第四十六話
3.地獄嫌悪の終止符
死んで、生まれ変わり、生贄になりまた死んで、あの世で鬼になる。
その平坦ではない人生を可哀そうなものだと思ったことはなく、むしろ幸運ばっかりだなだと感じていた。
私は一度目の人生の始まりも過程も結果も納得できないままだったけど、
終わりよければ全てよし。今こうしていられるのだから、悪いばかりではなかったと何とか区切りをつけられていた。
二度目と三度目は貧しかったし、食べるのにも困ったし、サバイバル生活もしたし、孤児という立場で苦労もした。
悲しかったし寂しかったし苦しかったし理不尽を感じたこともあった。
けれど辛い境遇ながら得られたもの沢山あったから、私は幸せだなと思い続けられた。
たのしい友人達、気のいい先生やご近所さん、生活を共にする家族みたいなひと。
支えはいっぱいあった。

──ズルい、羨ましい、助けてほしい!
そいういう喉が潰れそうになるほどの小さな子供の叫びは、幸せに満たされたおかげでいつしか静かになっていって。
直接誰かがそういう所に触れてほどいてくれた訳じゃないけど、誰かがただ傍にいてくれるだけで慰められたのだ。


──そういう過去の自分と対峙しているみたいだなと思う。
嫉妬や憎しみを隠さないでぶつけてくる彼女は、幼い頃の自分の心をうつした鏡みたいだった。
部署は違っても、同じ閻魔庁で働き続けていれば、一生顔を合わせないということはありえない。
しかも食堂は大半の者が使っている。彼女も私もそうだった。
食堂は出入りも多い。いちいち入れ替わり立ち代わる人々を気にしたりしない。
お互いが離れた位置に座れば気付かないし、親しい知人が出入りしても気が付かないこともあった。
今回彼女とは食器の返却が被って、ばったりと対面する形になり、お互いの存在を認識することになった。


「…今日は一緒じゃないんですね」


じろりと睨まれ嫌味っぽく言われた。
たまにここで一緒に食事をとっている所をみられていたんだとこの言葉で悟る。
それも嫌がられる一因で、ずっと気に食わないことだったんだろう。
そうは言ってもお互い忙しく、鬼灯くんはもっともっと忙しい身で、このくらいしか隙間時間がないのだから大目にみてほしいと思うけど、恋をする女性にそれを言った所で多分どうしようもない。
もし理解を示してくれたとして、頭では納得できても心は納得できず悶々とすることなんていくらでもある。
理屈ではないと言われることも多い恋心を抱くモノに、理解を示せと諭して納得してくれると思う方が間違いなんだろう。

「いつも一緒じゃないよ」


眉を下げ、困り笑いをしてしまった。
何を言い訳をすることも出来ず、慰める言葉もなく、ただそう言うだけしか出来ない。
お互い食膳を下げて、食堂から出て歩き出す。
示し合せた訳ではないけど、行く方面が一緒だったので二人隣合って歩く形になっている。
傍目からみても距離は開いてるし、心の壁がありまくりのがわかるし、険悪な空気が丸出しだった。
彼女は敵対心を表すように若干斜め後ろか歩いて睨みつけている。

「…そうやってずっと離れてればいいのに」

ギリと歯でも食いしばりそうになりながら言う彼女。
…離れる?食事を一緒に摂らないことが"離れる"ということなのか。
いやそうではないだろう。彼女が望むのはそんな単純な事ではなくって。
生涯顔を合わせず接点を無くして、永遠に道を違えてしまったらいいとか。一切合財を望むはず。
自分が彼の隣にずっといたい、私という存在がチラチラと見える現状は不本意で不快で邪魔でしかない。きっとそういうことなはずなのだ。
その険しい顔を横目にみて、その言葉を聞いて、私は思った。

──そんなことは出来ないし、彼女の嫉妬がために私がそうしてあげる事はないと。
鏡写し見たいにそっくりな彼女を突き放すのは、まるで昔の自分を突き放すみたいだなと感じた。
でも私は昔の自分が可哀そうだと思わない、昔の自分を慰めてやる必要はない。
もしも傍にいてくれる誰かがいなかったとしても、何千年経って私が今も傷を抱え続けていたとしても、自分が不幸で哀れな存在だとは思わないだろう。
私にとっての幸福は、何も大切な人達だけがすべてじゃない。
その他にも、とても大きなものを私は得られていた。それは目の前にいる彼女だって当たり前のような顔をして持っているものだ。

──だから私は彼女を突き放すことを躊躇わない。
明確な線引き、拒絶、否定、彼女への抵抗、闘争心。大昔から乱暴なことは出来ないし荒事には向かないと言われ続けてきたし、私自身もそんな素質はないなと思っていた。
けど、あれ、なんだか少し違うなと今思い始めていた。


「ずっと一緒にはいないけど」

昔とは違って交わす言葉の数も過ごす時間もずっと減ったけど、それでも。

「ずっと離れることはできないよ」

立ち止まって、彼女と視線を合わせて強く言い切った。
すると彼女は目を見開いてから、すぐに眉を顰め、嫌そうに口元を歪めながら言う。

「そういう顔で、そういうこと言うの」


今の私の表情にも声色にも曇りはなかっただろう。
当然みたいな顔をして、と彼女が憎たらしそうに吐き捨てていた姿を思い出した。
持つ物が持たざる物に見せる身勝手さ。傲慢な認識の押しつけ。
恵まれているということを知らない子供たちが、これは当然のことだよねと無邪気な押しつけをしてくる様は、純真無垢で愛らしい。しかし持たざる子供から見れば悪魔のようにも見える。私はそれを知っている。

前の人生での■■■■という人間が家族に恵まれた経験があろうと、二度目、三度目のという子供は孤独で悲しくて憎たらしく思っていたのだ。
私であって私ではない人間が恵まれていた所で、それが今の私に何をしてくれるの、何になるの。
暖かな家庭があった。家族とはこういうものだった。
やたらとリアルで細部まで鮮明な知識があるだけにすぎなかったのだ。知っているだけ余計に虚しくもなった。
今の私はそんなに恐ろしい顔をしていたのか。私には判断がつかないけど、少なくとも彼女からしたらそうだったのかもしれない。


「当然のように手に入ったものなんて何もないよ」

人間の頃から数えても、持ち物は一つもなかった。
唯一あったのは身に纏っていたボロの着物だけ。
当たり前に手に入るものはなくて、必要なものは必死に作り上げて手繰り寄せて、誤魔化しながらやってきたのだ。
彼女がどういう人生を送ってきたかなんて過去はわからないけど、少なくとも今の彼女が当然のような顔をして持っているものが一つあるじゃない。
彼女が何一つ持てなかったならまだしも、恵まれたものがひとつでもあるのだとしたら、そんなのお互い様だなと思うのだ。
いつになく自分が批判的で攻撃的な心を抱き、相手を冷めたような目で眺めているのを自覚していた。

「もしも鬼灯くんが、私が手に入れられたものなんだったとしたら」

持ち物などなかった私が唯一持つことを許されものなのだとしたら。
唯一恵まれた物だというならば。

「絶対に手放したくない。いや。誰にも盗ってほしくない」

精一杯生きて、もう死ぬかもしれないと覚悟した夜もあって、実際一度…いや私は二度死んでいて。
その末にやっと恵まれたものがあった。持つことを許された。
それならばもう放したくはない。
彼女が昔の自分と重なって、可哀そうだなともし憐れめても、これだけは同情なんかで渡したくない。同情程度で渡せるはずがない。

「なんでもなくても、関係なくても、それしかないから」


餓えて乾いて干からびて、その末にどうにか満たされて。
やっと、やっとのことなのに。
素直に取られ渡してやれない、私はまだもっと幸福を貪りたいんだと醜くもがく。
奪い取られようとしたなら奪い返そうとするこの荒々しさを持つ私の、どこが穏健でどこが平和主義なんだろう。
思えば男神に殺されようとしたとき、無駄とわかりつつもみっともなく足掻けたのだ。
──親がほしい。命がほしい。人生がほしい。持っていないものがほしい。守られたい。楽になりたい。優しくしてほしい。親が子を慈しむように無償で愛されたい。
荒々しい欲求などいくらでも私の中に存在してる。

暖かく見守ってくれる人たちがいても、それでも私は愛され恵まれていた訳ではなかった。
鬼灯くんもそうだ。誰よりも近くに寄り添ってくれた子は、同じく色んなものに恵まれなかった。
鬼灯くんはそもそもどこか欠けているという自覚がなかったし、私は相手に施すだけの余裕がなかったのだ。
孤児ということで苦節しているという自覚はあっただろうけど。
想像するにそういう精神的な支えの重要性を知った所で、鬼灯くんはソレを必要としなかったんじゃないかと思う。
ない状態が当たり前だったから、もう今更のことだと幼くして既に適応していた。

──でも私には必要だ。私は生きることに貪欲だ。満たされて生きてたい。
一見無駄にしか見えないものがほしい、くだらないことがしたい、私は身も心も豊かになりたい、生きていく手に入れた彼という幸福を奪われたくはない。
生に関わる時だけジタバタ出来るらしい私がみっともなくしがみ付いている所を見ると、鬼灯くんは既にもう私の人生の中の一部に組み込まれているんだろう。
そんな認定をされていたんだと知ったら鬼灯くん凄い顔をしそうだなと苦々しく笑った。

「ごめんね」

鬼灯くんが言ったように、動かされる謂れはなかった。
彼女は押し黙り、それ以上何を言うこともなく、その代わりにただ気持ち悪いものを見るような目で私を見ていた。
得体の知れないものを見てしまった不快感でその瞳が揺れ、暫くすると眉が寄り身体が引いて、お互いの間に距離ができていた。どんどん拒絶する姿勢に入っていく。
そこにあるのは既に敵対視ではなくなっていて、ただの不快感で嫌悪に変貌していた。

「……あんた、気持ち悪い。凄く気持ち悪い」
「き、きもちわるい…?」

予想もしなかったことを言われて私はショックを受けた。
快く思われていなかったことなんてわかっていたことだけど、こういう風に拒絶されるなんて思わなかったし、気持ち悪いと言われたら普通に傷つく。

「………どうしたらそんな風になるの。言うの、思うの、……どうかしてる」

敵対心や反発心のような物が完全に消え去った代わりに、悪い意味で私に対して引け腰になっているようだった。
所謂喧嘩に勝ったという状態だとは思えない。圧倒されたという風でも、畏れたという風でもない。
彼女が言った通りに「気持ち悪い」と思われて…ああそうだ、ただドン引きされているだけなんだろうなあ。
…え、今の発言ってそんなにナシ?そんなに気持ち悪い?執念深すぎて重いとか?
ええー…と思っているうちに、彼女は背を向けて速足に去って行ってしまった。

「……終わり?」


敵に背を向けるなんてことはしないだろう。
彼女の中で私と言う女鬼は、恋敵ではなく、おそらく嫌悪の対象という線引きがなされてしまったのだ。
妙な終わり方をしてしまったけど、これでこの問答には終止符が打たれたという認識でいいはずだ。


「…ああ、なんかやだなぁ…困ったなあ…」

地獄の鬼らしく荒々しい部分があってよかったと思う。
ちょっとだけ引け目に感じていた所もあったから、これでようやく一人前だなと安心もする。
けれど昔自分にあったこういう生々しい感情を思い出すのはあまり楽しくなくて、昔を懐かしむことも出来ずただ苦々しくなる。
馬鹿をしてたなぁと微笑ましくなれるエピソードではない。
こういう欲求が造り上げられた原因も理由も容易く理解できるから、とても複雑だ。
知れてよかったけど知りたくなかったとも思う。
自分の情けない所、弱い所を突きつけられたようでなんだか落ち込んできた。
私が皆に対してどれだけ有難いと感謝していたのか。私が鬼灯くんにどれだけ執着していたのか。それを思い知らされて私は嬉しくて微笑ましくて虚しかったのだ。 私の人生は欠けて満たされてという両極端の連続で、鬼灯くんはいい面悪い面どちらの象徴でもあった。
家族のように親しんで慈しんでいるのも嘘じゃないけれど、どこか欠けていた人生の中で、満たされたくて、どこかを埋めてほしくて手を伸ばしてもいたことも知った。
見境なく荒々しい自分が誇らしくもあり、悲しくて苦くて嫌になってしまう。

久しぶりにこんな風に自己嫌悪して深刻になったなと苦笑する。
どうにかしなきゃと足掻いたってすぐに消化できる問題でもなく、根が深いならなおさら長い目でみて向き合って行かなきゃなと、もやもやした気持ちを逃すように溜息を吐いた。

2019.1.13