第五十七話
3.地獄─ほしいもの
妙な感じだなあとは思っていた。
動物とスキンシップを取っているのはよく見かけるけど、ヒトとの距離が近い方ではない。
不仲だろうと親しい知人だろうと昔馴染に対してもそうで、それが彼の距離の取り方なんだろう。
潔癖という訳でもないから、向こうから来れば突き放さない、けれど自分からは触れない。
…そういう距離の取り方を知っていたから、あんな行動を取られてびっくりした。
いったい何が起こったのかと結構動揺したけれど、あの後実は三徹していたのだと知って、すぐに自室に帰ってもらった。
そういう疲労はできれば行動じゃなくて顔に出してほしい。
まだ大丈夫だとゴネる彼の背中を強引に押しつつ、きちんと布団に入るのか目を光らせ見届けた。
体調管理くらい自分で出来るだろう、いい大人なんだし。
それでも目に余る。私が見てて辛いからと言う勝手な名目で押し込んだ。
鬼灯くんは自分の限界をよく理解しているからこそ限界ギリギリまで活動させようとする。
餓えや怪我や何やらで苦節している姿を、今まで痛ましく思いながら見て来た。この頃はこういう姿もよく見かけるようになってなんだか居た堪れない。
「…はあ。大変だなあ」
ぽつりと小さく独り言を零す。布団に入ると即寝息を立てたのを見て呆れた。
おそらく不眠不休の徹夜は三日目でも、睡眠を削っていた日々は既に長期に渡っていたんだろうと睨んだ。まさにおやすみ3秒。いや1秒。
そのまま部屋を出ようかどうかと少し迷って、しかし留まることに決めた。
いくら徹夜した頭がしでかしたことなんだとしても、火のない所から煙は出ない。
あの昔から見せる焦りようなものはずっと鬼灯くんの根底に在り続けたもので、それが今表に押し出されてきたのだとしたら、やっぱり放っておけなかった。
子供のトラウマのようなものなのかな…いやいや恨み辛みみたいなのは濃厚でも、私がさっき言ったみたいに寂しいとか本当にこの子にあるのか。
彼が否定したように、本当にそういう繊細なものはなくって、ひたすらに強かなのかもしれない。
でもこの子だって元は人の子で、感情がない訳ではない。肉体的な弱点もある。精神的に脆い部分があっても普通おかしくない。
幸い部屋には大量の本があったので、暇することなく、眠った鬼灯くんの傍でずっと本を読んでいた。
半分くらいまで読んだ所で、小さな物音が聞こえて目覚めたんだと悟る。
「…今、何時ですか」
「えーと、2時半だね」
「……また微妙な」
取り戻せるほど十分には寝ていないし、仮眠したというのには長すぎる微妙な時間が経っていた。
ぼさぼさの頭を撫でつけて、少しうんざりしたようにぼやいた。
「昔の夢を見ました。こんなに小さい頃の 」
こんなに、と言いながら手で宙をかく。
ベッドの縁を彷徨わせていて、多分その頃の身長を表しているんだろうけど、絶対誇張してる。さすがに小さすぎる。出会ったころもうちょっと大きかった。
それより前のことだったら知らないけど、覚えてるのかなそんな小っちゃい時のこと。
「幼い頃の私は何も考えないでぼんやり生きてましたね。馬鹿でした」
「色々考えまくりだったと思うけどなあ…」
「含みがあるようですけど」
「ないです」
ぶんぶんと首を振り否定するけど、嘘だった。含みはたっぷりあった。
悪知恵も含めて、いろんなことを考えていた子供だったと思う。平均よりも成熟が早くて、誰より早く賢く先を読んだ。人一倍考えられる子だったからこそ今この立場に収まっているんだろうに、今更何を言っているんだろう。
「ぼんやりと生きて、ぼんやりと一人で風に当たるだけの生活でしたけど」
「うん」
「寂しいとはやっぱり思いませんでしたし、悲しいとも思いませんでした。ままならないこと達が憎たらしくなることはありましたけど、それでも空虚な感じはなかったんです。あなたが来る前から」
「…うん」
見ていたという夢はその頃のものだったんだろう。こういう昔話をするのはなんだか珍しい。
「夢の中の私は、ただぽつんと佇んでいました。ただそれだけだったんです」
何も感じていないかのように振る舞い虚勢を張っているのではなく、本当に無だったんです。
何も胸に響かないまま日々をなんとなく生きて、反響することもなく遮断することもなく、するりとなにもかも通り抜けていくんですと淡々と語った。
「夢の中の私の関心を引くものがなかったのか、何かに感応する素養がなかったのか」
夢の中だけのことなのか、実際もそうだったのか、そんな昔のことはよく覚えていませんけど、と続けて、それから沈黙した。
…そうなのかなあ。感受性豊かな子だなとずっと思ってたけど。
鬼灯くんに出来ることが多いのは、必要に迫られたのに加えて、彼の好奇心が彼の手を動かさせたからだろう。
出来ることが変に多ければ多いだけ、鬼灯くんの行動力と好奇心の強さを言葉なく語ってくれる。
「今は関心引くものがたくさんあって困るくらいだね」
部屋に散乱した荷物を見渡して笑う。忙しすぎて片付ける暇もなく物が積み上がり散らかった部屋。
当たり前だけど、積まなければこれ以上は散らからないのに、新しく興味を覚えたアレやコレや収集してくるから更にごった返しになってる。仕事するのに必要なモノと趣味とたぶん半々。
私の軽いからかいは、同じように軽くあしらわれるかと思っていたけど、予想とは裏腹に一瞬押し黙った。
「…それでよかったんでしょうか」
「なにが? 」
「…関心を持たないままであればよかったんじゃないでしょうか」
「なんで?楽しくてよかったと思うよ」
金魚草なんていう面白い物に関心を持つようになった今、とても楽しそうだ。皮肉抜きに何よりのことだと思う。理解し難い趣味も多々あるけど、活き活きしている所を見ると私も素直に嬉しくなる。
「……だから、もし、道連れを」
「え?」
「いつの間に、道連れが欲しいと思ってしまったんだとしたら」
「……」
「…あの時、一緒に犠牲になってくれるひとが欲しいと望んだとしたら」
道連れ、と聞いて息を呑んだ。日常会話ではあまり使われないものだけど、あり触れた言葉。
その有り触れたものは、消え行くひとが口にしたばかりだった。その偶然にじくりと胸が痛むのを感じていた。
「……そういうこというの珍しいね」
「…そうかも、しれません」
目を覚まそうとしたのか、彼は部屋の大きい電気をつけるために立ち上がった。
…本当に珍しい。そもそも鬼灯くんがあの日の話をすることは少ない。昔話をしみじみ二人ですることもあまりないし。
少なくとも犠牲なんていう言い回しをしながら当時を蒸し返すことは、何千年の間で一度もなかった。
鬼灯くんと共有した思い出は沢山あるけれど、その言葉が当てはまる共通体験は一つしかない。
あまりらしくない表現をしているなと思う。未だ寝惚け眼で、夢でも見ているんじゃないかと思うくらい不思議な語り方をしていた。
「…昔から鬼灯くんは関係性とか、一緒にいる意味とか、考えたがってたね」
なぜ一緒にいるんでしょうとか。
小さい子の疑問だと思っていたし、深く考える気質なんだろうなとも思ってたし。
でもこれは疑問でも癖でもなくて、鬼灯くんの心のどこかに残り続けてしまった引っかかりなんじゃないかと思う。
こんなこと勝手に予想するしかなくて、明け透けに語らない鬼灯くんの心の内を想像するのはとても難しかった。
どれだけ頑張っても、浄玻璃鏡を使った時のように全てを透かし見れる訳じゃない。
「…あなたがほしいんだと言いましたよね、さっき」
「…あの、もうちょっとわかりやすく…」
そんな、なんで分からないのかわからない、みたいな顔をされても困っちゃう。
言葉が繋がらない、かみ合わない。
私が理解力に乏しい鈍いだけなのか、鬼灯くんの徹夜明け&仮眠明けの頭が回っていないのかどっちだろう。どっちもかな。
「傍に置きたいと思っているのに、傍におく理由が見当たらないから。……探ろうとしていただけです。…これでいいですか」
珍しく疲れたように片手で顔を覆った。
なんだか言いようのない罪悪感にかられる。疲労に追い打ちをかけてしまったようだ。でもここまで言ってくれたら私にもわかりやすい。分かりやすすぎてもっと困るくらいだった。
「…だから、傍にいたいから傍にいるんだって昔から言ってるのに」
「でも、特別な理由なんてないというんでしょう」
「そうだねえ、誰の差し金でもなく自然と出会って、自然と傍にいたいと思って」
「他人事だと思って」
刺々しく、憎たらしそうに吐き捨てられた。
分かってはいたけどなんだか情緒不安定だなあ。ただ単に機嫌が悪いというのも違うし、どうしたらいいんだろう。
傍に置きたいと言われ、傍にいるよと言ってもソレでは気に食わないと拒絶されて。
じゃあ私に他に何ができるんだろう。どうしてほしいのか、どう言ってほしいのか。
腑に落ちないで暫く頭を悩まさせていたけど、そこでふと気が付いた。
今はもう消えて逝ってしまった男神。彼は私に要求した。薄っぺらくなどないのだと思い知らせろと望んだ。
私なりに頑張って日々喜怒哀楽を働かせた結果、その想いは何十万分にもなるほどの「信仰心」として彼の元に形になって集まっていた。
彼がほしかったのは、自分の糧に成り得る強い想いと、彼が気に食わないと最初に言っていた私の浅い認識や態度の改変だった。
男神が言っていたこと全てが分かった訳じゃない。なんのことを指して言ったのか分かりきれない言葉も沢山ある。しかし、でも、だけど。
「……子ども。わがまま」
思わず呟いてしまった。
不機嫌そうに眉を寄せた鬼灯くんを構わず、そのまま続きを口にした。
「特別な理由がほしかったの?…好きって言ってほしかったの?」
多分鬼灯くんは、明確な形がほしいだけなんだろう。きっと男神の要求とあまり違いはない。
何故一緒にいるのか?という単なる疑問ではなかった。ずっと不満だったんだ。
浅くて薄っぺらで過ごしていたら駄目だった。
男神の場合は信仰心という確かな形となって証明できた。けれど、鬼灯くんに証明するためにはどんな形に変えたらいいのかな。
一番先に思い浮んだのは「愛」だった。家族愛じゃない、男女の恋情だ。
それが一番手っ取り早いものであり、一番分かりやすく、一番起り得ること。
血の繋がりのない家族という、本人の心持次第なものよりも単純明確だ。
好きになって、恋人同士になって、結婚して夫婦になって…とトントン拍子に事が運べば、同じ血の繋がりない二人の関係でも、こっちは確かな形で結ばれることが出来る。お互いを結ぶ形はそれだけが全てではなくて、きっと他にもあるだろうけど。
「鬼灯くんの傍にいたい。鬼灯くんのことが好きだよ」
「…」
「でもこれ恋じゃないし、多分友情でもないし…なんとなくとか…今も曖昧にしか言えないけど」
居たいから居るとか、いつまでも漠然としか言えない。
傍にいるのも家族になるにも理由はいらない。想い合っているならそれでいい。そう思っていたのは私だけだったようだ。
私の掲げている理想で、鬼灯くんは納得することは出来なかったのだ。それは仕方ないことだと思う。
何もかもよく分からないでいた幼い子が自分なりに葛藤して、いつしかそういう答えを出せたなら、それはそれで喜ばしいことだ。
…うーん。やっぱりそう深刻になりきれないけど。
「それならそういう風に…鬼灯くんが納得できるように頑張ってみるね。約束なんてできないけど」
今まで理由なんてないで済ませてきて、未だにそれに尽きるんじゃないかと思っている。
けれど、もうちょっとやり方があるんじゃないかとは思う。
言われたからもっと好きになってみるね!って発想はどうなのかあと思うけど。
堂々巡りなのは本当だし。目の前に転がってるものから試してみるしかない。
「……、…。」
「……なんでそんな顔するの、こわいよ」
「………そんなだから何も始まらないんですよアホ」
「……すごい罵られた…」
凄く嫌そうに顰め面をして、苛立ったように髪をかき上げた。
なんで。これで望み通りじゃないの。要求が通ったのになんでそうなるの。
いつもの天邪鬼なのか本当に気に入らないのかどっちなのか分からない。
「だって、でも、これで芽生えちゃったりするかもよ…?」
「さぁ、どうだか」
「なんでそんな諦めモードなの…」
「この状況で前向きになれる方がどうかと思います。本気で言ってるならおかしい」
「…こんなおかしな事でもしなきゃどうにもならないからおかしくしてるのに…」
年ごろの子という訳でもないのに本当に扱いづらい。ああ言えばこう言うし何を言っても気に食わなくて、何も読めない。
おかしいってちゃんと思ってるよ。芽生えるかもよ?とか言ってるひとから芽生え出るモノなんてきっと何もないよ。その言い方がもう他人事だもん。
「ツボとか琴線とかやる気スイッチとか性癖とか色々言いますけど」
「え……うん…」
「あなたのそういうのは、どこにあるんですかね」
「ええー…」
そもそも何のツボを探しているのか。恋愛するためのスイッチ?そんなの押す押さないの話じゃなくて、自然に訪れるのを待つしかないんじゃ。
いつでも開花してくださいとでも言わんばかりの受け入れ態勢で暮らして来なかったし。
人のことを言えないくらいには仕事一筋…というか生活一筋に生きてきて、今までの私の人生には恋愛を挟む余裕も余地もなかったのだ。
3.地獄─ほしいもの
妙な感じだなあとは思っていた。
動物とスキンシップを取っているのはよく見かけるけど、ヒトとの距離が近い方ではない。
不仲だろうと親しい知人だろうと昔馴染に対してもそうで、それが彼の距離の取り方なんだろう。
潔癖という訳でもないから、向こうから来れば突き放さない、けれど自分からは触れない。
…そういう距離の取り方を知っていたから、あんな行動を取られてびっくりした。
いったい何が起こったのかと結構動揺したけれど、あの後実は三徹していたのだと知って、すぐに自室に帰ってもらった。
そういう疲労はできれば行動じゃなくて顔に出してほしい。
まだ大丈夫だとゴネる彼の背中を強引に押しつつ、きちんと布団に入るのか目を光らせ見届けた。
体調管理くらい自分で出来るだろう、いい大人なんだし。
それでも目に余る。私が見てて辛いからと言う勝手な名目で押し込んだ。
鬼灯くんは自分の限界をよく理解しているからこそ限界ギリギリまで活動させようとする。
餓えや怪我や何やらで苦節している姿を、今まで痛ましく思いながら見て来た。この頃はこういう姿もよく見かけるようになってなんだか居た堪れない。
「…はあ。大変だなあ」
ぽつりと小さく独り言を零す。布団に入ると即寝息を立てたのを見て呆れた。
おそらく不眠不休の徹夜は三日目でも、睡眠を削っていた日々は既に長期に渡っていたんだろうと睨んだ。まさにおやすみ3秒。いや1秒。
そのまま部屋を出ようかどうかと少し迷って、しかし留まることに決めた。
いくら徹夜した頭がしでかしたことなんだとしても、火のない所から煙は出ない。
あの昔から見せる焦りようなものはずっと鬼灯くんの根底に在り続けたもので、それが今表に押し出されてきたのだとしたら、やっぱり放っておけなかった。
子供のトラウマのようなものなのかな…いやいや恨み辛みみたいなのは濃厚でも、私がさっき言ったみたいに寂しいとか本当にこの子にあるのか。
彼が否定したように、本当にそういう繊細なものはなくって、ひたすらに強かなのかもしれない。
でもこの子だって元は人の子で、感情がない訳ではない。肉体的な弱点もある。精神的に脆い部分があっても普通おかしくない。
幸い部屋には大量の本があったので、暇することなく、眠った鬼灯くんの傍でずっと本を読んでいた。
半分くらいまで読んだ所で、小さな物音が聞こえて目覚めたんだと悟る。
「…今、何時ですか」
「えーと、2時半だね」
「……また微妙な」
取り戻せるほど十分には寝ていないし、仮眠したというのには長すぎる微妙な時間が経っていた。
ぼさぼさの頭を撫でつけて、少しうんざりしたようにぼやいた。
「昔の夢を見ました。こんなに小さい頃の 」
こんなに、と言いながら手で宙をかく。
ベッドの縁を彷徨わせていて、多分その頃の身長を表しているんだろうけど、絶対誇張してる。さすがに小さすぎる。出会ったころもうちょっと大きかった。
それより前のことだったら知らないけど、覚えてるのかなそんな小っちゃい時のこと。
「幼い頃の私は何も考えないでぼんやり生きてましたね。馬鹿でした」
「色々考えまくりだったと思うけどなあ…」
「含みがあるようですけど」
「ないです」
ぶんぶんと首を振り否定するけど、嘘だった。含みはたっぷりあった。
悪知恵も含めて、いろんなことを考えていた子供だったと思う。平均よりも成熟が早くて、誰より早く賢く先を読んだ。人一倍考えられる子だったからこそ今この立場に収まっているんだろうに、今更何を言っているんだろう。
「ぼんやりと生きて、ぼんやりと一人で風に当たるだけの生活でしたけど」
「うん」
「寂しいとはやっぱり思いませんでしたし、悲しいとも思いませんでした。ままならないこと達が憎たらしくなることはありましたけど、それでも空虚な感じはなかったんです。あなたが来る前から」
「…うん」
見ていたという夢はその頃のものだったんだろう。こういう昔話をするのはなんだか珍しい。
「夢の中の私は、ただぽつんと佇んでいました。ただそれだけだったんです」
何も感じていないかのように振る舞い虚勢を張っているのではなく、本当に無だったんです。
何も胸に響かないまま日々をなんとなく生きて、反響することもなく遮断することもなく、するりとなにもかも通り抜けていくんですと淡々と語った。
「夢の中の私の関心を引くものがなかったのか、何かに感応する素養がなかったのか」
夢の中だけのことなのか、実際もそうだったのか、そんな昔のことはよく覚えていませんけど、と続けて、それから沈黙した。
…そうなのかなあ。感受性豊かな子だなとずっと思ってたけど。
鬼灯くんに出来ることが多いのは、必要に迫られたのに加えて、彼の好奇心が彼の手を動かさせたからだろう。
出来ることが変に多ければ多いだけ、鬼灯くんの行動力と好奇心の強さを言葉なく語ってくれる。
「今は関心引くものがたくさんあって困るくらいだね」
部屋に散乱した荷物を見渡して笑う。忙しすぎて片付ける暇もなく物が積み上がり散らかった部屋。
当たり前だけど、積まなければこれ以上は散らからないのに、新しく興味を覚えたアレやコレや収集してくるから更にごった返しになってる。仕事するのに必要なモノと趣味とたぶん半々。
私の軽いからかいは、同じように軽くあしらわれるかと思っていたけど、予想とは裏腹に一瞬押し黙った。
「…それでよかったんでしょうか」
「なにが? 」
「…関心を持たないままであればよかったんじゃないでしょうか」
「なんで?楽しくてよかったと思うよ」
金魚草なんていう面白い物に関心を持つようになった今、とても楽しそうだ。皮肉抜きに何よりのことだと思う。理解し難い趣味も多々あるけど、活き活きしている所を見ると私も素直に嬉しくなる。
「……だから、もし、道連れを」
「え?」
「いつの間に、道連れが欲しいと思ってしまったんだとしたら」
「……」
「…あの時、一緒に犠牲になってくれるひとが欲しいと望んだとしたら」
道連れ、と聞いて息を呑んだ。日常会話ではあまり使われないものだけど、あり触れた言葉。
その有り触れたものは、消え行くひとが口にしたばかりだった。その偶然にじくりと胸が痛むのを感じていた。
「……そういうこというの珍しいね」
「…そうかも、しれません」
目を覚まそうとしたのか、彼は部屋の大きい電気をつけるために立ち上がった。
…本当に珍しい。そもそも鬼灯くんがあの日の話をすることは少ない。昔話をしみじみ二人ですることもあまりないし。
少なくとも犠牲なんていう言い回しをしながら当時を蒸し返すことは、何千年の間で一度もなかった。
鬼灯くんと共有した思い出は沢山あるけれど、その言葉が当てはまる共通体験は一つしかない。
あまりらしくない表現をしているなと思う。未だ寝惚け眼で、夢でも見ているんじゃないかと思うくらい不思議な語り方をしていた。
「…昔から鬼灯くんは関係性とか、一緒にいる意味とか、考えたがってたね」
なぜ一緒にいるんでしょうとか。
小さい子の疑問だと思っていたし、深く考える気質なんだろうなとも思ってたし。
でもこれは疑問でも癖でもなくて、鬼灯くんの心のどこかに残り続けてしまった引っかかりなんじゃないかと思う。
こんなこと勝手に予想するしかなくて、明け透けに語らない鬼灯くんの心の内を想像するのはとても難しかった。
どれだけ頑張っても、浄玻璃鏡を使った時のように全てを透かし見れる訳じゃない。
「…あなたがほしいんだと言いましたよね、さっき」
「…あの、もうちょっとわかりやすく…」
そんな、なんで分からないのかわからない、みたいな顔をされても困っちゃう。
言葉が繋がらない、かみ合わない。
私が理解力に乏しい鈍いだけなのか、鬼灯くんの徹夜明け&仮眠明けの頭が回っていないのかどっちだろう。どっちもかな。
「傍に置きたいと思っているのに、傍におく理由が見当たらないから。……探ろうとしていただけです。…これでいいですか」
珍しく疲れたように片手で顔を覆った。
なんだか言いようのない罪悪感にかられる。疲労に追い打ちをかけてしまったようだ。でもここまで言ってくれたら私にもわかりやすい。分かりやすすぎてもっと困るくらいだった。
「…だから、傍にいたいから傍にいるんだって昔から言ってるのに」
「でも、特別な理由なんてないというんでしょう」
「そうだねえ、誰の差し金でもなく自然と出会って、自然と傍にいたいと思って」
「他人事だと思って」
刺々しく、憎たらしそうに吐き捨てられた。
分かってはいたけどなんだか情緒不安定だなあ。ただ単に機嫌が悪いというのも違うし、どうしたらいいんだろう。
傍に置きたいと言われ、傍にいるよと言ってもソレでは気に食わないと拒絶されて。
じゃあ私に他に何ができるんだろう。どうしてほしいのか、どう言ってほしいのか。
腑に落ちないで暫く頭を悩まさせていたけど、そこでふと気が付いた。
今はもう消えて逝ってしまった男神。彼は私に要求した。薄っぺらくなどないのだと思い知らせろと望んだ。
私なりに頑張って日々喜怒哀楽を働かせた結果、その想いは何十万分にもなるほどの「信仰心」として彼の元に形になって集まっていた。
彼がほしかったのは、自分の糧に成り得る強い想いと、彼が気に食わないと最初に言っていた私の浅い認識や態度の改変だった。
男神が言っていたこと全てが分かった訳じゃない。なんのことを指して言ったのか分かりきれない言葉も沢山ある。しかし、でも、だけど。
「……子ども。わがまま」
思わず呟いてしまった。
不機嫌そうに眉を寄せた鬼灯くんを構わず、そのまま続きを口にした。
「特別な理由がほしかったの?…好きって言ってほしかったの?」
多分鬼灯くんは、明確な形がほしいだけなんだろう。きっと男神の要求とあまり違いはない。
何故一緒にいるのか?という単なる疑問ではなかった。ずっと不満だったんだ。
浅くて薄っぺらで過ごしていたら駄目だった。
男神の場合は信仰心という確かな形となって証明できた。けれど、鬼灯くんに証明するためにはどんな形に変えたらいいのかな。
一番先に思い浮んだのは「愛」だった。家族愛じゃない、男女の恋情だ。
それが一番手っ取り早いものであり、一番分かりやすく、一番起り得ること。
血の繋がりのない家族という、本人の心持次第なものよりも単純明確だ。
好きになって、恋人同士になって、結婚して夫婦になって…とトントン拍子に事が運べば、同じ血の繋がりない二人の関係でも、こっちは確かな形で結ばれることが出来る。お互いを結ぶ形はそれだけが全てではなくて、きっと他にもあるだろうけど。
「鬼灯くんの傍にいたい。鬼灯くんのことが好きだよ」
「…」
「でもこれ恋じゃないし、多分友情でもないし…なんとなくとか…今も曖昧にしか言えないけど」
居たいから居るとか、いつまでも漠然としか言えない。
傍にいるのも家族になるにも理由はいらない。想い合っているならそれでいい。そう思っていたのは私だけだったようだ。
私の掲げている理想で、鬼灯くんは納得することは出来なかったのだ。それは仕方ないことだと思う。
何もかもよく分からないでいた幼い子が自分なりに葛藤して、いつしかそういう答えを出せたなら、それはそれで喜ばしいことだ。
…うーん。やっぱりそう深刻になりきれないけど。
「それならそういう風に…鬼灯くんが納得できるように頑張ってみるね。約束なんてできないけど」
今まで理由なんてないで済ませてきて、未だにそれに尽きるんじゃないかと思っている。
けれど、もうちょっとやり方があるんじゃないかとは思う。
言われたからもっと好きになってみるね!って発想はどうなのかあと思うけど。
堂々巡りなのは本当だし。目の前に転がってるものから試してみるしかない。
「……、…。」
「……なんでそんな顔するの、こわいよ」
「………そんなだから何も始まらないんですよアホ」
「……すごい罵られた…」
凄く嫌そうに顰め面をして、苛立ったように髪をかき上げた。
なんで。これで望み通りじゃないの。要求が通ったのになんでそうなるの。
いつもの天邪鬼なのか本当に気に入らないのかどっちなのか分からない。
「だって、でも、これで芽生えちゃったりするかもよ…?」
「さぁ、どうだか」
「なんでそんな諦めモードなの…」
「この状況で前向きになれる方がどうかと思います。本気で言ってるならおかしい」
「…こんなおかしな事でもしなきゃどうにもならないからおかしくしてるのに…」
年ごろの子という訳でもないのに本当に扱いづらい。ああ言えばこう言うし何を言っても気に食わなくて、何も読めない。
おかしいってちゃんと思ってるよ。芽生えるかもよ?とか言ってるひとから芽生え出るモノなんてきっと何もないよ。その言い方がもう他人事だもん。
「ツボとか琴線とかやる気スイッチとか性癖とか色々言いますけど」
「え……うん…」
「あなたのそういうのは、どこにあるんですかね」
「ええー…」
そもそも何のツボを探しているのか。恋愛するためのスイッチ?そんなの押す押さないの話じゃなくて、自然に訪れるのを待つしかないんじゃ。
いつでも開花してくださいとでも言わんばかりの受け入れ態勢で暮らして来なかったし。
人のことを言えないくらいには仕事一筋…というか生活一筋に生きてきて、今までの私の人生には恋愛を挟む余裕も余地もなかったのだ。