第六十一話
4.分岐点喪失感


「付き合うがどうこうとか、何もしなくても、なんにもならなくても一緒にいるよ。でも」

一度言葉を切り、足元に落としていた視線を上げると、じっとこちらを見やる鬼灯くんと視線が合った。

「やっぱりずっとなんて無理だし。そうは言えない」
「…なぜ」

不機嫌そうに険しい顔をしながら問う。
なぜも何もないと思うんだけど、同じ所には考えが至らなかったみたいだった。
パッと私の結論に至ったのは、ついこの間受けた衝撃が消えないからかもしれない。
思い出すと胸が痛んで、考えが上手く声にならなかった。一瞬間を開けつつも、強張る喉からなんとか絞り出し意志を言葉にする。

「だって、いつか消えちゃうでしょ」

いつかは死んでしまうはずだ。いつかは消えてしまうはずだ。
永遠と生きていけそうな神様さえも消えて行った。
だとしたら人が、鬼が、妖怪がずっと永らえることができるなんて思えない。不老不死の妖怪だっているけど。
でも、じゃあそもそも永遠ってなんだろう。もし人類が滅びたらあの世にいる鬼や神々の仕事はなくなって、あの世さえも滅びる時がきて、そうしたら不老も何も関係なく、全部が塵になり消える。
悲観的すぎるかもしれないし、考えすぎなのかもしれない。
けれど可能性がゼロともいえないなら、ずっとなんて言いたはくない。
そこまで壮大な話じゃなくても、仕方なく離れなければならない時が来るかもしれないとか色んなことを考えたら、無責任なことは言えなかった。
それを告げると鬼灯くんは怪訝そうにしていた。同じようには考えなかったみたいだし、聞いても尚これの賛同はできないようだ。

「私達もう死んでます。鬼は死にません。消えることはあっても」
「……どっちも一緒なんじゃないかなあ」

か細い声で否定する。諭されようと、頑なに曲げようとしない私をみて、少し考えて沈黙していた。
暫くすると何か思い至るところがあったようで、私の手を離して自分の胸元辺りに片手を持っていき、心臓の辺りを示すように置いて首をかしげた。

「…もしかして、消えることが怖いんですか」

鬼にも血は流れていて心臓は動いている。
心臓が止まり、人間の死に近い形で消える時が怖いのかと聞く鬼灯くん。
図星をつかれて、一瞬気まずくて視線を外した。身を固くしながらもう一度そろりと見あげる。
相変わらず表情が変わらなく淡々と語るだけだった。
それなのになんだか自分が責め立てられているように感じるのは、私に後ろめたさがあるからだろうなと思う。膝の上に下ろした両手を組んで握りながら答える。

「……こわいよ」
「私は怖くありません」
「怖くないわけない」
「訳がないと言われても。死とか、消滅を意識して過ごしてる鬼ってどれだけいるんでしょうね」

確かに、普段忙しなく過ごしている鬼も妖怪ももともと長寿なだけあって、消滅を意識することがないようだった。
人間が死を意識したり、怯えたりするのは、たかだか100年しか謳歌する時間がなくて。
老いも若いも関係なく、いつでも先の方や身近にある死が垣間見えているからだろう。
私が何千とあの世で過ごしていてもいつでも怯えているのは、未だに人の感覚に引きずられているせいもある。

「……全部消えちゃうのに?何も残らないのに?」

人間の怯える気持ちも、鬼の動じない気持ちも理解できる。分かっていても、それでも信じられない思いでいっぱいだった。
なんで皆そんな風に毎日を過ごしていられるんだろう。私はいつでもいつかたどり着く場所が頭の隅に過って怯えてるのに。
鬼灯くんの言葉が信じられなくて、問いかける声が震えた。
こんなに怖いものなのにと、片言になりながらも必死に説明したけど、鬼灯くんの方の意志も変わらないまま平然と語り続けた。

「…私だって望んで消えたくないし、嫌だとは思いますけど。そんな抵抗感はありませんよ。人でも物でもなんだって寿命はあるでしょう。
不老長寿の種だっているでしょうけど…普通いつまでも続くものではないと、あなただって元人間なら分かりますよね」
「わかってる!」

責められて、辛くて大きな声が出た。そしてすぐにハッと我に返る。
鬼灯くんは何も責めていない。悲観的になっているのは私だけだ。頭ではそうと分かっても、私は来るかもしれないいつかを想像するだけで苦しくなる。
喪失感、孤独感、罪悪感、失ったものへの未練、絶望。
ここは死後の世界。あの世の住民ならこんな死生観は持つべきではない。それでもどうしても。

「……仕方ないって言えない」

仕方ないと言っていいことと悪いことがあると言った幼い彼を思い出す。
何度も何度も思い出しては自分に言い聞かせてる。それが支えになる時もあれば今みたいに雁字搦めになる時もある。

"あなたは特別に、望み通りの健康な身体を手に入れる事が出来ました。もちろん、それにも寿命があります。期限は未定、全てあなたの気持ち次第。あなたはいつを終わりに定めますか"

いつもそうやって何かに迫られている気がしている。
死にたかったと泣いた女神。望んで消えて行った男神。彼らはなんでそんな風に潔くなれるんだろう。

「もう死んでいいなんて、いつまでも思えない」

これだけはいつまでも私には受け止められず、心から納得して言いきれないのだ。
一度目の■■■■の時のように、二度目で生贄になった時のように。
突然の形でしか終えることは出来ず、彼らのように自分から潔く覚悟することが出来ない。

「……なんで、そういうことになるんですか」
「…」

私の発言は予想外のものだったらしく、驚いたように目を見開いていた。
その目、その声、怒りの気配、向かう全てが私の身体を強張らせる。居心地が悪くなって、握る自分の両手に力がこもった。

「なぜ、あなたが死ぬ死なないの話に繋がるんですか」
「……っ」
「言えない、言うつもりがない。…またですか」

申し開きもできなくて、ぐっと唇を引き結んで俯いた。けれど鬼灯くんは目を逸らすことを許さず、ガッと顔を掴み上げさせて目を合わせることを強制する。
でも、今回ばかりは負けじと視線を強くして、声を大きく荒らげた。

「だって!」
「だって?」
「…それは、」

だってそれは、いつか思わなければならないことではないの。
あの男神のように、未練も何もかも消して、もう満足だと言って笑うべきではないの。
この身体は、が望む平等な始まりを得られた。なら、次に辿る道は平等な終わりなのだ。
あの世でこれからも過ごしていける?いつまでも?
そんなの、まるで夢の中にいるようで、恵まれすぎていて恐ろしい。
おこぼれのように二度目、三度目の生を授かった。私はきっと、いつかぷつりと途絶えてしまうようなか細い糸の上を歩き続けている。そんな不安定な土台の上で安心感なんて得られるはずがない。不安な土台、不安な心、こんな状態ではずっと一緒にいるなんて約束はできない。

「……縛られたくないなら言いなさい」

再び唇を噛んで押し黙った私を見下ろしながら、這うように低い声を出しながら告げた。
私は前後の流れと繋がらない言葉に驚いて瞠目する。
理解できずにいる私の困惑をおそらく分かっていながら、理解させようともせずつらつらと続けた。

「食い違う度に、噛み合わない度に、私が衝動に駆られることに気付きなさい。執着されることを知れ」

相変わらず抽象的な物言いは頭に入ってこなくて唖然としている私矢継早に言う。
そしてようやく私に理解できる事を放ち始めた。
その緩急に私の心は振り回されて、心臓が早鐘を打っている。

「あなたはそう言いながら、本当は消えたい、死にたいんでしょう」
「……なんで」

そんなはずない、と言おうとして、いいえとすぐに否定される。遮られる。

「あなたの話の前提にはいつも死がある。もう死んでいいと思えないってことは、いつかはどうにか"良いよ"と言うつもりがあるんですよね。そこには理想の生き方と理想の死に方が揃って存在してる」

絶句して何も言えなかった。死の理想なんて抱くはずがない。
死にたくないから私はこんなに苦しいのに。消えるのが怖いからこんなに醜く足掻いてるのに。
それではまるで一刻も早く消えたがってるみたいな言い方だ。
いつかはそうなるかもしれないと覚悟はしても、わざわざそんな風に思うはずがない。
鬼灯くんを好きだった、あの黒髪の女の子にあんなに強く否定が出来たのも、私が人生を大事にしているからだ。私の人生の中にいる鬼灯くんをとられたくなかったからだ。
私はこうやっていつまでも人生を謳歌し続けられたらいいなと夢を抱いている。ずっと続くんだと思いたいし言いたい。
それでもそんなことはあり得ないと知っているから、悲しくてぼろぼろ涙が溢れて止まらなくなっている。
──終わるのは、"仕方がない"ことなのだ。そのはずだった。

「あなたの望みは叶って、きっと満足できるんしょうね。でもそうしたら、今度は私が喪失する番です」
「……そんなんじゃない」
「いいえそうです」
「ちがう」
「なら、自分の思うままに、自分の理想の通りに死んでいった神を思い出しなさい」

あなたが悲しみ、惨いことだと嘆いたソレとどう違うんだと、鬼灯くんは冷静に訪ねた。
あの男神は、長い年月私を縛り、自分が楽しめなくなったからもういいんだと言って消えていった。
恨み辛みも腹の内で消化して、もう満足出来たからと幸福を抱きながらいなくなった。
まさに自分の理想通りに綺麗に死んでいったのだ。
残された私がどれだけの喪失感を抱えたのかも知らないで。…違う、知っていながら残酷に消え行くことを選んだ。生を渇望する私の前で。私はそれが悲しくて辛くてたまらなかった。

…あれが理想な訳がない。私はあの時、消えて行った男神を羨ましいなんて思わなかったし、ただ遣る瀬無くて仕方がなかった。
──私はまだ生きていたい。そこそこなんかじゃ嫌だった。
もういいなんて、今言えない。長い月日が流れても、私は満足出来ないまま。
──それでもいつか私は満足できる日が来ると信じてる。

「当然のような顔をして、歪な終わり受け入れようと精一杯やって」

──そうして当然のように満足する日を迎えた時、鬼灯くんはどんな顔をするんだろうか。
…男神が消えた時私が膝をついたように、今度は鬼灯くんが同じように膝をつく番なんだろう。
私は同じことを他人に繰り返そうとしているのだろうか。そうだとしたら、それはとても不自然だ。自分から一生懸命に終着する日を手繰り寄せた歪な結果だ。
そこでようやく鬼灯くんの感じている違和感を理解できた。

降りた沈黙を肯定と受け取ったのか、顔を上げさせようと掴んでいた鬼灯くんの手に怒りで力がこもってきた。
ハッとして手を離してくれたおかげで私は解放さたれたけど、俯くことなく視線は外せないままだった。
──見定めるように、値踏みをするように、蔑むように、責めたてるように縮こまる私を見おろして彼は言葉を繋げ続ける。そうしてとうとう突き放すように、刺すように、一言放った。

「………勝手、ですね」

冷めた目で放たれた言葉を受けて、強い衝動が湧き上がって抑えられなくなった。

「…きらい…」

震える声でか細く呟くと、連動するように双眸から大粒の涙がぼろりと零れたのが分かった。

「……嫌い!」


喉が痛くなって、噎せ返るほどに大きな声で叫んだ。ゲホゴホと咳をしながらも、箍の外れた胸中の衝動は止まらなかった。

「…はい?」
「きらい、大嫌い…っ」
「……なんでそうなる」

聞き分けない子供が癇癪を起しだしたかのような様子に呆れかえったのか、さっきまでの固く攻め立てるような勢いは削がれて、気が抜けてしまったように緩く突っ込んだ。

「私が言われて嫌になること言うから、嫌い」
「子供より言い分が酷いな。……というか、さっきの言われて嫌だったんですね」
「いやだった!」

当然だろうと声を荒らげて断言するとへえ、と感心しているようだった。

「…なんで」

理不尽な癇癪を起こしている自分に非があるという自覚は、血が上った頭にも存在した。けれどその淡白な対応には神経を逆なでされたような心地になり、平常心ではいられなくなる。

「面白がってるみたいに、そんなの」
「別に面白くはない」
「じゃあなんで…っ」
「珍しいなと思って」
「…めずらしい、なに、…、…もう、…」

鬼灯くんのように冷静に矢継ぎ早に言葉を並べて行くことも出来ず、感情的になった自分を制御できず。だんだんとまともな声も出なくなってきた。
言いたいことは沢山あるのに、それが喉から出てこない。
頭の中はごちゃごちゃして何をぶつけたいのか、何がこんなに自分の気に障ったのか、全部よくわからなくなってくる。
鬼灯は腕を組みながら、冷静にこちらを見下ろすだけだった。
本当に自分は他人と衝突するのに向いていない。
乱れた髪も気にする余裕がなく、顔を覆って出てきそうになる嗚咽をただ殺し、鼻を啜った。

「もう嫌い、あっち行って」
「そんなんしか言えないのか。ほんと向いてない」
「もうほっといて…っ」
「そう言われても」

鬼灯くんは静かにハンカチを差し出してきた。喚くしか出来ない私と淡々としている鬼灯くん。この対比。自分が情けなくてみっともなくて恥ずかしくてどうしようもない。
そのまま彼は私の感情の波が緩やかに、静かになり泣き止む時まで隣にいてくれた。
嫌い合っているわけじゃないしこんな風に寄り添ってもくれる。
けれど、本当にこんな感じの私たちがお付き合いなんてするの?出来るの?これじゃ博打を打つも打たないもないな…と今から先行きが不安になってきた。

2019.1.23