第四十五話
3.地獄─力関係
鬼に死はないというけれど。消えるつもりは毛頭ありませんけど。
それでも自分が永遠に存在し続ける事が出来るなどと、夢を見ることはありませんでした。
「おやすみ」
「…おやすみなさい」
この言葉を交わす度に、柄にもなく感傷に近い感情を抱きます。
"もしかしたらこれが最後になるかもしれない"と時々思うのは、大昔に心からそういう覚悟をしながら口に出したことがあるからでしょう。
人間ではないから死なない。鬼は簡単には消滅しない。自分が易々と消えてやるつもりはない。
そうは言っても、何が起こるかなんてわからない世の中で、自分だけは絶対に消えることがないと過信することはできません。
そもそも私が人から鬼になれたことはただの僥倖であり、自分が掴みとった幸運ではないのです。次もいい方向に転ぶなんてどうして思えるでしょう。
「えへへ」
「…急になんですか」
「嬉しくて」
「なにが」
何がなんて聞かなくても、分かり切っているのです。
昔は頑なに渡してもらえなかったこの挨拶を、受け取ることがきっと嬉しいのです。
何千回の夜を繰り返しコレを交わし続けても、この子の中からは有難味や新鮮味が薄れることはないらしく、いつだってだらしなく顔を緩めるのでした。
あの頃はこの子のことを繋ぎ止めようともせず、いても居なくてもどちらでもよいと思っていて、なんとなく距離を近くすることに抵抗がありました。
だからこそ大人気なく、意地悪に無視を続けていたのですが、最期くらいと情けのようなものをかけたあの夜から、ずっと続く習慣に変わりました。
共に黄泉へ渡ってしまえばもう一蓮托生、どちらでもよい存在だとはもう思わなくなっていた。
更に、"ほしい"とすら思ってしまった相手にコレを渡さない理由はなかったのです。
「おはようございます」
朝日が出た頃かける言葉に嫌悪を覚えます。
彼女と夜の下にいると感傷的になり、昼の下にいると出会った時のなんとも言えない複雑さを思い出して、我ながら女々しい疑問がわいて出ます。
何故あの時出会ったのだろうと。それに次いで、何故出会ってしまったのかと後悔さえします。
絶対に、出会わない方が楽だったはずでした。
せめてあの日ほしいと渇望することなく、ただの同郷という浅い付き合いのまま、いつかさっぱりと道を違えられたらよかった。
けれどそんなの、今更考えても詮の無いこと。
出会わなければ今より楽だったとしても、きっと私は大損をすることになっていたのでしょう。
──あの子を得られたことは、確かに私が掴んだ幸運だった。共にいることを選んだ私の英断だった。
あの子は自分が掴みとった物、繋ぎ留めようとしている者。
出会いが偶然でもなんだっていい、その後に行動したのは私の意志、望んだ形に関係を造り上げられるかは己の力量次第。
「おはよう」
夜、おやすみと呟く。朝、おはようと吐き出す。
そうしてその後、笑い返してもらえることが当たり前だと驕りたかぶっていては、いつかはこの情景も脆く崩れ去るのでしょう。
今日も曖昧に言葉を交わし続けられたことに少しだけ安堵して、私の頭は考え続けます。
──確かな情があれば、傍に結び付けられるでしょうか。
──この子の望む何かを与えてやれたならば、留まる事を選ぶだろうか。
いつしかそう考えるようになりました。
この柔らかな表情の裏にあるものを、この子が本当に望むものを探ります。
物につられるような性格はしていない。精神的な拠り所になれれば一番手っ取り早いと思うも、この子は弱いようで案外強かだ。
一人は寂しいと嘆きつつも、本当は誰が傍にいなくても、自分だけでやっていけるのです。だとしたら、そんな子に必要とされることは、本当に難しいことでした。
「あっ」
話ながら歩いてるうちに、あの子が躓いて転びそうになった。
咄嗟に腕を取ろうと伸ばしかけて、そのまま固まりました。躊躇して彷徨っているうちに綺麗に転倒して、大人とは思えない派手な転び方をしていました。
「…いたい」
「そりゃ、そうでしょう」
顔面から床にぶつからなかっただけマシだったけど、顔を庇った腕やら肘やらが地面にぶつかって嫌な音を立てていた。
傍観したまま助けなかった私を責めるでもなく、「手当受けてくるね」と言って去ろうとしたので、着物の裾を掴んで引き止めます。
蹴ったりど突いたりすることは出来る。なのに腕をつかむことに苦手意識、抵抗感があった。
感情的にその腕を取ったとき、満身創痍にさせてしまったという、俗にいう黒歴史が存在します。
あの時は私も若かった。自制が聞かず、怒りでつい力が入りすぎてしまったのも理由でしたけど、この子が人一倍脆弱だというのもあの惨状を招いた原因の一つでした。
地獄に来てからは亡者を呵責する機会も増えて、人体への些事加減を会得したものの、あの子にはそれが適応されないかもしれないという懸念が躊躇を生んでいました。
「医務室まで付き添います」
「大丈夫だよ別に。足じゃないし歩ける。頭も打ってないし」
「どうせ通りがかりますから」
「あ、そうなの」
性別をも体格も差し引いたって貧弱なこの子は、治癒も遅かった。
肉体の強弱は生まれ持ったものです。しかし精神的な所に左右される部分もある。この子はそれがとても顕著だった。成長速度のバラつきがそれを物語っている。
成人体型くらいにようやっと成長出来た今、ついでに強度も増しているかもと考えてみるも、望みは薄そうだとすぐに見切りをつける。そこまで期待するのも馬鹿げてる。多くを望みすぎだ。
「……うわ、ええー…」
「え?うそ」
「アレまじなんだ」
道すがら、冗談っぽく笑いながらじゃれついてきたのを振り払わなかった。
いつものことだと呆れて流しているだけでも、傍からみれば"満更でもなさそうに"映るのでしょう。
そういう姿を、唖然と見られていることなどわかっている。
今も通りがかりの獄卒たちがぽかんと口を開いてこちらを見ていた。
いつだか蓬さんに「過保護で、合わせすぎだ」とお叱りを受けたことを思い出す。こういう所がそうなのかもしれない。
自分がまず考えて動くより、相手の出方を慎重に伺ってから発言、行動する癖がついてしまっていた。
最初は警戒心から相手の出方を伺い、その後は探り探りの関係を築いたせいで、最終的にはこの子の弱さのせいで。
あえて女性を酷く無碍に扱ったことは特別ないけど、か弱いものに合わせ紳士的に尽くすというのは、我が事ながら似合わない行動だと思う。
勇者姿が似合わないとどこぞの悪魔に言われたけれど、煌めく王子様などもっと柄ではないと自覚していた。
「…それにしても」
「なに?」
「なんでこうも酷くなったんだか」
「あ、あー…」
冷かすようないくつかの視線に気が付いて、しまったという顔をしてからパッとじゃれていた腕を離した。この反応を見るにやはり何かもめごとでもあったんでしょう。いつの時代も起ることは変わりません。こういうことは定期的にありました。
だからこそ、今になって頻繁になり、悪化したことに疑問を抱きます。
大人びたことがそんなに問題でしょうか。
本当にもし心から私のことを慕ってくれていた女性がいたとしたら、年齢がいくつであろうと、きっと血の繋がりもない異性が傍にいることは快くないのでしょう。
そもそも、あの世で外見年齢に重きを置いて物を考えても、不毛だと思うのですけど。
この子が実際そうだったように、ハリボテの見せかけということだってある。
「前よりも会う機会も接する機会も減ったでしょう」
今の方が昔よりもずっとずっと距離を取って接している。
毎日顔を合わせていた頃と違って、下手をすれば数ヵ月顔を合わせないこともある。
視察で長期いない時もあるし、食事の時間がかみ合わなければ一週間も会わない。全部よくある事だ。
この子は主に食堂を使っていたけど、私はそもそも一ヵ所に留まることは出来ず、地獄のあちこちを回っていた。行く先々で片手間に食べることも多い。
たまの休日だってわざわざ二人仲良くつるんでいる訳でもないのです。
問われたその子は、うーんと口元に手を持ってきて少し考える。
「それが大人になるってことなんじゃないかな」
「大人同士がわざわざ示し合せたように会っていれば…ということですか。このくらいになったら大人にも子供にもさして違いはないと思いますけど」
片手を宙に滑らせて、現代風に言えば中学生ほどの鬼の背丈を想定して表す。
大人のソレと違って青臭くても、そのくらいまで大きくなれば色恋の本質は変わらないと思うのです。
「眠いも辛いも寒いも痛いも肉体があれば感じます。それって子供だろうが大人だろうが感じ方に変わりはありませんよね。恋愛事だって同じことでは?」
中学生、高校生になれば分別がついてきて、そこからはその抱き方に大差は生まれないだろうと考えます。
勿論若さというヤツが邪魔をして、上手には出来ないでしょうけど。
「まあ、今時の子はおマセだしね」
そうかもしれないと頷きながらも苦笑している所を見ると、腑に落ちている訳ではないようでした。
「そういうのに違いはないかもしれないけど」
「けど」
「大人になると子供の時より人間関係も複雑になるでしょ」
「まぁ立場も境遇もごちゃまぜですしね」
やっている物が物なのでその辺は弁えている。
法廷では毎日亡者の生前の行いが読みあげられ、何が善行か何が悪行かの判決を下されている。
罪を罪だと断罪するより前に、悪事を働いた時の背景も考慮しなければなりませんし、
その人物の過去、現在、その全てを参考にしながら慎重に判断しなければなりません。
各々抱えているものは違って物事の受け取り方も老若男女様々で、年を重ね経験を積んでいく事にどんどん複雑になってくる。
食の地獄、酒の地獄、色の地獄など堕ちる場所は様々あって、これをしたら罪人となり落地獄に落とされるなどの規定はあるけど、型にはめればいいと言うものではない。
その複雑さがあるが故に地獄の裁判は何重にも重ねられ、慎重に、公平にと長引いているのです。亡者は十ある庁全てを回ってようやく判決を下されます。簡単ではない仕組みになっています。
「感情だってそうなんじゃないかな」
大人と子供が抱く感情。成長と共に複雑になるものがあるように、感情も一筋縄ではいかなくなるとこの子は言いたいようでしした。
実感をこめて言うこの子にもそういう経験があるのでしょうか。
冷血だの合理的だのたまに言われる私はおそらく変に冷めていて、複雑な機微を察知する事がおそらく不得手なのです。
きっと分別のつく大人というよりは、未熟な子供に近いんだろうなと思いました。
たまたまよくも悪くも合理的という形になれただけで、そうでなければただ鈍いというだけで終わっていた。
この子だって生きるため生活するためにアレは必要コレ無意味などと、厳しい二極の取捨選択してきたはずですけど、それでもリアリストな人格は形成されず、柔らかな感受性を併せ持ったまま成長したようです。
まったく同じ境遇におかれながら枝分かれしたとなると、やはりこれが各々生まれ持った性分なのだろうなと思わされます。
「それじゃあ大変ですね」
「…他人事みたいに」
私が何に労わりを入れたのか、その意図に気が付いたその子はがくりと肩を落としていました。
それはこの子が対処することで、私が介入することではありません。
女性の間に入ってしまえばややこしくなるとお香さんに忠告されたこともありました。
そういう意味で配慮したのもありましたけど。
そもそも私自身手助けしてやろうと甲斐甲斐しくする性格はしていませんでしたし、蓬さんが言う"過保護"になりきれません。他人事と言えば他人事のように感じていました。
もうすぐ目的地につこうとしていた時、彼女がぽつりと言います。
「鬼灯くんは女の子を泣かせそうだね」
「藪から棒になんですか」
「変な情けなんてかけないし」
「そうでしょうね」
「うん」
自分の私情で亡者に情状酌量など与えてしまったら成り立たない。あくまで客観的に公平に。
可哀そうにと同情して相手にのめり込んでしまうような、感傷的で献身的な性格をしていないからこそこんな仕事をしているのです。
「慰めなんてかけてくれないだろうし」
「私だってプライベートならもう少し違いますよ」
公私混同はしませんけど、そうは言っても私生活でも過度に厳しく周囲と接しているつもりはありません。
「もー、鬼灯くんいつも徹底してるでしょ。隙ないし甘やかさないし」
「そもそもが地獄の鬼ですよ。自分の足で立てなくてどうするんです」
「そうだけど。鬼でもうんうんって言ってほしかったり、慰めてほしかったりする時もあるし」
なるほどと頷きました。性別がどちらだろうと無条件の慰めが欲しい時などいくらでもあるでしょうけれど。
この子もそういうのが自分の中にあると自覚していて、過去にかけてほしかったこともあったのでしょう。
へえ、そうですか。それが必要ならかけてあげましょうと思いました。
──目的を達成するための手段が増えたなという考えでいたのです。
それ以外の意図などなく、しかし他者からみればそれがどういう風に映るかなど考えることもなかったのでした。
3.地獄─力関係
鬼に死はないというけれど。消えるつもりは毛頭ありませんけど。
それでも自分が永遠に存在し続ける事が出来るなどと、夢を見ることはありませんでした。
「おやすみ」
「…おやすみなさい」
この言葉を交わす度に、柄にもなく感傷に近い感情を抱きます。
"もしかしたらこれが最後になるかもしれない"と時々思うのは、大昔に心からそういう覚悟をしながら口に出したことがあるからでしょう。
人間ではないから死なない。鬼は簡単には消滅しない。自分が易々と消えてやるつもりはない。
そうは言っても、何が起こるかなんてわからない世の中で、自分だけは絶対に消えることがないと過信することはできません。
そもそも私が人から鬼になれたことはただの僥倖であり、自分が掴みとった幸運ではないのです。次もいい方向に転ぶなんてどうして思えるでしょう。
「えへへ」
「…急になんですか」
「嬉しくて」
「なにが」
何がなんて聞かなくても、分かり切っているのです。
昔は頑なに渡してもらえなかったこの挨拶を、受け取ることがきっと嬉しいのです。
何千回の夜を繰り返しコレを交わし続けても、この子の中からは有難味や新鮮味が薄れることはないらしく、いつだってだらしなく顔を緩めるのでした。
あの頃はこの子のことを繋ぎ止めようともせず、いても居なくてもどちらでもよいと思っていて、なんとなく距離を近くすることに抵抗がありました。
だからこそ大人気なく、意地悪に無視を続けていたのですが、最期くらいと情けのようなものをかけたあの夜から、ずっと続く習慣に変わりました。
共に黄泉へ渡ってしまえばもう一蓮托生、どちらでもよい存在だとはもう思わなくなっていた。
更に、"ほしい"とすら思ってしまった相手にコレを渡さない理由はなかったのです。
「おはようございます」
朝日が出た頃かける言葉に嫌悪を覚えます。
彼女と夜の下にいると感傷的になり、昼の下にいると出会った時のなんとも言えない複雑さを思い出して、我ながら女々しい疑問がわいて出ます。
何故あの時出会ったのだろうと。それに次いで、何故出会ってしまったのかと後悔さえします。
絶対に、出会わない方が楽だったはずでした。
せめてあの日ほしいと渇望することなく、ただの同郷という浅い付き合いのまま、いつかさっぱりと道を違えられたらよかった。
けれどそんなの、今更考えても詮の無いこと。
出会わなければ今より楽だったとしても、きっと私は大損をすることになっていたのでしょう。
──あの子を得られたことは、確かに私が掴んだ幸運だった。共にいることを選んだ私の英断だった。
あの子は自分が掴みとった物、繋ぎ留めようとしている者。
出会いが偶然でもなんだっていい、その後に行動したのは私の意志、望んだ形に関係を造り上げられるかは己の力量次第。
「おはよう」
夜、おやすみと呟く。朝、おはようと吐き出す。
そうしてその後、笑い返してもらえることが当たり前だと驕りたかぶっていては、いつかはこの情景も脆く崩れ去るのでしょう。
今日も曖昧に言葉を交わし続けられたことに少しだけ安堵して、私の頭は考え続けます。
──確かな情があれば、傍に結び付けられるでしょうか。
──この子の望む何かを与えてやれたならば、留まる事を選ぶだろうか。
いつしかそう考えるようになりました。
この柔らかな表情の裏にあるものを、この子が本当に望むものを探ります。
物につられるような性格はしていない。精神的な拠り所になれれば一番手っ取り早いと思うも、この子は弱いようで案外強かだ。
一人は寂しいと嘆きつつも、本当は誰が傍にいなくても、自分だけでやっていけるのです。だとしたら、そんな子に必要とされることは、本当に難しいことでした。
「あっ」
話ながら歩いてるうちに、あの子が躓いて転びそうになった。
咄嗟に腕を取ろうと伸ばしかけて、そのまま固まりました。躊躇して彷徨っているうちに綺麗に転倒して、大人とは思えない派手な転び方をしていました。
「…いたい」
「そりゃ、そうでしょう」
顔面から床にぶつからなかっただけマシだったけど、顔を庇った腕やら肘やらが地面にぶつかって嫌な音を立てていた。
傍観したまま助けなかった私を責めるでもなく、「手当受けてくるね」と言って去ろうとしたので、着物の裾を掴んで引き止めます。
蹴ったりど突いたりすることは出来る。なのに腕をつかむことに苦手意識、抵抗感があった。
感情的にその腕を取ったとき、満身創痍にさせてしまったという、俗にいう黒歴史が存在します。
あの時は私も若かった。自制が聞かず、怒りでつい力が入りすぎてしまったのも理由でしたけど、この子が人一倍脆弱だというのもあの惨状を招いた原因の一つでした。
地獄に来てからは亡者を呵責する機会も増えて、人体への些事加減を会得したものの、あの子にはそれが適応されないかもしれないという懸念が躊躇を生んでいました。
「医務室まで付き添います」
「大丈夫だよ別に。足じゃないし歩ける。頭も打ってないし」
「どうせ通りがかりますから」
「あ、そうなの」
性別をも体格も差し引いたって貧弱なこの子は、治癒も遅かった。
肉体の強弱は生まれ持ったものです。しかし精神的な所に左右される部分もある。この子はそれがとても顕著だった。成長速度のバラつきがそれを物語っている。
成人体型くらいにようやっと成長出来た今、ついでに強度も増しているかもと考えてみるも、望みは薄そうだとすぐに見切りをつける。そこまで期待するのも馬鹿げてる。多くを望みすぎだ。
「……うわ、ええー…」
「え?うそ」
「アレまじなんだ」
道すがら、冗談っぽく笑いながらじゃれついてきたのを振り払わなかった。
いつものことだと呆れて流しているだけでも、傍からみれば"満更でもなさそうに"映るのでしょう。
そういう姿を、唖然と見られていることなどわかっている。
今も通りがかりの獄卒たちがぽかんと口を開いてこちらを見ていた。
いつだか蓬さんに「過保護で、合わせすぎだ」とお叱りを受けたことを思い出す。こういう所がそうなのかもしれない。
自分がまず考えて動くより、相手の出方を慎重に伺ってから発言、行動する癖がついてしまっていた。
最初は警戒心から相手の出方を伺い、その後は探り探りの関係を築いたせいで、最終的にはこの子の弱さのせいで。
あえて女性を酷く無碍に扱ったことは特別ないけど、か弱いものに合わせ紳士的に尽くすというのは、我が事ながら似合わない行動だと思う。
勇者姿が似合わないとどこぞの悪魔に言われたけれど、煌めく王子様などもっと柄ではないと自覚していた。
「…それにしても」
「なに?」
「なんでこうも酷くなったんだか」
「あ、あー…」
冷かすようないくつかの視線に気が付いて、しまったという顔をしてからパッとじゃれていた腕を離した。この反応を見るにやはり何かもめごとでもあったんでしょう。いつの時代も起ることは変わりません。こういうことは定期的にありました。
だからこそ、今になって頻繁になり、悪化したことに疑問を抱きます。
大人びたことがそんなに問題でしょうか。
本当にもし心から私のことを慕ってくれていた女性がいたとしたら、年齢がいくつであろうと、きっと血の繋がりもない異性が傍にいることは快くないのでしょう。
そもそも、あの世で外見年齢に重きを置いて物を考えても、不毛だと思うのですけど。
この子が実際そうだったように、ハリボテの見せかけということだってある。
「前よりも会う機会も接する機会も減ったでしょう」
今の方が昔よりもずっとずっと距離を取って接している。
毎日顔を合わせていた頃と違って、下手をすれば数ヵ月顔を合わせないこともある。
視察で長期いない時もあるし、食事の時間がかみ合わなければ一週間も会わない。全部よくある事だ。
この子は主に食堂を使っていたけど、私はそもそも一ヵ所に留まることは出来ず、地獄のあちこちを回っていた。行く先々で片手間に食べることも多い。
たまの休日だってわざわざ二人仲良くつるんでいる訳でもないのです。
問われたその子は、うーんと口元に手を持ってきて少し考える。
「それが大人になるってことなんじゃないかな」
「大人同士がわざわざ示し合せたように会っていれば…ということですか。このくらいになったら大人にも子供にもさして違いはないと思いますけど」
片手を宙に滑らせて、現代風に言えば中学生ほどの鬼の背丈を想定して表す。
大人のソレと違って青臭くても、そのくらいまで大きくなれば色恋の本質は変わらないと思うのです。
「眠いも辛いも寒いも痛いも肉体があれば感じます。それって子供だろうが大人だろうが感じ方に変わりはありませんよね。恋愛事だって同じことでは?」
中学生、高校生になれば分別がついてきて、そこからはその抱き方に大差は生まれないだろうと考えます。
勿論若さというヤツが邪魔をして、上手には出来ないでしょうけど。
「まあ、今時の子はおマセだしね」
そうかもしれないと頷きながらも苦笑している所を見ると、腑に落ちている訳ではないようでした。
「そういうのに違いはないかもしれないけど」
「けど」
「大人になると子供の時より人間関係も複雑になるでしょ」
「まぁ立場も境遇もごちゃまぜですしね」
やっている物が物なのでその辺は弁えている。
法廷では毎日亡者の生前の行いが読みあげられ、何が善行か何が悪行かの判決を下されている。
罪を罪だと断罪するより前に、悪事を働いた時の背景も考慮しなければなりませんし、
その人物の過去、現在、その全てを参考にしながら慎重に判断しなければなりません。
各々抱えているものは違って物事の受け取り方も老若男女様々で、年を重ね経験を積んでいく事にどんどん複雑になってくる。
食の地獄、酒の地獄、色の地獄など堕ちる場所は様々あって、これをしたら罪人となり落地獄に落とされるなどの規定はあるけど、型にはめればいいと言うものではない。
その複雑さがあるが故に地獄の裁判は何重にも重ねられ、慎重に、公平にと長引いているのです。亡者は十ある庁全てを回ってようやく判決を下されます。簡単ではない仕組みになっています。
「感情だってそうなんじゃないかな」
大人と子供が抱く感情。成長と共に複雑になるものがあるように、感情も一筋縄ではいかなくなるとこの子は言いたいようでしした。
実感をこめて言うこの子にもそういう経験があるのでしょうか。
冷血だの合理的だのたまに言われる私はおそらく変に冷めていて、複雑な機微を察知する事がおそらく不得手なのです。
きっと分別のつく大人というよりは、未熟な子供に近いんだろうなと思いました。
たまたまよくも悪くも合理的という形になれただけで、そうでなければただ鈍いというだけで終わっていた。
この子だって生きるため生活するためにアレは必要コレ無意味などと、厳しい二極の取捨選択してきたはずですけど、それでもリアリストな人格は形成されず、柔らかな感受性を併せ持ったまま成長したようです。
まったく同じ境遇におかれながら枝分かれしたとなると、やはりこれが各々生まれ持った性分なのだろうなと思わされます。
「それじゃあ大変ですね」
「…他人事みたいに」
私が何に労わりを入れたのか、その意図に気が付いたその子はがくりと肩を落としていました。
それはこの子が対処することで、私が介入することではありません。
女性の間に入ってしまえばややこしくなるとお香さんに忠告されたこともありました。
そういう意味で配慮したのもありましたけど。
そもそも私自身手助けしてやろうと甲斐甲斐しくする性格はしていませんでしたし、蓬さんが言う"過保護"になりきれません。他人事と言えば他人事のように感じていました。
もうすぐ目的地につこうとしていた時、彼女がぽつりと言います。
「鬼灯くんは女の子を泣かせそうだね」
「藪から棒になんですか」
「変な情けなんてかけないし」
「そうでしょうね」
「うん」
自分の私情で亡者に情状酌量など与えてしまったら成り立たない。あくまで客観的に公平に。
可哀そうにと同情して相手にのめり込んでしまうような、感傷的で献身的な性格をしていないからこそこんな仕事をしているのです。
「慰めなんてかけてくれないだろうし」
「私だってプライベートならもう少し違いますよ」
公私混同はしませんけど、そうは言っても私生活でも過度に厳しく周囲と接しているつもりはありません。
「もー、鬼灯くんいつも徹底してるでしょ。隙ないし甘やかさないし」
「そもそもが地獄の鬼ですよ。自分の足で立てなくてどうするんです」
「そうだけど。鬼でもうんうんって言ってほしかったり、慰めてほしかったりする時もあるし」
なるほどと頷きました。性別がどちらだろうと無条件の慰めが欲しい時などいくらでもあるでしょうけれど。
この子もそういうのが自分の中にあると自覚していて、過去にかけてほしかったこともあったのでしょう。
へえ、そうですか。それが必要ならかけてあげましょうと思いました。
──目的を達成するための手段が増えたなという考えでいたのです。
それ以外の意図などなく、しかし他者からみればそれがどういう風に映るかなど考えることもなかったのでした。