第四十九話
3.地獄記録課
部屋にこもりきって机に向かっている…というだけでなく、勿論他にも様々な仕事があった。
というか、本当に一切合財机仕事しか与えられなかったら、記録課のみんなはもっと目に見えて発狂していたと思う。
私は私の特性というか個性というか、諸々あったせいで机にかじりついている時間の方が意図して大目にされていたけれど、立ち上がって働くこともまあまあある。
いや、他に駆り出されることもある分私は動いている方なのかもしれない。その時々で両極端なことをしていた。
記録課の中でも群を抜いて集中力がある鬼(と言われてるらしい)私も、今日は外に出る用事があった。



「今日の司録担当が急に欠勤になったんで代わりに来た」

記録課の主任である葉鶏頭さんが法廷に顔を出すと、先客だった唐瓜くんと茄子くんが驚いたような顔をしている。
鬼灯くんは勿論、急な事とは言っても穴埋めにやってくるのだという予定をわかっていたので、当然のように彼を迎え入れた。
ただ私に向けては含みのある視線を投げかけてきたので、これはまたぼんやりして下手なことをするなよという釘をさされたんだろうなと私は受け取った。
唐瓜くんと茄子くんは葉鶏頭さんの後ろに控えていた私に気が付くと、純粋に驚いたように目を丸くしていた。
今日は二人とも見学のために法廷にやってきたらしい。

「あ、さん」
「あれ、なんでここに?」
「いや、私は別に用事はないんだけど…」

意外そうな、とても純粋な反応を向けられて、ちょっと居心地が悪くてもじもじモゴモゴと言う。

「なんだか呼びだしされちゃって…」

ちらりと鬼灯くんの方を見ながら言うと、あーなるほどと唐瓜くんが納得したように頷きつつ、茄子くんはふーん?とピンとこない相槌を打った。未だ二人共どこか煮え切らないような顔をしている。
私もなんで呼ばれたのか不思議なんだけど。やましい事がある子供が親や先生を前にする時のようにビクついてる。

「あ、そういえばさんって記録課なんだっけ。なんか意外だよなあ」
「お前ほんとズカズカ失礼なこと言うな!」
「え、なんで?これ褒め言葉なのに」
「あはは…」


茄子くんの言いたいことはすぐわかった。
思ったことを隠さず口にするのは裏表ない彼の美徳で、しかしソレはたまに相手を刺す凶器にも変わった。
私のことをみんな「穏やか」「牙が生えていない鬼」とか色々言うけれど、だからこそ机にかじりついて神経質に集中している様は想像しにくいものだったんだろう。
庁内での徹底された几帳面な仕事も向いていなさそうで、刑場での拷問系も向いていなさそうで。
私っていったい何なんだろうなと何千年自問自答している。
鬼灯くんも伊達に長く付き合っていないので、そういった心境も察していて、的確に指摘した。

「まぁ女性には褒め言葉にもなるのかもしれませんけど、一端の地獄の鬼には刺さる言葉ですよね」
「記録課には無用の長物だ。結果それで良かっただろう」


鬼灯くんも葉鶉頭さんも茄子くんの言葉に含まれているものに気が付いていて、各々納得したりフォローしてくれたり。
鬼灯くんは半ば私が鬼らしく厳しくなることを諦めている。その代り庁内での仕事…主に記録課では精々励めよと圧をかけるようになった。
元々そちら方面に適正があると見抜いて誘ってくれたのは鬼灯くんの方だったので、地獄の鬼らしくないからと言って失望されたり見放されることはなかった。

「しろくって?」
「裁判の記録をする書記だよ」
「へーそうだっけ」
「十王の裁判では記録課の方々が大いに活躍しています」

司録は裁判の記録をする書記、司命は罪状を読み上げたり人頭杖という道具を持ってきたりする補佐。
裁判中鬼灯くんの指示を受けてあちこち行って回ってるの司命司録で、双方記録課の従業員。記録課は裁判と密接にかかわっているのだと説明した。


「葉鶏頭さんはベテランなので記録課の業務全般ができます」
「達筆だもんなあ」
「文字と記録に関することは大体できる」

ハゲィさんて本人がエクセルみたいなものなんだろうなぁと唐瓜くんがぼやいていた。
物事をきっちりさせることが好きだと言っていた通り、きちきちと歩くし着物が着くずれしていることはない。
ただ本人のそういうイメージとは裏腹に私服は結構奇抜なものだったりするんだけど、
葉鶏頭さん本人の趣味ではない。
意図せず着せられているということだ。心底それを疎ましがったりはしていない様子だけど…
葉鶏頭さんを知る獄卒にも、知らない獄卒にもたまに物珍しげに見られている。


「乱暴な言い方をすると、拷問係りに就く鬼は動くのが好きなタイプで、庁内勤務の人はきっちり黙々作業するタイプが多いです」
「ありていに言えば神経質なやつが多いな」
「まあそうですね」
「唐瓜庁内勤務向いてるな」
「…まあな、自覚はあるよ…」

唐瓜くんのお姉さんが破天荒な人なようで、その反動だろうと言われていた。
得てして上が破天荒だと下がしっかりするものである。反面教師とはよく言ったものだ。
逆に下が元気だと上がしっかりしたりする。
それで言うと葉鶏頭さんの兄(姉?)も破天荒と言えば破天荒な人なので、これも一種の反動なのだろうか。いやここまで突き抜けているとこれは本人の天性の気質だとは思うんだけど。そういう要素が一切ない訳でもなさそうだ。

「あれ?じゃあさんは?」
「そういえば鬼灯様の幼馴染ってことは烏頭さん達と一緒で…」


勤続年数も長いベテラン中のベテランでは?という疑問が浮かんだようだった。
出来るだけ喋らないよう目立たないよう努めてそっと控えて、影を消しきれたと思っていたけど、ちらりとこちらに興味と視線が向かってしまった。
喋ると場の空気も読まず、マイペースに好きなことを話してしまうので、ボロ隠しのために公の場ではこうする事があった。

そういうことをすると鬼灯の咎めるような目が痛いから先手を打ったつもりだったけど、鬼灯くんはいつも通り目を細めていた。
考えていることが分かる。結局喋らなくても私という存在そのものがもう彼を呆れさせるようなものなので、こんなのは付け焼刃というか焼石に水というか。今更無駄な足掻きなんだろう。あーあと苦笑するしかない。
葉鶏頭さんは鬼灯くんの鞭とは反対に、(意図せず)飴をくれるタイプだった。

「彼女も大抵のことはできるぞ。だから司命も司録も出来る。というより、こっちより彼女の方がこの仕事は長い」
「全然そうは見えないってよく言われるよー」
「胸を張って言うことじゃないです。見せかけでも少しは改める努力しなさい」


天国と地獄が二つに分けられるより前から存在している身。所謂初期勢というやつだ。
鬼灯くんが補佐官二代目になったのと同時期に就任したから、お互い最古参という訳でもないんだけど。
見せかけでも、と言った彼は私の性根から叩き直すことはやはり諦めているようだった。
こんなでも仕事は一応出来ているのでそれで支障が出ているという訳ではないんだけど、諦めたと言ってもやはり鬼灯くん的には気になる所、目に付く所という訳で。

「年功序列で考えるなら主任の立場だって、この子の方が適任なんでしょうけど…」

地獄では、出世をするのに年や勤続年数は、まったく加味されない要素という訳ではないだろうけど、最重要視される物ではなかった。
なので記録課の主任という立場に収まっているのは葉鶏頭さんだった。
私は主任補佐とい立ち位置に収まっている。
私はそれに何の不満も疑問もなく、不相応な位置に収められるよりいいことだと思っているんだけと。

「このひとが厳しく指導する側に回れると思いますか?いくら能力があったとしても、そもそもの気質がこれだから」
「ああー…」
「そうなんだけど…なんかひどい…」

鬼灯くんは私を指さして歯に衣着せることなく言った。
いまさらこちらを気遣う言葉を探してくれるとは思わないけど、何度やられても物凄くぐさりと来る。
葉鶏頭さんの斜め後ろに控えていたけど、居心地が悪すぎて彼らからは姿が見えなくなるような位置にそっと移動した。
全力でふざけて冗談を言う時は別だけど、鬼灯くんは何食わぬ顔で真理を突いていきたりするので恐ろしい。
どこか不憫そうに間延びした声をあげた唐瓜くんとは別に、茄子くんはうんうんと素直に頷いていた。


「近所の優しいお姉ちゃんって感じする。いつもお菓子くれるし」
「飴は与えられても鞭はムリなタイプなんだなぁ…」
「ダメなことはダメというし、叱れない訳ではないんですけどねえ。パンチが弱いんですよ」
「そうなると指導される側にも弛みが出るからな。大抵がこなせても、その辺りは確かに足りていない」

フォローに徹してくれていた葉鶏頭さんまでもが私を刺す側に回り、本人を目の前にして揃って色々言いだした。
いや責めとか意地悪ではなく事実を並べられているだけなんだけど、だからこそ下手な悪意をぶつけられるよりも胸に刺さる。
部下の指導とか向いてないのわかってるよー親戚のおばちゃんみたいにアラアラーってあったかい目でみちゃうんだよー失敗しても叱るのと共に労いもこめて飴とかあげちゃうし、もう私本当におばちゃんだ。
見かけがこんなでも、中身は相当だし、間違ってはいない。

「補佐でちょうどいいんですよね。もう正せない性根なんでしょう。でもこれで案外上手いことおさまれてると思いますよ」
「酷い言われよう…」


なんのために呼び出しされたんだか知らされてないけど、まさか頑張ってくださいと私を労るためだとは思ってはいなかった。
けれどここまで気落ちするような展開になるとは思いもしない。鬼灯くんは肩を落とす私を顧みることはなかった。


「本日は葉鶏頭さんの横について勉強してください」
「はい」

鬼灯くんが唐瓜くんと茄子くんに指示を出すと、四人とも各々持ち場に移動するために動き出した。
私はぽつんと一人取り残されて困惑した声をあげる。

「え、ねえ私なんで呼ばれたの」

話に区切りがついて、取りかかる準備を初めた彼らの背中におろおろとしながら投げかける。
鬼灯くんを慌てて呼び止めると、茄子くんと唐瓜くんはそういえば…という反応をしていたけど、葉鶏頭さんは特別不思議そうにしている様子もなく平然としていた。
鬼灯くんはああ、と今思い出したかのように言った。

「ちょうどいい機会ですから、あなたも今日は司命をしてください」
「な、なんで」
「なんでって。最後にやったのがいつか数えてみたらどうですか」
「……」

数えるのが手間になるくらい前だということは、数える前からわかったので、ただ無言でいると妙な沈黙が訪れた。

「錆びつく前にやれって話です」
「だ、だって、でも…」
「でもじゃない」

あえて私がやらなくても、と反論しようとして、あえてやろうとしなければ中々お鉢が回らないからこそ機会を設けられたのだと気が付いた。
大昔の初期の頃から、諸事情あったせいで私は内に籠りがちだった。前に出ることに苦手意識がある訳でもなかったけど。
その上あちこちフラフラする事があったので、こなしている回数が他より少ない方だったのだ。
ピシャリと鬼灯くんが一喝すると茄子くんと唐瓜くんは思わずといった風に一歩引いていた。
葉鶏頭さんの方をちらりと見やると、今度こそ不思議そうな顔をしていたので、こちらには最初から話が通っていた事なのだと察した。

「……はい、やります……」

色んな意味で断れるはずがなく、私は項垂れながら承諾した。
厳しい目と不憫そうな二対の目と今更何を言ってるのか?というような平然とした目が肌刺さってとても痛い。


久しぶりのことに少しだけ緊張した。見学される…しかも知り合いに…なんてそうないことだった。
けれど、みんな程頻繁ではなくてももう何度もやっていることで、身体に染みこんでいる作業だ。
まだ錆びついてはいない。一度集中してしまえば気にならなくなるだろうけど。

「凄いですね、聞き逃したりしないんですか」
「それをしたら記録課の意味がない。当然司命、司録に就けるまでには何年も下積みが必要だけどな」


さらさらと書き綴る葉鶏頭さんの手さばきを見て、唐瓜くんと茄子くんは感嘆していた。
今日は司命として補佐に徹しているけど、一端の記録課だ。私が司録の側に回ったとしても聞き逃しはしない。
難しいと言われているこの役割もいつの間にか平然とこなせるようになっていた。


「最初は誰でもミスをする」

ですよね、と嬉々とした合いの手をいれた茄子くんを唐瓜くんがコラと窘めていた。
私も最初は酷かったなぁと遠い目をして振り返る。司録・司命は裁判を進行させる閻魔様と、その補佐官である鬼灯くんと近い距離に配置されている。
失敗すれば近距離で散々キツい目で見られたものだ。もちろん叱責される事もあった。閻魔様はその都度不憫そうに私を見ていた。

「まァ閻魔庁は新人の司命、司録がミスっても最近いい監修か仮がつきましたけどね」
「え?」

机の下の影の中から光の元へ、もそりと座敷童の一子ちゃんと二子ちゃんが這い出てきた。
彼女たちは隠れんぼをしていたのではなくて、座敷童としてのお仕事をしている真っ最中だった。

「…見ていたよ…」
「ハゲィさんにミスはなかったよ…」
ちゃんも手際よかった…」

普段、新人が聞き逃して慌てていたりすると、「大吼処っていってたよ」「がんば」などぽそりと呟きフォローしてくれているようだった。

「座敷童は一生懸命働く人の見方だよ」
「応援するよ。負けたら一気に蹴落とすよ」
「…そうだったね…」

なんだか唐瓜くんが青ざめている。かわいい容姿をしていても凄くシビアだからなあ。

「ハゲィさんはいつも凄い!働き者!偉い!」
「ハゲイさん座敷童にとって理想の住人!」
「何だと。そんなこと言われたらおじさんお小遣いあげちゃうぞ」

オッサンって総じて小さい女の子に甘いよなと唐瓜くんは呆れ気味だった。
オバサンの私もこんな風に言われたらきっとお菓子とかあげちゃう。

「じゃあさんは?」
「そういえば二人ともよく懐いてるみたいだけど」

よく座敷童の二人を両脇にくっつけさせて歩いている処を見かけていたらしい。
二人ともあれ?と引っかかった様子を見せていた。
鬼灯くんは緩々と首を横に振った。

「よく考えてください。このひとはちゃん呼びされてるんですよ」
「…あ…それって…」
「ようするに舐められてるってこと?」
「お前はオブラートという概念をそろそろ知れ…」


まあそういうことだった。
率直になるほどーと納得した茄子くんと、気まずそうにアッと声をあげた唐瓜くん。
保護者役に徹する常識人(唐瓜くん)の胃にかかる負荷って大きいだろうなとズレた感想を抱いた。
今更胸に刺さることはあっても気に病むことはない。
座敷童はさすが人を見る目があるので、私の勤勉さが後天的に培ったもので、尚且つハリボテの働きなのだと気が付いているようだ。

ちゃんも真面目で丁寧な仕事するけど」
「適当じゃなくしっかり打ち込むけど」
「堕落もしないけど…」

座敷童たち二人は顔を見合わせて曖昧に言い合っている。こちらはオブラートに包んで言っているというよりも、どちらとも言い切れず反応に困っている様子だった。


「そういうことです。物凄く働き者でもなく、かと言って不可でもない究極の器用貧乏な訳ですよ」

二人の言葉を要約して、鬼灯くんは容赦せず本人を前に酷評した。
場によっては長所になるけど、鬼灯くんが言う場合の器用貧乏は決して褒め言葉ではなかった。

「器用貧乏って意外と扱いに困りますよね。どこでも使える分逆にどこにもコレと言える確かな適正はなくて。正直持て余していたんですけどねぇ」
「そんなこと思ってたの…」

それをどこで使おうか判断に迷っていたと暴露された。
ここで働かないかと誘われた時から相応の能力はあるとしっかりとしたお墨付きはもらっていたけど、その割に煮え切らない扱いだ。
塵も積もれば山となるというし、凡人だって重ねに重ねまくればそれなりに秀でる。
一度目の人生でも広く浅くでそんな風な気はあったけど、今世で努力しても尚磨きがかかった扱いに困る器用貧乏止まりとは。

「葉鶏頭さんの指導で育った記録課のメンツは十王庁全ての庁で活躍してますからね。功労者です」
「凄いんです」
「座敷童はこういう人がすきです」
ちゃんは普通に好印象」
「普通にすき」
「いい子達め」
「ありがとうねえ…」

記録課本店は閻魔庁にあり、他の十王庁の書記はそこから派遣されているようなものだ説明した。
将来的に別の庁に就く可能性もあるんだからしっかり修行してくださいと鬼灯くんが唐瓜くんと茄子くん二人に告げる。
今は二人とも閻魔庁で修業しているから頻繁に会うけれど、別の所属になると顔を合わせる機会も少なくなるなと思うとちょっぴり寂しかった。

さんてテキパキ動くなー。これも意外だった」
「あぁ、それはうん…普段のんびり歩いてるからなあ…」

ヒソヒソとした二人の囁き声は私の耳に届いていた。このテキパキも生活のため必死に働いてるうち後天的に培ったものだとは言わないでおこう。

2019.1.15