第五十話
3.地獄─信仰心
月に一度の集い。
今回は比較的ゆとりを持ちながら、休日に男神の所に向かっていた。
彼の住処は天国にあるので、地獄から直行するという訳にもいかず、いつの頃からか随分手間がかかるようになった。
だいたいは慌ただしく急ぎ足で向かうけれど、たまにのんびりと天国を散策する余裕もある月がある。天国の陽気と共にゆっくり流れるこういう日の穏やかさが好きだった。
「あれ、ちゃんだ!久しぶりに会ったね〜こんな所でどうしたの?」
「あ、白澤さん、桃太郎さん」
「ほんと、こんな辺鄙な所で会うなんて珍しいですね」
暗闇の中にぼんやり明かりが灯るような地獄とは違い、天国は隅から隅まで光満ちていてまぶしい。空には太陽が浮かんでいる。
そんな当たり前の光景が当たり前ではなくなり、逆に燦々と輝いているこの光景の方が違和感になってしまった。
なんだか目に痛いなと瞼をこすっていると、向かいから知った顔が歩いてくるのが見える。
こういうのはよくあることで、何千年も通っていれば最早顔見知りになっている天国の住人も、神々もいるくらいだった。
しかし彼は大昔から知っている人とは言っても、再会したのはほんの最近のあまり付き合いのないひと…白澤という神獣だった。
後ろには同じく知り合ったばかりの桃太郎さんもいる。座敷童と一緒にお人形を見たとき以来の顔合わせだ。
「お二人も、こんな所を歩くなんてなんだか珍しい……あれ、もしかしてよく使うんですか?」
「いや、俺もここの路地あんまり通らないし」
「僕も使わないかなー。大通りばっかり使うね。その方が近いし」
「私はよく通るんですけど…、」
閑散としている、天国にしては彩も少なく、所々影の落とされた長い一本道だった。
民家も何もなく、ただ緑豊かな景観が一望できるだけ。
へえーそうなんですねと納得したように頷いている桃太郎さんとは逆に、白澤さんへへーんと何かひらめいたような顔をした。
「ちゃん、どこか行く場所あるんでしょ」
「イヤ、そりゃあるでしょ」
出かけるからには行く先くらいあんだろ、何言ってんだアンタと胡乱げに桃太郎さんがみていた。
とりあえずその通りだったのでうんうんと頷く。
「でもいつも使ってるこの道、最短ルートじゃなくて回り道してるんじゃない?」
「…よくわかりましたね」
「えっなんでそんな面倒くさいこと…ていうかなんでそんなことわかったんですか」
ほんとなんですか?と桃太郎さんが半信半疑に訪ねてきた。言い当たられた驚きを隠せないままうんうんと肯定する。
「そうです。鬼灯くんが調べてくれた道使ってます」
やっぱり…と嫌そうな顔をしていた。声もいつも穏やかで陽気な白澤さんらしくなく険しく刺々しい。本当に仲が悪いんだなあと苦笑する。
「遠回りとか、鬼灯さんもなんでそんなこと…普通進めるなら近道じゃないすかね」
「あいつ、ちゃんを僕みたいな神様に会わせたくないんだよ。この辺だったら…多分華美な神々は通らないだろうね」
「へえ…?」
使い勝手が悪い天国らしくない路地を見渡しながら、桃太郎さんはよくわからなそうにしていた。
私もなんて説明していいのか…話せば長くなるどころではない経緯なので、申し訳ないけど説明は諦める。
「ここ以外にも何個かあるんですよ。季節とか時間帯によって使い分けろって」
ここは今の時期、今の時間帯に通りなさいと進められたルートだった。
遠回りだろうがなんだろうが意味のあることなんだろうと思い、深く考えず使っていたけど。
雪は比較的積もらなかったり坂がキツくなかったりと、使いやすい道なんだと気が付いて、有難く思いながら使わせてもらっていた。
そして通りかかる天国の住民も神々も穏やかな人ばかりで…というか天国の民に性質の悪い人なんていないんだけど、普通以上に居心地が良い。
好意だと捉えていたので、あからさまに顔を顰めて拒絶されるとは思わなかった。
「…あいつキモッ!!」
…きもい?はて?とその反応に拍子抜けしていると、桃太郎さんは呆れたような顔をしていた。あまりに脈略がなかったので、何か言いがかりをつけ出した思ったらしいけど、その先を聞くと口元をひきつらせた。
「いつどこでどの時間帯でどういう意図で誰が通りかかるとか気が遠くなるくらい細かい下調べしてんだよ?アイツきもちわるッ!ていうかもうコレ怖くない!?ホラーじゃない?!女の子的にそれどうなの?」
「それは…まあ…」
桃太郎さんは青ざめて引いた顔をして、しかし私の前で親しい人を否定していいものかと思ったのか、顔をそらせてもごもご言っていた。
別に気にしなくていいのに。本当に気遣いの人だなあ。
「凝り性なの昔からなので」
「いやいや!?鬼灯さんの行動、なんでも凝り性で済ませるのやめた方がいいじゃないすか」
何度か会って、私が鬼灯くんの突飛な行動を適当に流している様を見てか、首をぶんぶん振りながら食い気味にストップをかけてきた。
そうは言っても鬼灯くんの恨みの深さも凝り性も、普通とはちょっとズレた感性も相当昔から理解した上で付き合ってきたのだ。
この程度で…って言って流していいのかわからないけど、このくらいのことで動じていたらやってられない。
「でも、なんか、うん…仲いいんですね鬼灯さんと」
「そうだね。仲いいと思うよ。喧嘩らしい喧嘩したことないかも」
怒られたこと呆れられたことなんて星の数ほどあるけど、あれを喧嘩と言うのは少し違う気がした。
素直に首肯すると、あー…うーんと少し言いづらそうにして暫く言葉を探していて、そんな姿を見かねたのか白澤さんが代弁するかのように聞いてきた。
「ちゃんアイツの恋人なの?今からでも遅くないよ僕にしない?僕こんな風に悪趣味に女の子束縛ったりしないよ」
「最低な特攻しかけたなお前!!」
聞きたかったことはどうやら桃太郎さんも同じらしいけど、こんな切り込みを入れるつもりではなかったらしくギャア!と叫んでいた。
「違いますよー。恋人じゃないし」
「ち、違うんですか…あれで…?」
「幼馴染みたいな感じで」
「あ、それは聞いたことある。アレほんとだったんですね」
「アイツの方はどー思ってんだかね」
「もーアンタは…」
いちいち難癖つけてかかるのやめろと桃太郎さんが母親のような口ぶりで宥めると、白澤さんもようやく怒りを収めてくれたようで、鬼灯くんから離れた話題に切り替えようとしたのか他愛のない雑談を口にした。
…の、だけど。
「あーあ、いいなあ。僕も美味しいもの食べたい」
「…美味しいもの?」
白澤さん相手に限らず、神様と話すことはいつも天気の話題だの流行りの店がどうのとその、ほんの些細なものばかりで困ったことはなかったけれど、今回はよく分からない切り出し方をされた。なんのことだろう。
「美味しいものなんて食べ放題じゃないですか?天国」
天国といったら美味しいもの沢山、食べるにも過ごすにも困らない楽園という印象がある。ずっと地獄暮らしをしていて天国に観光に行くことも片手で数えるほどしかなく、その実体はぼやんりとしていたけど。
欲がないからこそ天国にいるんだし、何かをいいなー羨ましいなーと思うことはないと思っていた。白澤さんは女の人に目がないという欲を抱えてるらしいけど。
舌も肥えているんじゃないかな。神様たちが絶賛するものっていったいどんなだろう。
「そうじゃなくて、きみの」
「…私の?」
「独り占めするのズルいよねー羨ましいよねーって話」
「はあ…うん…」
脈絡もなく唐突な話題であり、相手もちゃんと説明する気がないというか主語もないというか。
本当になんのことを言っているのかわからなくて困ってしまった。
部下である桃太郎さんになら伝わっているのだろうかと視線を向けると、それに気が付いて首を横に振っていた。彼にも全然伝わっていないようだ。
「信仰心」
「…え?」
「きみが生み出す想いはとっても美味しいでしょ」
やっと説明はくれたはよかったけど、理解には及ばない。思いもよらない言葉だ。
「…信仰心?」
「そう」
「私が崇めてる?」
「そうだよ」
私が崇めているだどいうのなんて話になったら、聞かなくても誰を?と想像するのは難くない。心当たりはあるといえばある。
なぜ白澤さんがそんな事情を知ってるんだろう。さすが知識の神様は物知りで凄いなと考えたけど、絶対そういうことではないんだろうな。
神様の情報交換事情がどうなっているのか鬼の私にはよくわからない。
「…そりゃあ、神様だから、敬いながら通って接してましたけど」
信仰心というほど仰々しいものを抱えていただろうか。そこまで恭しく接していただろうか。
よく分からないといった表情をしていた桃太郎さんも、ピンと来ないながら、私が通っているのは神の元だったのかと事情を少し理解したようだった。
「一人で何百何千分も補えるなんて、そんなの美味しいに決まってるじゃない」
「…補えるって」
これ一本で野菜一日分みたいな。言葉の綾で、実際の数字なんてわからないだろうけど。
そんな話を交わしていると、ハッと時間の経過に気が付き、そろそろ行かないとと背中を押した桃太郎さんに急かされ、白澤さんは名残惜しそうにしながら去って行った。
今日は普段山奥にこもっているとある客の元に訪問しに行くのだと言っていた。
白澤さんは店を構えているし、訪問して薬を煎ずることなど…しかもこんな辺境まで足を運ぶなんて早々にない事らしく、今までずっと会わなかったとのことだった。
私はいつも通り使い慣れた道を通り男神の元へと向かう。
特殊な仕事が入らなかったら、おそらく彼らとは永遠に会わなかったルートなんだろう。
さすがにこんな細かい用事ができるなんて予想はできなかったんだろうけど…凝り性では済まされない精度なんだろうなとは思う。
引くことはなかった。ただまた変なことしてるなあと思った。
「…今日通りがかりに言われたんだけど」
いつも通り社にたどり着いて一息つき、巻物を広げて石畳の上に座りこんでいた男神に視線をやった。
そわそわとしながら気になっていたことを問いかける。
言うと、うんと頷いて先を促したのでその続きを語った。
「私がここにきて、話したりして…その…あなたへ想いを捧げる形になってるって…本当?」
恐る恐る言うとドッと笑った。笑われるのはいつものことだけど、いつもよりおかしそうにしている。今更そんなことを聞くのかと拍子抜けしてもいた。
「お前が暴れ回ったとき、丁度いいと思って」
笑いの波がやっとおさまった頃、静かに語り出した。
暴れ回った時というのは、初対面のあの日、殺されかけた時のことだろう。
満身創痍になるまで足掻いた。四肢をバタつかせもがいた。
いや致命傷を与えたのは帰宅後の鬼灯くんだったけど、全身傷だらけで酷い怪我を負ったのだ。
「…ちょうどいいって何が?」
「思っていたよりお前の気性は荒かった。思いが強かった。それこそ糧にできるほどに」
神など、人の想いを食っているようなもんだろうという。
「信教されない神に存在する価値などない。人がいてこその神だから」
少なくとも俺はそうだったと男神は笑った。
そうしなければ保てない、情けないものなのだと、自嘲的なことを言う割にはカラりとした調子で。
「…だから笑えとか、喜べとか泣けとか、そういう行動しろって言ってたの」
「別に、それだけが全部ではないけど」
全部でないなら、これ以上他に何があるんだとは聞き難かった。
思いを食うという発言を聞くに、私の思いがどんな種類であれ、どういう意図で発せられたものであれ、彼という神への信仰心という形に変貌して実利になっていたのだろう。
しかしそれは誰にでもできることではなく、何でもいい訳ではなく、あの日量と質を兼ね備えられた私を見つけたのだ。
その片鱗をみつけた男神は殺す事をやめて、ここへ呼び寄せることにした。
気に食わないと思っていた人間の想いは薄い所か執念とも呼べる濃厚なものだったのかもしれない…だったら語らせよう。想いを食おう。効率がいい。てっとりそれを使って早く永らえようと。
そういうことだったのかと腑に落ちた。なぜ急に止めたのかと謎に思っていたけど、それなら納得がいく。
私に情けが湧いたのではなく、自分のためになることだと気が付いたからひらりと掌を返せたのだ。
その方針をかためたのも、あの瞬間であったことにも納得がいった。急に何故だったのか?と悶々としていたけど、私が暴れ回らなければ男神はその素質に気が付けなかった。
きっとあのまま殺されて全ては闇の中に消えていたのだ。
「……今まで知らなかった」
「聞こうとも思わなかっただろう」
「そうだけど」
確かに聞くことを躊躇っていた。あの時なぜ私は殺されそうになったかなんて、知るのは怖かった。
知らないままでいられるならそれでもいいと思っていたし。交流する上で必要なのはあの時の殺意の理由を知る事ではない。
実際知った今も、知らなくて何も支障はなかったんだと思ってる。
私達が話し合う上で、前提に置かれる必要ないものだった。
「何もかも言われるがままだった」
「…」
それでも、なんで教えてくれなかったんだろう、意地が悪いなと思ってしまったけど。
それに返す言葉もない、ごもっともってやつだった。相手も話さない、私も聞かない。どっちもどっちだ。
「…あなた人嫌いだからなあ」
けれど一体なんでそんなことをする必要があったのか。一瞬不審に思ったけど、最初出会った時から身を隠すようにしていたのを思い出す。
参拝者が自分のテリトリーにごった返すのを嫌に思ったのかもしれない。神々の集いにさえ嫌々顔を出すような始末だった。
この男神は当時、決して人望のない忘れられた神ではなかった。
でも、一人の効率のいい想いだけで事足りるなら、ぜひとも利用したいと思ったんだろう。
それを知らずに相手は神だから、勝てることなどないから、縛られてしまえば口応えなど無駄なのだと何も聞かないまま、体よく使われ続けて今日にいたると。
「普段暇じゃない?」
普段私以外は誰も訪れず、静かな場所は寂しくないのか、退屈ではないのか。
でも、人嫌いで同族嫌いの神様には逆に居心地がいいのかな。
眷属はいるらしいけど、中々姿をみせたがらない。
「最近は暇だな」
「最近はってことは、何千年は暇じゃなかったんだ」
人間的な感覚で見れば、私が出会ってからの何千年という時間は果てしないものだと思うんだけど、日々黄昏れているだけで満足に過ごせたなんて。
ここには沢山の書物もある。けれどもう何度も読んだものばかりだろう。新鮮味はきっとない。
それで満足だったらそれでいいんだけど、暇になっちゃったなら問題だね。うーんと唸る。
そもそも神様が嗜む趣味ってなんだろう。時間潰しにすることって何?
白澤さんは女の子と過ごすのが趣味らしいけど、この男神が他者と…ましてや女の子と過ごすのが楽しみになるなんて思えない。もしかしたら今後そうなるかも?なんてのそんなび代を期待するだけ無駄な気がする。
「せめて私がもっと長くいられたらいいけど」
「言うようになったな」
発言ひとつすることさえ躊躇い臆病になっていた頃と比べたら気さくで、友達にでも接するように付き合うようになってる。
他の神々とはある程度距離を置く様になってるのとは逆にこの男神とは仲良しっぽくなっていた。
体よく使っていたんだという動機を聞いても、溜息一つで流せてしまった。
理不尽だということは最初から感じていたことで。許す許さないとか、憤りも今更だ。
いくら私に彼が気に食わない何かがあったんだとしても、そのせいで殺されるなんて納得できるはずがないし。けれど昔も今も納得できないままでそれでいいだろう。
「自分を殺そうとしたモノへの心配も、傍にいる時間を増やそうとすることも、おかしいと思わないのか」
「…今更じゃないのかなあ。時効っていうのかな…」
少なくとも私の中では。
鬼灯くんは恨みをあっさり消すタイプではないので、今でも快く思っていないみたいだけど。
私は流れ流されて逆らわず生きて、悩みも不安も何もとりあえず水に流そうという発想に至るタイプだったし、…まあ流しきれているかはともかくとして。
男神の暴挙を許さないという強い意志も憎悪も抱いていなかった。
「お前は流せば流すだけ、色んなことが水に流されてくれると思っているようだけど」
「…うん?」
「それは流されてくれず、抗おうとすることだってあるだろう」
「…うーん」
わかるようでわからない例えを持ち出されて曖昧に頷く。
水に流して忘れようと思っても忘れられない事もあるし。
もしそれが相手がいる問題事だったとしたら、相手次第でもあるし。
そういう事を言いたいんだとしたら、確かにそうだ。
「お前が話すと、そこに居ない者の心模様さえ見えてきて楽しい」
「…意地悪な顔してるね」
「そうか?…でもそろそろコレでは暇が潰れなくなってきた。潮時だな」
「そっか。次のネタが見つかるといいね」
提供した覚えのないネタでなんだか一人で盛り上がっていたようだし、これからも勝手に楽しみを見出してくれたらいいよと少し呆れ笑いを零した。
ふふと笑って何も言わなかった彼の姿をみた。少し覚えた引っかかりも、帰りの時間に急かされて掻き消されてしまった。
3.地獄─信仰心
月に一度の集い。
今回は比較的ゆとりを持ちながら、休日に男神の所に向かっていた。
彼の住処は天国にあるので、地獄から直行するという訳にもいかず、いつの頃からか随分手間がかかるようになった。
だいたいは慌ただしく急ぎ足で向かうけれど、たまにのんびりと天国を散策する余裕もある月がある。天国の陽気と共にゆっくり流れるこういう日の穏やかさが好きだった。
「あれ、ちゃんだ!久しぶりに会ったね〜こんな所でどうしたの?」
「あ、白澤さん、桃太郎さん」
「ほんと、こんな辺鄙な所で会うなんて珍しいですね」
暗闇の中にぼんやり明かりが灯るような地獄とは違い、天国は隅から隅まで光満ちていてまぶしい。空には太陽が浮かんでいる。
そんな当たり前の光景が当たり前ではなくなり、逆に燦々と輝いているこの光景の方が違和感になってしまった。
なんだか目に痛いなと瞼をこすっていると、向かいから知った顔が歩いてくるのが見える。
こういうのはよくあることで、何千年も通っていれば最早顔見知りになっている天国の住人も、神々もいるくらいだった。
しかし彼は大昔から知っている人とは言っても、再会したのはほんの最近のあまり付き合いのないひと…白澤という神獣だった。
後ろには同じく知り合ったばかりの桃太郎さんもいる。座敷童と一緒にお人形を見たとき以来の顔合わせだ。
「お二人も、こんな所を歩くなんてなんだか珍しい……あれ、もしかしてよく使うんですか?」
「いや、俺もここの路地あんまり通らないし」
「僕も使わないかなー。大通りばっかり使うね。その方が近いし」
「私はよく通るんですけど…、」
閑散としている、天国にしては彩も少なく、所々影の落とされた長い一本道だった。
民家も何もなく、ただ緑豊かな景観が一望できるだけ。
へえーそうなんですねと納得したように頷いている桃太郎さんとは逆に、白澤さんへへーんと何かひらめいたような顔をした。
「ちゃん、どこか行く場所あるんでしょ」
「イヤ、そりゃあるでしょ」
出かけるからには行く先くらいあんだろ、何言ってんだアンタと胡乱げに桃太郎さんがみていた。
とりあえずその通りだったのでうんうんと頷く。
「でもいつも使ってるこの道、最短ルートじゃなくて回り道してるんじゃない?」
「…よくわかりましたね」
「えっなんでそんな面倒くさいこと…ていうかなんでそんなことわかったんですか」
ほんとなんですか?と桃太郎さんが半信半疑に訪ねてきた。言い当たられた驚きを隠せないままうんうんと肯定する。
「そうです。鬼灯くんが調べてくれた道使ってます」
やっぱり…と嫌そうな顔をしていた。声もいつも穏やかで陽気な白澤さんらしくなく険しく刺々しい。本当に仲が悪いんだなあと苦笑する。
「遠回りとか、鬼灯さんもなんでそんなこと…普通進めるなら近道じゃないすかね」
「あいつ、ちゃんを僕みたいな神様に会わせたくないんだよ。この辺だったら…多分華美な神々は通らないだろうね」
「へえ…?」
使い勝手が悪い天国らしくない路地を見渡しながら、桃太郎さんはよくわからなそうにしていた。
私もなんて説明していいのか…話せば長くなるどころではない経緯なので、申し訳ないけど説明は諦める。
「ここ以外にも何個かあるんですよ。季節とか時間帯によって使い分けろって」
ここは今の時期、今の時間帯に通りなさいと進められたルートだった。
遠回りだろうがなんだろうが意味のあることなんだろうと思い、深く考えず使っていたけど。
雪は比較的積もらなかったり坂がキツくなかったりと、使いやすい道なんだと気が付いて、有難く思いながら使わせてもらっていた。
そして通りかかる天国の住民も神々も穏やかな人ばかりで…というか天国の民に性質の悪い人なんていないんだけど、普通以上に居心地が良い。
好意だと捉えていたので、あからさまに顔を顰めて拒絶されるとは思わなかった。
「…あいつキモッ!!」
…きもい?はて?とその反応に拍子抜けしていると、桃太郎さんは呆れたような顔をしていた。あまりに脈略がなかったので、何か言いがかりをつけ出した思ったらしいけど、その先を聞くと口元をひきつらせた。
「いつどこでどの時間帯でどういう意図で誰が通りかかるとか気が遠くなるくらい細かい下調べしてんだよ?アイツきもちわるッ!ていうかもうコレ怖くない!?ホラーじゃない?!女の子的にそれどうなの?」
「それは…まあ…」
桃太郎さんは青ざめて引いた顔をして、しかし私の前で親しい人を否定していいものかと思ったのか、顔をそらせてもごもご言っていた。
別に気にしなくていいのに。本当に気遣いの人だなあ。
「凝り性なの昔からなので」
「いやいや!?鬼灯さんの行動、なんでも凝り性で済ませるのやめた方がいいじゃないすか」
何度か会って、私が鬼灯くんの突飛な行動を適当に流している様を見てか、首をぶんぶん振りながら食い気味にストップをかけてきた。
そうは言っても鬼灯くんの恨みの深さも凝り性も、普通とはちょっとズレた感性も相当昔から理解した上で付き合ってきたのだ。
この程度で…って言って流していいのかわからないけど、このくらいのことで動じていたらやってられない。
「でも、なんか、うん…仲いいんですね鬼灯さんと」
「そうだね。仲いいと思うよ。喧嘩らしい喧嘩したことないかも」
怒られたこと呆れられたことなんて星の数ほどあるけど、あれを喧嘩と言うのは少し違う気がした。
素直に首肯すると、あー…うーんと少し言いづらそうにして暫く言葉を探していて、そんな姿を見かねたのか白澤さんが代弁するかのように聞いてきた。
「ちゃんアイツの恋人なの?今からでも遅くないよ僕にしない?僕こんな風に悪趣味に女の子束縛ったりしないよ」
「最低な特攻しかけたなお前!!」
聞きたかったことはどうやら桃太郎さんも同じらしいけど、こんな切り込みを入れるつもりではなかったらしくギャア!と叫んでいた。
「違いますよー。恋人じゃないし」
「ち、違うんですか…あれで…?」
「幼馴染みたいな感じで」
「あ、それは聞いたことある。アレほんとだったんですね」
「アイツの方はどー思ってんだかね」
「もーアンタは…」
いちいち難癖つけてかかるのやめろと桃太郎さんが母親のような口ぶりで宥めると、白澤さんもようやく怒りを収めてくれたようで、鬼灯くんから離れた話題に切り替えようとしたのか他愛のない雑談を口にした。
…の、だけど。
「あーあ、いいなあ。僕も美味しいもの食べたい」
「…美味しいもの?」
白澤さん相手に限らず、神様と話すことはいつも天気の話題だの流行りの店がどうのとその、ほんの些細なものばかりで困ったことはなかったけれど、今回はよく分からない切り出し方をされた。なんのことだろう。
「美味しいものなんて食べ放題じゃないですか?天国」
天国といったら美味しいもの沢山、食べるにも過ごすにも困らない楽園という印象がある。ずっと地獄暮らしをしていて天国に観光に行くことも片手で数えるほどしかなく、その実体はぼやんりとしていたけど。
欲がないからこそ天国にいるんだし、何かをいいなー羨ましいなーと思うことはないと思っていた。白澤さんは女の人に目がないという欲を抱えてるらしいけど。
舌も肥えているんじゃないかな。神様たちが絶賛するものっていったいどんなだろう。
「そうじゃなくて、きみの」
「…私の?」
「独り占めするのズルいよねー羨ましいよねーって話」
「はあ…うん…」
脈絡もなく唐突な話題であり、相手もちゃんと説明する気がないというか主語もないというか。
本当になんのことを言っているのかわからなくて困ってしまった。
部下である桃太郎さんになら伝わっているのだろうかと視線を向けると、それに気が付いて首を横に振っていた。彼にも全然伝わっていないようだ。
「信仰心」
「…え?」
「きみが生み出す想いはとっても美味しいでしょ」
やっと説明はくれたはよかったけど、理解には及ばない。思いもよらない言葉だ。
「…信仰心?」
「そう」
「私が崇めてる?」
「そうだよ」
私が崇めているだどいうのなんて話になったら、聞かなくても誰を?と想像するのは難くない。心当たりはあるといえばある。
なぜ白澤さんがそんな事情を知ってるんだろう。さすが知識の神様は物知りで凄いなと考えたけど、絶対そういうことではないんだろうな。
神様の情報交換事情がどうなっているのか鬼の私にはよくわからない。
「…そりゃあ、神様だから、敬いながら通って接してましたけど」
信仰心というほど仰々しいものを抱えていただろうか。そこまで恭しく接していただろうか。
よく分からないといった表情をしていた桃太郎さんも、ピンと来ないながら、私が通っているのは神の元だったのかと事情を少し理解したようだった。
「一人で何百何千分も補えるなんて、そんなの美味しいに決まってるじゃない」
「…補えるって」
これ一本で野菜一日分みたいな。言葉の綾で、実際の数字なんてわからないだろうけど。
そんな話を交わしていると、ハッと時間の経過に気が付き、そろそろ行かないとと背中を押した桃太郎さんに急かされ、白澤さんは名残惜しそうにしながら去って行った。
今日は普段山奥にこもっているとある客の元に訪問しに行くのだと言っていた。
白澤さんは店を構えているし、訪問して薬を煎ずることなど…しかもこんな辺境まで足を運ぶなんて早々にない事らしく、今までずっと会わなかったとのことだった。
私はいつも通り使い慣れた道を通り男神の元へと向かう。
特殊な仕事が入らなかったら、おそらく彼らとは永遠に会わなかったルートなんだろう。
さすがにこんな細かい用事ができるなんて予想はできなかったんだろうけど…凝り性では済まされない精度なんだろうなとは思う。
引くことはなかった。ただまた変なことしてるなあと思った。
「…今日通りがかりに言われたんだけど」
いつも通り社にたどり着いて一息つき、巻物を広げて石畳の上に座りこんでいた男神に視線をやった。
そわそわとしながら気になっていたことを問いかける。
言うと、うんと頷いて先を促したのでその続きを語った。
「私がここにきて、話したりして…その…あなたへ想いを捧げる形になってるって…本当?」
恐る恐る言うとドッと笑った。笑われるのはいつものことだけど、いつもよりおかしそうにしている。今更そんなことを聞くのかと拍子抜けしてもいた。
「お前が暴れ回ったとき、丁度いいと思って」
笑いの波がやっとおさまった頃、静かに語り出した。
暴れ回った時というのは、初対面のあの日、殺されかけた時のことだろう。
満身創痍になるまで足掻いた。四肢をバタつかせもがいた。
いや致命傷を与えたのは帰宅後の鬼灯くんだったけど、全身傷だらけで酷い怪我を負ったのだ。
「…ちょうどいいって何が?」
「思っていたよりお前の気性は荒かった。思いが強かった。それこそ糧にできるほどに」
神など、人の想いを食っているようなもんだろうという。
「信教されない神に存在する価値などない。人がいてこその神だから」
少なくとも俺はそうだったと男神は笑った。
そうしなければ保てない、情けないものなのだと、自嘲的なことを言う割にはカラりとした調子で。
「…だから笑えとか、喜べとか泣けとか、そういう行動しろって言ってたの」
「別に、それだけが全部ではないけど」
全部でないなら、これ以上他に何があるんだとは聞き難かった。
思いを食うという発言を聞くに、私の思いがどんな種類であれ、どういう意図で発せられたものであれ、彼という神への信仰心という形に変貌して実利になっていたのだろう。
しかしそれは誰にでもできることではなく、何でもいい訳ではなく、あの日量と質を兼ね備えられた私を見つけたのだ。
その片鱗をみつけた男神は殺す事をやめて、ここへ呼び寄せることにした。
気に食わないと思っていた人間の想いは薄い所か執念とも呼べる濃厚なものだったのかもしれない…だったら語らせよう。想いを食おう。効率がいい。てっとりそれを使って早く永らえようと。
そういうことだったのかと腑に落ちた。なぜ急に止めたのかと謎に思っていたけど、それなら納得がいく。
私に情けが湧いたのではなく、自分のためになることだと気が付いたからひらりと掌を返せたのだ。
その方針をかためたのも、あの瞬間であったことにも納得がいった。急に何故だったのか?と悶々としていたけど、私が暴れ回らなければ男神はその素質に気が付けなかった。
きっとあのまま殺されて全ては闇の中に消えていたのだ。
「……今まで知らなかった」
「聞こうとも思わなかっただろう」
「そうだけど」
確かに聞くことを躊躇っていた。あの時なぜ私は殺されそうになったかなんて、知るのは怖かった。
知らないままでいられるならそれでもいいと思っていたし。交流する上で必要なのはあの時の殺意の理由を知る事ではない。
実際知った今も、知らなくて何も支障はなかったんだと思ってる。
私達が話し合う上で、前提に置かれる必要ないものだった。
「何もかも言われるがままだった」
「…」
それでも、なんで教えてくれなかったんだろう、意地が悪いなと思ってしまったけど。
それに返す言葉もない、ごもっともってやつだった。相手も話さない、私も聞かない。どっちもどっちだ。
「…あなた人嫌いだからなあ」
けれど一体なんでそんなことをする必要があったのか。一瞬不審に思ったけど、最初出会った時から身を隠すようにしていたのを思い出す。
参拝者が自分のテリトリーにごった返すのを嫌に思ったのかもしれない。神々の集いにさえ嫌々顔を出すような始末だった。
この男神は当時、決して人望のない忘れられた神ではなかった。
でも、一人の効率のいい想いだけで事足りるなら、ぜひとも利用したいと思ったんだろう。
それを知らずに相手は神だから、勝てることなどないから、縛られてしまえば口応えなど無駄なのだと何も聞かないまま、体よく使われ続けて今日にいたると。
「普段暇じゃない?」
普段私以外は誰も訪れず、静かな場所は寂しくないのか、退屈ではないのか。
でも、人嫌いで同族嫌いの神様には逆に居心地がいいのかな。
眷属はいるらしいけど、中々姿をみせたがらない。
「最近は暇だな」
「最近はってことは、何千年は暇じゃなかったんだ」
人間的な感覚で見れば、私が出会ってからの何千年という時間は果てしないものだと思うんだけど、日々黄昏れているだけで満足に過ごせたなんて。
ここには沢山の書物もある。けれどもう何度も読んだものばかりだろう。新鮮味はきっとない。
それで満足だったらそれでいいんだけど、暇になっちゃったなら問題だね。うーんと唸る。
そもそも神様が嗜む趣味ってなんだろう。時間潰しにすることって何?
白澤さんは女の子と過ごすのが趣味らしいけど、この男神が他者と…ましてや女の子と過ごすのが楽しみになるなんて思えない。もしかしたら今後そうなるかも?なんてのそんなび代を期待するだけ無駄な気がする。
「せめて私がもっと長くいられたらいいけど」
「言うようになったな」
発言ひとつすることさえ躊躇い臆病になっていた頃と比べたら気さくで、友達にでも接するように付き合うようになってる。
他の神々とはある程度距離を置く様になってるのとは逆にこの男神とは仲良しっぽくなっていた。
体よく使っていたんだという動機を聞いても、溜息一つで流せてしまった。
理不尽だということは最初から感じていたことで。許す許さないとか、憤りも今更だ。
いくら私に彼が気に食わない何かがあったんだとしても、そのせいで殺されるなんて納得できるはずがないし。けれど昔も今も納得できないままでそれでいいだろう。
「自分を殺そうとしたモノへの心配も、傍にいる時間を増やそうとすることも、おかしいと思わないのか」
「…今更じゃないのかなあ。時効っていうのかな…」
少なくとも私の中では。
鬼灯くんは恨みをあっさり消すタイプではないので、今でも快く思っていないみたいだけど。
私は流れ流されて逆らわず生きて、悩みも不安も何もとりあえず水に流そうという発想に至るタイプだったし、…まあ流しきれているかはともかくとして。
男神の暴挙を許さないという強い意志も憎悪も抱いていなかった。
「お前は流せば流すだけ、色んなことが水に流されてくれると思っているようだけど」
「…うん?」
「それは流されてくれず、抗おうとすることだってあるだろう」
「…うーん」
わかるようでわからない例えを持ち出されて曖昧に頷く。
水に流して忘れようと思っても忘れられない事もあるし。
もしそれが相手がいる問題事だったとしたら、相手次第でもあるし。
そういう事を言いたいんだとしたら、確かにそうだ。
「お前が話すと、そこに居ない者の心模様さえ見えてきて楽しい」
「…意地悪な顔してるね」
「そうか?…でもそろそろコレでは暇が潰れなくなってきた。潮時だな」
「そっか。次のネタが見つかるといいね」
提供した覚えのないネタでなんだか一人で盛り上がっていたようだし、これからも勝手に楽しみを見出してくれたらいいよと少し呆れ笑いを零した。
ふふと笑って何も言わなかった彼の姿をみた。少し覚えた引っかかりも、帰りの時間に急かされて掻き消されてしまった。