第五十八話
3.地獄彼のかみさま。
明らかに成人していただろう男は、いつの間にか少年の姿に変わっていた。ずいぶん毒素が抜けたという印象を受けました。
作りものめいたその面差しは以前から変わりがなかったけど、毒っぽさがなくなった代わりにずいぶん乾いてしまったなと感じる。


「あの子がほしいだなんて、望んだはずがない。あの時の私はあの子を知らなかった。だとしたら私はいったい何を望んだんでしょう」


すらすらと疑問を口にしながら、あの子って誰だろうという矛盾した考えが浮かび上がります。
虚ろな目をした女性に触れる私の手はみっともなく震えていて、伝わる細やかな肌の感触が気持ち悪くてたまらない。
暖かすぎることもなく冷たすぎることもなく、ただ生きていると感じられるひと肌にぞっとする。


「あなたにとっての彼女って何?」
「…」
「…答えてどうなるんです」


素直に従うのが嫌で突っぱねました。どうしたって無意味だ。答えなど出したって何にもならない。いったい何が、誰がこの気持ち悪さを払拭してくれる。
救いの手などどこからも伸びて来ないことを、私は知っていました。
このひとが流す涙を、いったい誰が拭ってやれる。私には恐ろしくてそれができません。
私が、このひとが、手を差し伸べられることなどあり得るのでしょうか。


「出した答えが全てなんじゃないの」
「…それじゃますます分からない。あの局面で私が何をほしいと望んだんですか。傍にいてくれるひと?…そんなのあり得ない。誰が傍にいようがいまいが、何も足しにならないのに。何が豊かになることもなかった」


そうです。あの子がいようがいまいが何も変わらないのです。
困窮していた私は、自分に足りていない色々なものがほしかった。けれど、あの子が手に入らなくてもそれで生きていけた。ほしくなんてなかった。
そんな風に頑なに突っぱねる私を見て、更におかしそうに目を細めていたことには気付いたけど、それでも気付かないふりを続ける。
誰だかも分からず想像しても何の像も浮かばない、輪郭が曖昧なあの子という存在。
それとは反対に、どんどん姿が鮮明になっていく女性の頬から手をおろししていき、首から肩から背中へと順々に滑らせ、恐る恐るそのひとを抱きしめてみました。

──ああきもちわるい。気持ち悪くてたまらない。

「価値があったのは間違いないよね」
「……価値」
「ほしい物を、ほしいと言えた?」
「…」

乾いた嘲りを零すこの男にも旧友にも恩師にも上司にも、今私が縋るこのひとにも。
あの子にも、誰にだって。
私は、私の身に寄り添ってほしくなどなかったのです。

2019.1.17