている女性です」
「とってつけたように言ったなお前!」
男性がキレのあるツッコミをいれる。本当にとってつけて鬼灯くんは言った。今の今まで忘れていたんだろう。
思い出してからは言い淀んでいた姿など見る影もなく、ハキハキとしたいつもの姿に戻っている。
昨日のことがあってちょっと会うのが気まずいなあとは思っていたけれど、付き合う付き合わないの押し問答があったことは、正直に言うと私もいつの間にか忘れてた。
…今更こんなのやめようとか言うつもりはないけど、これに意味があるのか分からないなぁと思う。
効果が薄そうなことはもうこのやり取りだけでわかっちゃったし。継続は力なりを信じるのも手なのかなあ。
それとも「付き合ってます」とどんどん周囲に公言していけば、「私達恋人っぽいな」と錯覚を起こして恋心も芽生えるかもしれない。
…うーん。かもしれないけど、やっぱりそれってどうなんだろうなぁ。頭を抱えたくなってきた。錯覚は錯覚だし、ある意味洗脳だし気の迷だし。刹那的な関係・恋心って、ドマラじゃないんだから。
ふふと乾き気味な笑いを零しながら私も頷く。
「ホントにとってつけたねぇ」
「そもそもがとって付けたものじゃないですか」
鬼灯くんは、だからうっかり忘れた私は悪くありませんとでも言いたげに自己を正当していた。
最初に提案してとって付け出したの鬼灯くんだもん、じゃあ私もっと悪くないもんと弁解したくなったけど、本当にそろそろ邪魔しないように退却してしまおうと居住まいを正す。
ズカズカ聞ける立場じゃないけど、この二人はどこの高貴な方たちなんだろうと気になりはする。
外国のあの世事情には詳しくない私には、すこしの予想も出来なかった。