第五十三話
3.地獄─予測
天国から地獄へ戻り、慣れた道を辿る。忙しなく人が行きかっているのを横目に入れながら歩を進め、そのまま閻魔殿に入ろうとすると、建物のすぐ前に見知った影がふたつあるのを見つけた。
あちらも近づいてきた私に気が付いたようだった。視線をこちらにやると、あっと表情を変えた。
「ああ、ちょうどいい所に」
パッと声色を明るくして私を手招いたのは、木霊さんだった。その隣には鬼灯くんが佇んでいる。
死んで鬼になってあの世にやってきて、一番初めに私達が出会ったのが彼だった。大昔から変わらない風貌をしている。
初対面の頃は同じくらいだった背丈も、いつの間にか追い抜かしてしまった。
頻繁に会うわけじゃないけれど馴染みはとても深い。ある意味誰よりも親しみを覚えている彼に手を振りながら近づいた。
「なんだか久しぶりですね」
「ええ、さんはお元気でしたか」
「はい、なんとか。…木霊さんはお疲れみたいですね」
「いやあ、それが…」
どこか具合悪そうに青ざめている様子が気になって問いかけると、木霊さんは言葉を濁した。
今日は地獄に避難してきたのだと聞かされてなんとことやらと首を傾げると、更に詳しく説明してくれた。
今日一日閻魔庁を歩き回ったそうだ。その理由を木霊さんは少しだけ覇気なく語った。
「…花粉症?」
「はい。今色々聞いて回ってきた所なんです」
強風が吹き荒れる現世。やってくる春一番。
花粉が舞い踊る現世ですごすことに、花粉症の木霊さんはとうとう耐えられなくなり、地獄へ避難してきたらしい。
アレルギーを持っていない鬼灯くんとはどうも痛みを分かち合えずもどかしい思いをしたようで、庁内をぐるっと視察をして回る鬼灯くんに同行して、各所でアンケートを取ってきたそうだ。
「さんにも聞こうと思ったですけど、今日はお休みだったようで」
それを聞いて苦笑した。男神との約束を果たすために、あらかじめなんとか休みをもぎ取っておいたのだ。
記録課まで足を運んで回った際、探してくれたようだけど、そこは鬼灯くんが今日は不在だと説明してくれたのだろう。
今回はいつもより長居をしすぎてしまったから、決められた期限内に帰れるかと心配したけど、なんとか帰れて安心した。
「さんはアレルギーとか何か持ってますか?」
「アレルギーかあ…」
葉鶏頭さんは仙桃を食べると咳が出るとか(煮れば平気)、唐瓜くんは鼻炎持ちと敏感肌と、お香ちゃんの同僚にはヤモリとか、野干の毛が駄目な子がいるとか、先端恐怖症や金属アレルギーを持つひとが居るとか。
色々な例を聞けたようだ。几帳面に調査表も作ってある。
亡者と鬼・妖怪で区別されているそれを覗かせてもらうと、正の字の黒でびっしり埋まっていた。
へえー花粉症ってあの世に来たらなくなった人もいるんだ。あの世は花粉症の人にとっては楽園に思える場所なのかもしれない。
うわあ花粉以外の要因の項目が凄い奇天烈だ。
亡者の骨とフグ毒ってどういうことなんだろう。アレルギーっていうか毒は毒なんじゃ。
脳吸い鳥の卵とか、奇抜なタイトルの他にも、小麦や果物やハウスダスト・ダニといった真っ当なものも並んでいた。
…あっちを奇抜でこっちを真っ当と判断してしまうのは人間の感性なんだろうなあ。でも血の池の鉄分って何なのどうなのと思っちゃう。
私は閉所恐怖症も持っていないし高所恐怖症持ってないし。
「えーと、喉が弱いのと、肌が弱いのと、桃が駄目なのと…」
あとなにかあったっけと呟くと、傍らで話の成り行きを見守っていた鬼灯くんがいやいやと手を振って否定した。
「あなたはアレルギーらしいアレルギー持っていませんよね。桃も苦手意識があるってだけで」
「あ、うん、そうかも。そうでした」
指折り数えて羅列してみるも、鬼灯くんに全て訂正された。
確かに桃でアレルギーを引き起こしていたのは一度目の人生の時の身体だけだ。
その頃の経験を引き継いでたから、鬼になってからも食べることに抵抗意識を持っていた。
喉が弱いとか肌弱いのもそうだ。先入観を持っているせいで過敏になっているのか、痒いとか痛いとか僅かな錯覚を起こしているだけで、実際は大した症状は出ていない。
木霊さんが不思議な問答を繰り広げられて困惑していた。無意味に話をひっかき回してしまって申し訳ない。
「まァ身体の基礎が変に弱いみたいですけど」
「ああ、さんはそうでしたね」
すぐに気持ち悪そうにして伏せる私のことを木霊さんも知っている。身体ではなく精神的な所が原因だとは言えず、苦く笑ってお茶を濁した。
どういう風に気に病んでるんだと言われても今更上手く答えられないし。
幸運なことに、今世ではある意味頑丈で健全な身体を持っているのだ。
アレルギーもないし身体も弱くない。体力も平均値はある。敏感肌でもなければ動物アレルギーもない。苦手な食べ物もそんなにないし、理想的な健康体に恵まれている。
「鬼のアレルゲンが現世の基準と近いようで遠くて…」
フグ毒のアレルギーってどういうことですかと青ざめながら木霊さんは問い掛けた。
やっぱり気になる所だよねと傍らでうんうんと頷く。鬼灯くんはなんてことないように答えた。
「フグ毒を食べすぎてかぶれる鬼とか、最近多いですよ」
「…昔は平気な鬼が多かったんですか…?」
「うそすごい」
「すごいって」
なんで鬼が驚いてんだと鬼灯くんにじろりと見られた。でも私はなんで鬼は平気なんだと問いたい。
頑丈で強いからかな。関係ある?そんな単純?理屈がよくわからない。
「地獄も環境は昔と違いますからねえ。色んな問題が新しく出てきますよ」
「…」
鬼灯くんがしみじみ言うと、木霊さんは沈黙した。
確かに目まぐるしく環境も常識も価値観も変わっている。…ようだ。
最近になってようやく周りを見ないフリをやめたから、よく分かってないんだけど
私が目の前の仕事に没頭している間に、鬼の間でフグを食らうことが流行った。そしてフグアレルギーを発症していた。そんな風な移り変わりが数多くあったんだろう。
あの調査表をみてもピンと来なくて、まるで他人事なにしか思えないのは、私の感覚が未だどうこうとかじゃなく、時間感覚がぐちゃぐちゃになったまま過ごしていて認識が鍛えられなかったせいかもあるかもしれない。
「そうですね。私だけではないですよね。大騒ぎしてお恥ずかしい」
「いえ」
花粉症は相当辛いと言うし、嘆きたくなるのも無理はないだろうけど。
身体が辛いというだけでなく、気分も滅入るだろう。恥ずかしいとそこまで縮こまらなくても気持ちは察することが出来る。
「私山へ帰ります。しばらくイワ姫の社にでもいて…ちゃんと山を見守りながら花粉と戦います。木との戦いです」
決意を固めた様子で、強い意志のこもった言葉を発した。木の精が真剣に戦う相手が花粉だなんて世知辛い世の中だ。…世知辛いで済ませられる話なのかなあこれは。
「医者にでも行った方がいいですよ」
「そうですね。薬もらいます!お騒がせしました!」
木霊さんはこちらに向かってぺこりと頭を下げる。
丁寧な所作の後、柔らかく声をかけてくれた。
「風邪を引かないようにきちんとしてくださいね。無理もしないように」
「はあい」
母のように優しい言葉を差し出し去っていく木霊さんの背中に、手を振って見送った。
本当に子供の頃からの付き合いで、私達二人…特に私の不安定な成長をハラハラしながら応援してくれていた。
木の素直で伸びやかな成長速度を誰よりも知っている木霊さんだからこそ、あのめちゃくちゃさは歯痒くて地団駄でも踏みたくなったのかもしれないなと思った。
一方的に親しみを覚えてるだけでなく、木霊さんの方も昔から親しんでくれていたのだ。
名残惜しそうにしている私の方を振り返り、鬼灯くんが言葉を重ねた。
「…それで」
「うん?」
「あなたは今日、病気なんですか」
「え?……あー」
脈絡のないことを隣から投げかけられて、暫く思案してしまった。鬼灯くんは多分、なんだか元気がないんじゃない?と聞きたいんだろう。
なんて分かり辛い言い回しをするのか。首を振って否定した。
「別に元気だけど…」
「けど」
「なんか…色々大変だなあ、わからないなあって考えて」
「聞いてるこっちが分からない」
そうだろうなあと思う。鬼灯くんも中々意味が分からない言い回しをしたけど、私のは言い方が云々の話ではない。会話が成立してない、説明になっていない。
「付き合いが長くても分からないことって沢山あるねって。木霊さんが花粉症だなんて知らなかったし」
「まぁ、普通木の精が花粉症だなんて思いません」
「大変だよね」
己との戦いだと言っていたけど、本当にしんどい戦いだろうなあ。
山を拠点にしていてそれって、動物や虫や土や緑色が苦手ってくらいの致命傷だ。
ど真ん中につっ立って陣取っていても通行の邪魔だろうと、建物の傍へと移動しながら話した。
「…怖い物なんてなさそうな人が泣くから、なんか、びっくりしちゃって…」
驚きの余韻を引きずっているのも手伝って、綺麗に言葉にならなかったし、上手く説明でするためにどういう順序を踏めばいいのか分からなかった。
うーんと的確な言葉を探しながら壁にもたれる。
今日の私は好きにいつまでも寛いでいればいいけど、鬼灯くんは切り上げて戻らなければならないだろうに。困ったなあ。
そこでようやくしっくり来る物を見つけて顔を上げ、隣の彼に手柄を見せびらかしでもするかのように嬉々として説明した。
「そうそう、鬼灯くんがいきなり泣きだしてびっくりしちゃったみたいな」
「何も上手いことは言えてない」
「い、いたい!」
閃いた!という風に指さしながら口にすると、じろりと睨まれ、次いで足を踏まれた。
さすがに骨は砕けていないし筋も痛めていない。でも手加減されてるといっても痛いは痛い。ヒビくらいは入ったんじゃないかと思うような激痛だった。
痛くて咄嗟に蹲る私を冷めたように見下ろしていた。血も涙もない。
閻魔殿の前を行きかう獄卒がぎょっとして振り返っていて、針の筵の気分だった。
「分からないことなんて、そりゃあいくらでもあるでしょうね」
「私もまさか足踏まれるなんて思わなかった。殴られるかと思った」
「誤解を招く言い回ししないでくれませんか」
殴られる…訂正、制裁を加えられるにしたってゲンコツかなーと思ってたのに踏まれるなんて。
昔から脛を蹴られたり膝蹴りされたりしょっちゅうだった。そこに手加減はあっても容赦はない。
鉄槌を下さないという選択肢が鬼灯くんの中にないのだ。
しゃがんで薄ら痛む足の甲を撫でながら物思いに耽る。
そう、半ば予想できていたことだった。こんなこと言ったら怒られそうだなーと分かってた。
それでも抗えず口にしてしまった訳だけど、痛い鉄槌まで下されるかどうかは半々だなと予想していた。
そんな風にだいたい分かることもあれば、未ださっぱり分からないこともある訳で。
「その座り癖いい加減直しなさい、だらしない」
「あ、うん」
頭上から厳しい声振ってきて、ぱっと足から手を離して立ち上がる。
昔から何かあるとついしゃがみこんでぼーっとしてしまう癖が治らない。
痛みに悶えてる訳ではなく、考え事を始めたのだとお見通しなようだった。
私は鬼灯くんがしたそれと同じように、どこか見通したつもりでいたのだ。
男神が泣くものだとは思っていなかった。まるで弱味などないのだと思い込んでいた。
…そんなはずはなかったんだけど、なんだろう。漠然と焦燥にかられる。
「鬼灯くんも泣く事ある?」
「さあ。先のことなんてわかりませんけど。私だって泣くときくらいあるでしょうね」
「……鬼灯くんがそう言うなら、もうなんでもあり得そうな気がしてきた」
あの男神が泣こうが笑おうが、弱かろうが強かろうが。
それこそ先のことなんて何もわからないし、なんだって起こり得るだろうと納得する。
先手を打って頭を庇ってみたけど何も起らなかったので、思わず肩を落として脱力した。
起き上がる気力がなくてしばらく項垂れていると。
「…やっぱり具合悪そうですね」
「なにが?」
「いや、顔色が悪いから」
じっと目を凝らして見られ、さっきと同じことを重ねて言われた。
一度は私の考え事をしているという答えに納得したものの、腑に落ちなかったらしい。
もしずっと違和感を覚えていたというなら、病人(仮)に優しくするという選択肢を持てなかったんだろうか。豪胆だなあ。躊躇なく制裁を加えられた。
ぺたりと頬や額を触ってみるけど熱くも冷たくもない。たぶん平熱。
でも、確かに気怠い感じはあるかもしれない。
「そう?出かけて疲れちゃったかな」
「…いや、やっぱり顔色がいい」
「ええ、どっちなの?」
「さあ?」
「さあって」
鏡なんて持っていないので顔色がどうこうの真偽はわからない。結局鬼灯くんの判断頼りになるんだけど。
「私、具合悪いのかなあ」
うーんと首を傾げて唸ると、いやいやと首を横に振って否定された。
「そんなこと私に聞かれても困りますから」
「言い出したの鬼灯くんでしょ」
確かに普通そうかもしれないけど、言いだしっぺがそんなあっさり丸投げするなんて。
この子の相変わらずの気まぐれにさっきとは違う意味で脱力して、くるりと背を向けて踵を返す。
向かう方向はすぐ傍、閻魔殿の入り口に続く短い階段だった。
その付近の壁に二人してもたれていたのでそこまでそう距離はない。
「もーいい、ばいばい」
「はいさようなら」
素っ気なく別れを告げると、丁寧に手を振りながら挨拶を返されて、これは半分嫌味だろうなあと思いつつもちゃんと振り返しておいた。ほんと意地悪。
確かになんだか重たい足を持ち上げながら階段を上りきり、中に入りこんで通路を歩いた。
未だにあの子のことが分からない、何をしでかすのか分かったものではない。予測がつかない。
でも多分そういうものなんだろう。きっとあっちだって私のことなんて全て分かってはいない。まさかこんな馬鹿なことしでかすとは思ってもいなかったとか想いながら、日々呆れて過ごしているだろう。
ずっと先読みでもしようと考えていたら疲れちゃいそう。部屋に帰って早く休もう。
3.地獄─予測
天国から地獄へ戻り、慣れた道を辿る。忙しなく人が行きかっているのを横目に入れながら歩を進め、そのまま閻魔殿に入ろうとすると、建物のすぐ前に見知った影がふたつあるのを見つけた。
あちらも近づいてきた私に気が付いたようだった。視線をこちらにやると、あっと表情を変えた。
「ああ、ちょうどいい所に」
パッと声色を明るくして私を手招いたのは、木霊さんだった。その隣には鬼灯くんが佇んでいる。
死んで鬼になってあの世にやってきて、一番初めに私達が出会ったのが彼だった。大昔から変わらない風貌をしている。
初対面の頃は同じくらいだった背丈も、いつの間にか追い抜かしてしまった。
頻繁に会うわけじゃないけれど馴染みはとても深い。ある意味誰よりも親しみを覚えている彼に手を振りながら近づいた。
「なんだか久しぶりですね」
「ええ、さんはお元気でしたか」
「はい、なんとか。…木霊さんはお疲れみたいですね」
「いやあ、それが…」
どこか具合悪そうに青ざめている様子が気になって問いかけると、木霊さんは言葉を濁した。
今日は地獄に避難してきたのだと聞かされてなんとことやらと首を傾げると、更に詳しく説明してくれた。
今日一日閻魔庁を歩き回ったそうだ。その理由を木霊さんは少しだけ覇気なく語った。
「…花粉症?」
「はい。今色々聞いて回ってきた所なんです」
強風が吹き荒れる現世。やってくる春一番。
花粉が舞い踊る現世ですごすことに、花粉症の木霊さんはとうとう耐えられなくなり、地獄へ避難してきたらしい。
アレルギーを持っていない鬼灯くんとはどうも痛みを分かち合えずもどかしい思いをしたようで、庁内をぐるっと視察をして回る鬼灯くんに同行して、各所でアンケートを取ってきたそうだ。
「さんにも聞こうと思ったですけど、今日はお休みだったようで」
それを聞いて苦笑した。男神との約束を果たすために、あらかじめなんとか休みをもぎ取っておいたのだ。
記録課まで足を運んで回った際、探してくれたようだけど、そこは鬼灯くんが今日は不在だと説明してくれたのだろう。
今回はいつもより長居をしすぎてしまったから、決められた期限内に帰れるかと心配したけど、なんとか帰れて安心した。
「さんはアレルギーとか何か持ってますか?」
「アレルギーかあ…」
葉鶏頭さんは仙桃を食べると咳が出るとか(煮れば平気)、唐瓜くんは鼻炎持ちと敏感肌と、お香ちゃんの同僚にはヤモリとか、野干の毛が駄目な子がいるとか、先端恐怖症や金属アレルギーを持つひとが居るとか。
色々な例を聞けたようだ。几帳面に調査表も作ってある。
亡者と鬼・妖怪で区別されているそれを覗かせてもらうと、正の字の黒でびっしり埋まっていた。
へえー花粉症ってあの世に来たらなくなった人もいるんだ。あの世は花粉症の人にとっては楽園に思える場所なのかもしれない。
うわあ花粉以外の要因の項目が凄い奇天烈だ。
亡者の骨とフグ毒ってどういうことなんだろう。アレルギーっていうか毒は毒なんじゃ。
脳吸い鳥の卵とか、奇抜なタイトルの他にも、小麦や果物やハウスダスト・ダニといった真っ当なものも並んでいた。
…あっちを奇抜でこっちを真っ当と判断してしまうのは人間の感性なんだろうなあ。でも血の池の鉄分って何なのどうなのと思っちゃう。
私は閉所恐怖症も持っていないし高所恐怖症持ってないし。
「えーと、喉が弱いのと、肌が弱いのと、桃が駄目なのと…」
あとなにかあったっけと呟くと、傍らで話の成り行きを見守っていた鬼灯くんがいやいやと手を振って否定した。
「あなたはアレルギーらしいアレルギー持っていませんよね。桃も苦手意識があるってだけで」
「あ、うん、そうかも。そうでした」
指折り数えて羅列してみるも、鬼灯くんに全て訂正された。
確かに桃でアレルギーを引き起こしていたのは一度目の人生の時の身体だけだ。
その頃の経験を引き継いでたから、鬼になってからも食べることに抵抗意識を持っていた。
喉が弱いとか肌弱いのもそうだ。先入観を持っているせいで過敏になっているのか、痒いとか痛いとか僅かな錯覚を起こしているだけで、実際は大した症状は出ていない。
木霊さんが不思議な問答を繰り広げられて困惑していた。無意味に話をひっかき回してしまって申し訳ない。
「まァ身体の基礎が変に弱いみたいですけど」
「ああ、さんはそうでしたね」
すぐに気持ち悪そうにして伏せる私のことを木霊さんも知っている。身体ではなく精神的な所が原因だとは言えず、苦く笑ってお茶を濁した。
どういう風に気に病んでるんだと言われても今更上手く答えられないし。
幸運なことに、今世ではある意味頑丈で健全な身体を持っているのだ。
アレルギーもないし身体も弱くない。体力も平均値はある。敏感肌でもなければ動物アレルギーもない。苦手な食べ物もそんなにないし、理想的な健康体に恵まれている。
「鬼のアレルゲンが現世の基準と近いようで遠くて…」
フグ毒のアレルギーってどういうことですかと青ざめながら木霊さんは問い掛けた。
やっぱり気になる所だよねと傍らでうんうんと頷く。鬼灯くんはなんてことないように答えた。
「フグ毒を食べすぎてかぶれる鬼とか、最近多いですよ」
「…昔は平気な鬼が多かったんですか…?」
「うそすごい」
「すごいって」
なんで鬼が驚いてんだと鬼灯くんにじろりと見られた。でも私はなんで鬼は平気なんだと問いたい。
頑丈で強いからかな。関係ある?そんな単純?理屈がよくわからない。
「地獄も環境は昔と違いますからねえ。色んな問題が新しく出てきますよ」
「…」
鬼灯くんがしみじみ言うと、木霊さんは沈黙した。
確かに目まぐるしく環境も常識も価値観も変わっている。…ようだ。
最近になってようやく周りを見ないフリをやめたから、よく分かってないんだけど
私が目の前の仕事に没頭している間に、鬼の間でフグを食らうことが流行った。そしてフグアレルギーを発症していた。そんな風な移り変わりが数多くあったんだろう。
あの調査表をみてもピンと来なくて、まるで他人事なにしか思えないのは、私の感覚が未だどうこうとかじゃなく、時間感覚がぐちゃぐちゃになったまま過ごしていて認識が鍛えられなかったせいかもあるかもしれない。
「そうですね。私だけではないですよね。大騒ぎしてお恥ずかしい」
「いえ」
花粉症は相当辛いと言うし、嘆きたくなるのも無理はないだろうけど。
身体が辛いというだけでなく、気分も滅入るだろう。恥ずかしいとそこまで縮こまらなくても気持ちは察することが出来る。
「私山へ帰ります。しばらくイワ姫の社にでもいて…ちゃんと山を見守りながら花粉と戦います。木との戦いです」
決意を固めた様子で、強い意志のこもった言葉を発した。木の精が真剣に戦う相手が花粉だなんて世知辛い世の中だ。…世知辛いで済ませられる話なのかなあこれは。
「医者にでも行った方がいいですよ」
「そうですね。薬もらいます!お騒がせしました!」
木霊さんはこちらに向かってぺこりと頭を下げる。
丁寧な所作の後、柔らかく声をかけてくれた。
「風邪を引かないようにきちんとしてくださいね。無理もしないように」
「はあい」
母のように優しい言葉を差し出し去っていく木霊さんの背中に、手を振って見送った。
本当に子供の頃からの付き合いで、私達二人…特に私の不安定な成長をハラハラしながら応援してくれていた。
木の素直で伸びやかな成長速度を誰よりも知っている木霊さんだからこそ、あのめちゃくちゃさは歯痒くて地団駄でも踏みたくなったのかもしれないなと思った。
一方的に親しみを覚えてるだけでなく、木霊さんの方も昔から親しんでくれていたのだ。
名残惜しそうにしている私の方を振り返り、鬼灯くんが言葉を重ねた。
「…それで」
「うん?」
「あなたは今日、病気なんですか」
「え?……あー」
脈絡のないことを隣から投げかけられて、暫く思案してしまった。鬼灯くんは多分、なんだか元気がないんじゃない?と聞きたいんだろう。
なんて分かり辛い言い回しをするのか。首を振って否定した。
「別に元気だけど…」
「けど」
「なんか…色々大変だなあ、わからないなあって考えて」
「聞いてるこっちが分からない」
そうだろうなあと思う。鬼灯くんも中々意味が分からない言い回しをしたけど、私のは言い方が云々の話ではない。会話が成立してない、説明になっていない。
「付き合いが長くても分からないことって沢山あるねって。木霊さんが花粉症だなんて知らなかったし」
「まぁ、普通木の精が花粉症だなんて思いません」
「大変だよね」
己との戦いだと言っていたけど、本当にしんどい戦いだろうなあ。
山を拠点にしていてそれって、動物や虫や土や緑色が苦手ってくらいの致命傷だ。
ど真ん中につっ立って陣取っていても通行の邪魔だろうと、建物の傍へと移動しながら話した。
「…怖い物なんてなさそうな人が泣くから、なんか、びっくりしちゃって…」
驚きの余韻を引きずっているのも手伝って、綺麗に言葉にならなかったし、上手く説明でするためにどういう順序を踏めばいいのか分からなかった。
うーんと的確な言葉を探しながら壁にもたれる。
今日の私は好きにいつまでも寛いでいればいいけど、鬼灯くんは切り上げて戻らなければならないだろうに。困ったなあ。
そこでようやくしっくり来る物を見つけて顔を上げ、隣の彼に手柄を見せびらかしでもするかのように嬉々として説明した。
「そうそう、鬼灯くんがいきなり泣きだしてびっくりしちゃったみたいな」
「何も上手いことは言えてない」
「い、いたい!」
閃いた!という風に指さしながら口にすると、じろりと睨まれ、次いで足を踏まれた。
さすがに骨は砕けていないし筋も痛めていない。でも手加減されてるといっても痛いは痛い。ヒビくらいは入ったんじゃないかと思うような激痛だった。
痛くて咄嗟に蹲る私を冷めたように見下ろしていた。血も涙もない。
閻魔殿の前を行きかう獄卒がぎょっとして振り返っていて、針の筵の気分だった。
「分からないことなんて、そりゃあいくらでもあるでしょうね」
「私もまさか足踏まれるなんて思わなかった。殴られるかと思った」
「誤解を招く言い回ししないでくれませんか」
殴られる…訂正、制裁を加えられるにしたってゲンコツかなーと思ってたのに踏まれるなんて。
昔から脛を蹴られたり膝蹴りされたりしょっちゅうだった。そこに手加減はあっても容赦はない。
鉄槌を下さないという選択肢が鬼灯くんの中にないのだ。
しゃがんで薄ら痛む足の甲を撫でながら物思いに耽る。
そう、半ば予想できていたことだった。こんなこと言ったら怒られそうだなーと分かってた。
それでも抗えず口にしてしまった訳だけど、痛い鉄槌まで下されるかどうかは半々だなと予想していた。
そんな風にだいたい分かることもあれば、未ださっぱり分からないこともある訳で。
「その座り癖いい加減直しなさい、だらしない」
「あ、うん」
頭上から厳しい声振ってきて、ぱっと足から手を離して立ち上がる。
昔から何かあるとついしゃがみこんでぼーっとしてしまう癖が治らない。
痛みに悶えてる訳ではなく、考え事を始めたのだとお見通しなようだった。
私は鬼灯くんがしたそれと同じように、どこか見通したつもりでいたのだ。
男神が泣くものだとは思っていなかった。まるで弱味などないのだと思い込んでいた。
…そんなはずはなかったんだけど、なんだろう。漠然と焦燥にかられる。
「鬼灯くんも泣く事ある?」
「さあ。先のことなんてわかりませんけど。私だって泣くときくらいあるでしょうね」
「……鬼灯くんがそう言うなら、もうなんでもあり得そうな気がしてきた」
あの男神が泣こうが笑おうが、弱かろうが強かろうが。
それこそ先のことなんて何もわからないし、なんだって起こり得るだろうと納得する。
先手を打って頭を庇ってみたけど何も起らなかったので、思わず肩を落として脱力した。
起き上がる気力がなくてしばらく項垂れていると。
「…やっぱり具合悪そうですね」
「なにが?」
「いや、顔色が悪いから」
じっと目を凝らして見られ、さっきと同じことを重ねて言われた。
一度は私の考え事をしているという答えに納得したものの、腑に落ちなかったらしい。
もしずっと違和感を覚えていたというなら、病人(仮)に優しくするという選択肢を持てなかったんだろうか。豪胆だなあ。躊躇なく制裁を加えられた。
ぺたりと頬や額を触ってみるけど熱くも冷たくもない。たぶん平熱。
でも、確かに気怠い感じはあるかもしれない。
「そう?出かけて疲れちゃったかな」
「…いや、やっぱり顔色がいい」
「ええ、どっちなの?」
「さあ?」
「さあって」
鏡なんて持っていないので顔色がどうこうの真偽はわからない。結局鬼灯くんの判断頼りになるんだけど。
「私、具合悪いのかなあ」
うーんと首を傾げて唸ると、いやいやと首を横に振って否定された。
「そんなこと私に聞かれても困りますから」
「言い出したの鬼灯くんでしょ」
確かに普通そうかもしれないけど、言いだしっぺがそんなあっさり丸投げするなんて。
この子の相変わらずの気まぐれにさっきとは違う意味で脱力して、くるりと背を向けて踵を返す。
向かう方向はすぐ傍、閻魔殿の入り口に続く短い階段だった。
その付近の壁に二人してもたれていたのでそこまでそう距離はない。
「もーいい、ばいばい」
「はいさようなら」
素っ気なく別れを告げると、丁寧に手を振りながら挨拶を返されて、これは半分嫌味だろうなあと思いつつもちゃんと振り返しておいた。ほんと意地悪。
確かになんだか重たい足を持ち上げながら階段を上りきり、中に入りこんで通路を歩いた。
未だにあの子のことが分からない、何をしでかすのか分かったものではない。予測がつかない。
でも多分そういうものなんだろう。きっとあっちだって私のことなんて全て分かってはいない。まさかこんな馬鹿なことしでかすとは思ってもいなかったとか想いながら、日々呆れて過ごしているだろう。
ずっと先読みでもしようと考えていたら疲れちゃいそう。部屋に帰って早く休もう。