第四十七話
3.地獄─腹の内
鬼の一人や二人殺していそうな苛烈な目であの子を見ている女鬼を見かけました。
最近私と仕事で接点が多くなっていた女性です。
ああなるほどと、最近のあの子の煮え切らなかった態度を思い出して納得する。
過去にも似たようなことを体験してきたから、理解は早かった。
それから暫くして、例の女鬼の視線の種類が変わったことに気が付きました。
憐れむような、気持ち悪いものを見るかのような複雑な視線。
どちらにせよ負の感情を隠しもしない露骨なもので、どうやらあの子を避けて通っているようです。
あの子に真っ向勝負ができるとは思わない。いったいどういう話し合いをしたのか見当もつきませんけど、丸くはない、まともでもない終結の仕方をしたようです。
「…鬼灯様、失礼なことを承知でいいますけど」
「はい」
黒い髪をさらりと肩に流した例の女鬼が、話にひと段落ついたとき、少しの沈黙を経た後短く前置きしてから切り出しました。
「趣味が悪いですね」
「何のですか」
「私も重い方だとは思ってますし、だから相手がいくら束縛してこようと重く愛してこようとそれでいいんですけど」
「……そうですか」
「気持ち悪いのは嫌ですよ」
なんのことやらと思いましたけど、問いの返答がなくとも、恋愛事の話かと察しました。
いきなり彼女の恋愛観など語られても困る。アレになんと返事をしたらいいのでしょうか。
彼女に私への興味か好意があるのだと察することができても、私の方は彼女にそういう興味も意識もないのです。何とも応えられない。
閻魔大王からも篁さんからも昔馴染たちからもこういったことでからかわれることは多々ありましたけど、こう生々しく言われることはあまりありませんでした。
こんな話で気安く話して盛り上がるうとしてくる鬼もあまりいませんでしたし、私自身個人的な趣味に没頭することが多かった。
誰かと色やら恋やらを語らうことがあったとして、深く嗜好を語り合うに至る事は多くはない。
「恋されたいし愛したいけど、あんな執念向けられるの御免です。束縛じゃなくて…あれじゃ呪ってるみたい。すごく気持ち悪いわ」
しかし彼女からの私へ向かっていた色っぽい興味も失せてしまったようで。
じっと私を見上げていた視線を外して宙を見て、何かを思い出しながら吐き捨てました。
図体がどうであろうと能力がどうであろうと自分が出来た鬼だとは思いませんし、一般的に女性が憧れるような王子様でないことくらい自覚していました。
この方が何を求めて私を慕ってくれていたかはわかりませんし、冷めたきっかけもまたよくわからないものでした。
「きっと似た物同士なんでしょ。お互いおんなじことして助長し合ってるんでしょ。自覚してても無自覚でも。じゃなきゃあんな気持ち悪く拗れないわ」
拗れる、という言葉をまた持ち出されてうんざりも通り越しておかしく思えてくるくらいです。
この方は普段から物怖じせず物を言う。それらは大抵的を得ていて、洞察眼は確かなものでした。
私を睨みつける大きな目は相手の奥底を見透かし本質を見抜いているのでしょう。
「はい」
そう思ったから、事実だったから、私は否定することなく彼女の言葉に頷きました。
私は拗らせていてあの子に執着も執念も抱いています。あの子が私に対して禍々しいどろりとしたものを抱いているかは知らないけれど、
もしそうなのだとしたら、助長しあっている似た物同士なのでしょうね。
言うと彼女は美しい顔を顰めて、私に対しても嫌悪を表しました。
大分露骨で素直な方です。百年の恋も冷めたんだと一目でわかりました。
この方が素直であることも、過激な一面があることも事前に知っていました。
煙たがられているという訳でもないけれど、悪い意味で一目おかれている事も把握していた。
包み隠さず正しいを唱えられる者というのは、多くの場合は好意的に見られるか嫌な顔をされるかの二極なんでしょう。
そんな彼女に目をつけられて対立して、あの子も言っていた通り「もっとマズい」状況に陥りかけていたんでしょうけど、やはり意に介さないことにしたらしいです。
恐らくその意志表明した結果、あの子は軽蔑されて、私もこの方に冷められるという結末を迎え、これはこれである意味丸くおさまったんでしょう。
嫌悪を保ったまま吐いて捨てて、背を向けて去ってしまったあの方は、
きっとこれから私に好意も興味も向けて来なくて、ただ必要な会話を必要なだけするようになるのでしょう。
それを残念に思うことも何を思うこともありませんでした。
「……執念」
例えば今の方のように苛烈な主張や嫌悪。なんでもいいけれど、強い感情を抱くあの子の姿を私は想像できない。
私はあの子が激怒する琴線などなくて、私からすれば優しすぎる怒りしか抱けないのだと認識していた。喜びも悲しみもあの子の喜怒哀楽は一定の数値までしか上がり切らなくて、他と比べたら少なめの上限がもうけられていて。
だからこそ私はあの子を留められない、手こずっているのだと思っている。
釣ろうとしても、あの子が飛びつきたくなるようなものがこの世に存在せず、私は足るものを用意できないし検討もつかない。
だからいつまでも平行線、私達は交われない。
それで合っているはずです。そのはずでした。
「あの子って凄いわね」
すれ違った、煌びやかな着物を纏った、華やかな容姿の女性達がふと気になって振り返る。
無秩序無遠慮に入り込むことはないけれど、普通では中々お目にかかれない珍しい方も、地獄になど縁のなさそうな穏やかな人もあらゆる方がやってくる機会が多々あり、閻魔庁で歩いてすれ違う方たちは慣れ親しんだ同僚以外にも多種多様でした。
「ヒト何百人分の信仰を捻出するって。常人じゃ在り得ないわ」
「穏やかそうなのに心は苛烈なのね」
「見た目と中身は別物じゃない」
「でもいつまで続くかしら。枯れる日が来るんじゃない、いつか疲れるんじゃない」
「恨み続けるのも喜び続けるのも悲しみ続けるのも、普通ずっとなんて続かないもの」
「あら恨みはずっと忘れないわよ」
「そう?あたしすぐ忘れちゃう」
「祟り神が恨みを忘れたら世話ないわ」
鈴の音のような声で恐ろしいテーマをで花を咲かせる女性たちは、みんな神という類の方たちでした。
天国の住人もいれば地獄の住人もいる。癒されるような愛らしい方も、引き込まれるような美しい方も、揃って楽しそうに共通の話題で笑っていました。
「…あの子」
とは、あの子…のことかとなんとなく思ったのです。
神々がああいう風にしてあの子のことを話題にしてはしゃいでいる姿は昔からよく見かけました。
苛烈だとか恨みだとかいう内容はあの子とは重ならず腑に落ちませんけど。
あの姿とノリには既視感がありすぎました。
それにも信仰と言われると思い当たる節がない訳ではないのです。
あの子は男神の元に通い続けていて、それはまるで信者が神の膝元に足繁く通っているかのようで。強制されたことだとしても、やっていることはそれと一緒だ。
恭しく神として扱い、尊び敬い、約束を守り続けている。
「…あの、急になに…なんで?もうお仕事、いいの」
「今日は切り上げました」
この子もそろそろ上がる時間だろうと時計を確認してから、迎えに出ました。
記録課の出入り口を潜り出てきたあの子の着物を引っ掴んだ。
居残りでもしなければいつも通り帰る時間で、今日はすんなりと終えられたようでした。
内容が内容だったので耳傍立てる者のない所にと自室に引っ張りこんだのですけど、有無を言わさず連行された彼女は状況がよく分からずぽかんと口を開けていました。
「あなたは普段、どういう態度でいるんですか」
「えっなに、私怒られるの」
問い掛けられて、何か失態でも犯しただろうかと硬直しだしたこの子の危惧を、首を横に振って否定しました。
失態は少ない方だとは言っても、この子だってミスする事はあります。
しかし今回はそういった呵責ではなく、プライベートな時間にプライベートに聞いていた。そもそも叱責するのだったらこんな所まで連れて来ていない。
「ただの興味で聞いてます」
「ええー…」
脈絡なく連れ去られて脈絡なく尋問されて、困惑している様子でした。
部屋の適当な椅子に座りながら、律儀になんと答えようかと考え込んでいます。
さっきよりは少し肩の力が抜けた様子で、それでもどこか居心地悪そうに縮こまっている。ひらひらと手を振りながら口を開いた。
「どういう態度って言われても、今とあんまり変わらないよ。……あ、たぶん?」
「まぁ、多分じゃなくそうなんでしょうね」
「じゃあなんで聞いたの」
ある意味表裏がなく、誰に対しても態度も言葉遣いも声色も変わりません。
礼儀として目上の者を敬うことはあれど、マイペースで一貫しているのです。
この子なりの心当たりがあって曖昧な言い方をしたのかもしれませんけど、本人が思うより些細で取るに足らない違いなのでしょう。
分かり切ったことでしたけど、それでも引っかかるのです。
逆に問い返される形になり、私も少し考えます。しかし根拠や確信あっての行動ではなく、まさしく直感、なんとなくという言葉がぴったりの後先考えなしな行動でした。
さて、と首を傾げて率直に言います。
「…なんででしょうね」
「聞かれても困っちゃうよ」
「でしょうね」
慌ただしく連れてきた割には中身がない。
神がどうの信仰がどうのという話を持ち出すにあたって、聞き耳立てられないためには、自分の領域に連れてくるのが一番安全だと思った。けれど問いが済んだならもうお払い箱で、他に用事などありやしない。
考えて動かなかった結果、足を運んだ甲斐もなく一分もしないうちに問いの打ち止め。愚行を犯した自覚はありました。
そんな私を困ったように見あげて、静かに聞く。
「…もしかして疲れてる?」
「今日はそこまで」
「今日はって…」
いい加減にしたら?顧みたら?という呆れた視線が刺さった。
ワーカーホリックと言われ、周囲からそのように認識されていることは知っていましたけど、この子からの認識も似たようなものなのでしょう。
じとっと胡乱げに、探るようにこちらを見ているのと同じように、私もじっと相手の底の方に何か手がかりがあるのではないのかと探る。
なんの根拠もない確信は未だに私の中に残り続けていました。
3.地獄─腹の内
鬼の一人や二人殺していそうな苛烈な目であの子を見ている女鬼を見かけました。
最近私と仕事で接点が多くなっていた女性です。
ああなるほどと、最近のあの子の煮え切らなかった態度を思い出して納得する。
過去にも似たようなことを体験してきたから、理解は早かった。
それから暫くして、例の女鬼の視線の種類が変わったことに気が付きました。
憐れむような、気持ち悪いものを見るかのような複雑な視線。
どちらにせよ負の感情を隠しもしない露骨なもので、どうやらあの子を避けて通っているようです。
あの子に真っ向勝負ができるとは思わない。いったいどういう話し合いをしたのか見当もつきませんけど、丸くはない、まともでもない終結の仕方をしたようです。
「…鬼灯様、失礼なことを承知でいいますけど」
「はい」
黒い髪をさらりと肩に流した例の女鬼が、話にひと段落ついたとき、少しの沈黙を経た後短く前置きしてから切り出しました。
「趣味が悪いですね」
「何のですか」
「私も重い方だとは思ってますし、だから相手がいくら束縛してこようと重く愛してこようとそれでいいんですけど」
「……そうですか」
「気持ち悪いのは嫌ですよ」
なんのことやらと思いましたけど、問いの返答がなくとも、恋愛事の話かと察しました。
いきなり彼女の恋愛観など語られても困る。アレになんと返事をしたらいいのでしょうか。
彼女に私への興味か好意があるのだと察することができても、私の方は彼女にそういう興味も意識もないのです。何とも応えられない。
閻魔大王からも篁さんからも昔馴染たちからもこういったことでからかわれることは多々ありましたけど、こう生々しく言われることはあまりありませんでした。
こんな話で気安く話して盛り上がるうとしてくる鬼もあまりいませんでしたし、私自身個人的な趣味に没頭することが多かった。
誰かと色やら恋やらを語らうことがあったとして、深く嗜好を語り合うに至る事は多くはない。
「恋されたいし愛したいけど、あんな執念向けられるの御免です。束縛じゃなくて…あれじゃ呪ってるみたい。すごく気持ち悪いわ」
しかし彼女からの私へ向かっていた色っぽい興味も失せてしまったようで。
じっと私を見上げていた視線を外して宙を見て、何かを思い出しながら吐き捨てました。
図体がどうであろうと能力がどうであろうと自分が出来た鬼だとは思いませんし、一般的に女性が憧れるような王子様でないことくらい自覚していました。
この方が何を求めて私を慕ってくれていたかはわかりませんし、冷めたきっかけもまたよくわからないものでした。
「きっと似た物同士なんでしょ。お互いおんなじことして助長し合ってるんでしょ。自覚してても無自覚でも。じゃなきゃあんな気持ち悪く拗れないわ」
拗れる、という言葉をまた持ち出されてうんざりも通り越しておかしく思えてくるくらいです。
この方は普段から物怖じせず物を言う。それらは大抵的を得ていて、洞察眼は確かなものでした。
私を睨みつける大きな目は相手の奥底を見透かし本質を見抜いているのでしょう。
「はい」
そう思ったから、事実だったから、私は否定することなく彼女の言葉に頷きました。
私は拗らせていてあの子に執着も執念も抱いています。あの子が私に対して禍々しいどろりとしたものを抱いているかは知らないけれど、
もしそうなのだとしたら、助長しあっている似た物同士なのでしょうね。
言うと彼女は美しい顔を顰めて、私に対しても嫌悪を表しました。
大分露骨で素直な方です。百年の恋も冷めたんだと一目でわかりました。
この方が素直であることも、過激な一面があることも事前に知っていました。
煙たがられているという訳でもないけれど、悪い意味で一目おかれている事も把握していた。
包み隠さず正しいを唱えられる者というのは、多くの場合は好意的に見られるか嫌な顔をされるかの二極なんでしょう。
そんな彼女に目をつけられて対立して、あの子も言っていた通り「もっとマズい」状況に陥りかけていたんでしょうけど、やはり意に介さないことにしたらしいです。
恐らくその意志表明した結果、あの子は軽蔑されて、私もこの方に冷められるという結末を迎え、これはこれである意味丸くおさまったんでしょう。
嫌悪を保ったまま吐いて捨てて、背を向けて去ってしまったあの方は、
きっとこれから私に好意も興味も向けて来なくて、ただ必要な会話を必要なだけするようになるのでしょう。
それを残念に思うことも何を思うこともありませんでした。
「……執念」
例えば今の方のように苛烈な主張や嫌悪。なんでもいいけれど、強い感情を抱くあの子の姿を私は想像できない。
私はあの子が激怒する琴線などなくて、私からすれば優しすぎる怒りしか抱けないのだと認識していた。喜びも悲しみもあの子の喜怒哀楽は一定の数値までしか上がり切らなくて、他と比べたら少なめの上限がもうけられていて。
だからこそ私はあの子を留められない、手こずっているのだと思っている。
釣ろうとしても、あの子が飛びつきたくなるようなものがこの世に存在せず、私は足るものを用意できないし検討もつかない。
だからいつまでも平行線、私達は交われない。
それで合っているはずです。そのはずでした。
「あの子って凄いわね」
すれ違った、煌びやかな着物を纏った、華やかな容姿の女性達がふと気になって振り返る。
無秩序無遠慮に入り込むことはないけれど、普通では中々お目にかかれない珍しい方も、地獄になど縁のなさそうな穏やかな人もあらゆる方がやってくる機会が多々あり、閻魔庁で歩いてすれ違う方たちは慣れ親しんだ同僚以外にも多種多様でした。
「ヒト何百人分の信仰を捻出するって。常人じゃ在り得ないわ」
「穏やかそうなのに心は苛烈なのね」
「見た目と中身は別物じゃない」
「でもいつまで続くかしら。枯れる日が来るんじゃない、いつか疲れるんじゃない」
「恨み続けるのも喜び続けるのも悲しみ続けるのも、普通ずっとなんて続かないもの」
「あら恨みはずっと忘れないわよ」
「そう?あたしすぐ忘れちゃう」
「祟り神が恨みを忘れたら世話ないわ」
鈴の音のような声で恐ろしいテーマをで花を咲かせる女性たちは、みんな神という類の方たちでした。
天国の住人もいれば地獄の住人もいる。癒されるような愛らしい方も、引き込まれるような美しい方も、揃って楽しそうに共通の話題で笑っていました。
「…あの子」
とは、あの子…のことかとなんとなく思ったのです。
神々がああいう風にしてあの子のことを話題にしてはしゃいでいる姿は昔からよく見かけました。
苛烈だとか恨みだとかいう内容はあの子とは重ならず腑に落ちませんけど。
あの姿とノリには既視感がありすぎました。
それにも信仰と言われると思い当たる節がない訳ではないのです。
あの子は男神の元に通い続けていて、それはまるで信者が神の膝元に足繁く通っているかのようで。強制されたことだとしても、やっていることはそれと一緒だ。
恭しく神として扱い、尊び敬い、約束を守り続けている。
「…あの、急になに…なんで?もうお仕事、いいの」
「今日は切り上げました」
この子もそろそろ上がる時間だろうと時計を確認してから、迎えに出ました。
記録課の出入り口を潜り出てきたあの子の着物を引っ掴んだ。
居残りでもしなければいつも通り帰る時間で、今日はすんなりと終えられたようでした。
内容が内容だったので耳傍立てる者のない所にと自室に引っ張りこんだのですけど、有無を言わさず連行された彼女は状況がよく分からずぽかんと口を開けていました。
「あなたは普段、どういう態度でいるんですか」
「えっなに、私怒られるの」
問い掛けられて、何か失態でも犯しただろうかと硬直しだしたこの子の危惧を、首を横に振って否定しました。
失態は少ない方だとは言っても、この子だってミスする事はあります。
しかし今回はそういった呵責ではなく、プライベートな時間にプライベートに聞いていた。そもそも叱責するのだったらこんな所まで連れて来ていない。
「ただの興味で聞いてます」
「ええー…」
脈絡なく連れ去られて脈絡なく尋問されて、困惑している様子でした。
部屋の適当な椅子に座りながら、律儀になんと答えようかと考え込んでいます。
さっきよりは少し肩の力が抜けた様子で、それでもどこか居心地悪そうに縮こまっている。ひらひらと手を振りながら口を開いた。
「どういう態度って言われても、今とあんまり変わらないよ。……あ、たぶん?」
「まぁ、多分じゃなくそうなんでしょうね」
「じゃあなんで聞いたの」
ある意味表裏がなく、誰に対しても態度も言葉遣いも声色も変わりません。
礼儀として目上の者を敬うことはあれど、マイペースで一貫しているのです。
この子なりの心当たりがあって曖昧な言い方をしたのかもしれませんけど、本人が思うより些細で取るに足らない違いなのでしょう。
分かり切ったことでしたけど、それでも引っかかるのです。
逆に問い返される形になり、私も少し考えます。しかし根拠や確信あっての行動ではなく、まさしく直感、なんとなくという言葉がぴったりの後先考えなしな行動でした。
さて、と首を傾げて率直に言います。
「…なんででしょうね」
「聞かれても困っちゃうよ」
「でしょうね」
慌ただしく連れてきた割には中身がない。
神がどうの信仰がどうのという話を持ち出すにあたって、聞き耳立てられないためには、自分の領域に連れてくるのが一番安全だと思った。けれど問いが済んだならもうお払い箱で、他に用事などありやしない。
考えて動かなかった結果、足を運んだ甲斐もなく一分もしないうちに問いの打ち止め。愚行を犯した自覚はありました。
そんな私を困ったように見あげて、静かに聞く。
「…もしかして疲れてる?」
「今日はそこまで」
「今日はって…」
いい加減にしたら?顧みたら?という呆れた視線が刺さった。
ワーカーホリックと言われ、周囲からそのように認識されていることは知っていましたけど、この子からの認識も似たようなものなのでしょう。
じとっと胡乱げに、探るようにこちらを見ているのと同じように、私もじっと相手の底の方に何か手がかりがあるのではないのかと探る。
なんの根拠もない確信は未だに私の中に残り続けていました。