第四十四話
3.地獄─執着講座
会いたくないからと言って会いたくないやつと顔を合わせずに済むなら、それこそ天にも昇る気分になる事でしょう。
医学、薬学の研究をしていれば必然的に顔を合わせる機会が作られます。
職務放棄をして突っぱねる訳にもいかず、天国・桃源郷まで足を運ばせる。
扉を開き、中にいたモノと対面した瞬間、それを視界に入れてしまった不快感で顔を顰めた。
それは相手も一緒だったようで、漢方の権威とやらの神獣は同じように嫌そうな顔をしている。
気配に気が付いたようで、部屋の奥から店先へ顔を出してきた桃太郎さんも別の意味でゲッという顔をしていた。
彼のそれは、私がどうのという話ではなく、「また喧嘩が始まるんだろうな…」という呆れから来ている反応でしょうけれど。
わざわざぶつからず、不可侵でいられるなら上々だとお互い分かっています。
けれどそれが出来たら苦労していない。
元々何もかも合わないでで言い合いは止まなかったのに、最近になって新たな火種が造られてしまった。
もちろん、そのことについて話さないで、物々交換だけして無難に帰れる訳がなかったのです。
「……あの子がとられるか取られないか、そればっかり考えてるみたいだけど。入念に隠してまで」
暫く何を話すでもない、不毛な睨み合いが続いた後、心底憎たらしそうに相手は声を絞り出しました。
「ええそうですね、目の前のあなたにとか」
皮肉や嫌味めいた物が混じっていることはわかりましたが、意に介さずすんなりと頷きました。
ただの皮肉という訳でもなく、実際に懸念していることです。
あの子が、この女好きの食指が向くであろう性別であるからという話でもない。
それより尚性質悪く、ただひたすらに欲しがるに違いないと分かっているのです。
相手も相手でそれを否定する事もなく、ハッと鼻で笑いながら肯定しました。
「そりゃあほしいよ?彼女にしたいよ?女の子はみんなかわいい、あの子もかわいい。でもちゃんは男っていうか、神を誘惑してくる感じだよね。それも否定しないけど」
「…」
あまりにも露骨に隠しもせずに本音を口走った様をみて、ここまで潔いと天晴だとも思いました。
あの子に相手を誘惑する意図などは露ほどもなく、ただそこにいるだけで理由もなく目を惹いてしまうのです、こんな事は言いがかりに過ぎない。
…いや事が起こるからにはきっと理由があるのでしょう。
そしてこの男は、きっと根源にあるものを分かっていながら語っているのだろうと思うと、腹の底から怒りやら何やら色んなものが湧き上がってくる。
「こういうのさあ、僕が言うのもなんだけど…みんながみんなお前みたいな執着の仕方すると思ってんの?本気で思ってるなら凄いよね」
「執着してることは認めますけど、あなたが言うようなおかしな形を取ってる覚えはありません」
心底気持ち悪そうに言われましたけれど、心底心外でした。
自分のこれは大人になった今でも子供のような独占欲なままだと思ってる。
大人になっても子供のまま成長がないという部分のことを言ってるならまぁ、変に拗らせてしまったなという自覚はあるにはありますけど。
この感情自体は異常なものだとは思っていません。
烏頭さんが物作りや音楽に執着すること、蓬さんが漫画やアニメに執着すること、お香さんが蛇に執着すること。
一つの物に打ち込んだり趣味にしたり熱中して執着すること。それらとさして違いがないでしょうと。
男女の関係に発展するには長く近く傍にいすぎているので、篁さんにしてもコレにしても、頑なに恋愛恋愛と疑われ続ける事には引っかかりを覚えます。
そうなれたら都合がいいと心から考えつつも、あの子と自分を色恋で結びつけるというのは、違和感の塊どころの話ではありませんでした。
すると、その反応を見て益々気持ち悪そうな顔をして腕をさすりながら言った。
苦々しそうに傍観していた桃太郎さんは、よく分からないといった顔をしていたけれど、話が進むにつれて無意識にか身を引かせていました。
「……拗らせてる」
「……は?」
「お前恋愛を拗らせてる」
「おまいうって言葉遣いたくてたまらないんですけど使っていいですか?」
「もう使ったも同然じゃない!?うるさいわ!」
激昂して声を荒らげ、だんだん前のめりにヒートアップしてきたのを見かねた桃太郎さんに背後から掴まれ止められた。
バッと後ろを振り返り、その勢いのままに不満を吐き出した。
「桃タローくんなんで止めるの!?」
「いやそりゃ止めるでしょう。これ以上放ってたら絶対碌なことにならん」
何か騒ぎ始めてもとりあえず放っておくけど、完全放任主義という訳でもなく。
行き過ぎたら喝を入れ出す桃太郎さんはまるで母親のようでした。
首を振ってこれ以上は駄目だと諌めるも、それで大人しくなるはずもなく、反論を続けたる。
「だってさあ、桃タローくんはこいつの拗らせ悪癖とか知らないかもしれないけど…こいつおかしいんだよ?ていうか普通に変なヤツでしょ?」
「そりゃ普通に変だと思いますけど…」
当然だとでも言いたげに喰い気味に頷いてしまってから、桃太郎さんはハッと己の失言に気が付いて勢いよく顔を背けました。
別に変だと言われたくらいで怒りやしない。無条件に怯えすぎです。
「あ、あー、あのですね、」と話を切り替えて、舵を切り、桃太郎さんは会話の主導権を自分が握ることで仲裁しようとしていました。
「鬼灯さんってあのひと…さんのこと…えーと、好きなんですか?」
「別にあの子のこと、好きじゃありませんけど」
「いやうそつけ!!」
「よくお前それ真顔で言ったな!?」
二人同時に食い気味にツッコミが入った。すっかり仲のいい師弟になれたようで大変結構。
大昔いつかどこかで誰かとしたようなやり取りでした。
結局期待している返事など一つだけなんでしょう。一応の形を取っただけ。
ひととして(鬼として)好きか嫌いかといえば、腐っても永く共に暮らしてきた子ですから、嫌いであるはずがありません。
けれどそういう事ではなくて、この手の問いは「恋愛的な意味で好きか嫌いか?」という意味であって、「はいそうです」と返されるのを待っているに違いないのです。
「まあ、確かに俺よく知らないんだけど…でもそれ本人が聞いたらどう思うでしょうね…」
かわいそう…と同情気味に、引き気味に桃太郎さんが言いました。
あの子と同じ場所に居合わせた少しだけで、親しいという事はわかったのでしょう。
間違ってはいません。
けれど、どうもこうもない。私がこうなのは昔からのことです。
あの子も私が真っ直ぐでないことだってとうに分かって、流すことを心得ている様子です。
私が素気無く扱って、あの子もひどいとか鬼とか泣き言を言いつつもどうせ心から気に病みはしないし、明日には忘れることでしょう。
「別になんとも思わないでしょうね。あなたの耳通りの悪い言葉だって、あの子にかかれば右から左に綺麗に流れる事でしょう」
「本気で本気で猛烈に口説くぞフリかこの野郎!!」
「ハイハイ撤収ッ!!」
桃太郎さんも渡すべき物が上司のポケットに入っているということをもう心得ているので、声を大きくして叫びながら、それを取り出して私の方に投げて寄越しました。
高らかに宣言したアホは、最終的に出来る部下によって建物の中に引きずられるようにして去っていった。
アホにアホと言われて心外だ。頭脳の賢さと人格面の善し悪しは比例しない。
投げ渡された貴重な薬を昼の光に透かして見ながらつくづくそう思う。
別にやってみろと挑発したつもりはありません。鼻で笑ったのは確かですけど。
こういう話題は示し合せずとも、周囲でなんとなく連鎖していくものだった。
「最近まともに恋愛しなさいよーってしょっちゅう言われる」
「…れんあい?」
「恋に愛ってかくやつだよ」
あの子と食堂で机を囲んでいる時、ふと思い出したかのように切り出された。
意図せず最近よく話題になるものを、当の本人からも運ばれて感心する。
こういう連鎖ってどうして起こるんでしょうねと頭の片隅で感心しながら、否定するようにぱたぱたと手を振った。
細かに説明されずとも普通わかるだろうものを、あえてしつこく説明してくるこの子は最近退屈でもしていたのでしょうか。いやそれなりに忙しいはずなんですけど。
それかストレスでもたまっていて、中身のない会話でもしたいだけなのかもしれない。
「そのくらいわかりますよ。…あなたが?」
「そんな豆鉄砲くらったみたいな顔しなくても」
自他ともに無愛想と言われるこの顔がそんなことになっていたのかどうか謎だけど、それはさておいて。
定時上がりでスイッチオフになり、一度部屋に帰ったのか少しくつろいだ着物を纏っているこの子と、居残って徹夜している私。
休憩することを進めて窘めつつも止めはしない。ほどほどに放任するのはやはり大昔から変わりません。
過干渉をせず自分と他人の境界線を作り、己の意志での自立を促し、自己責任を念頭に置いて動くことを推奨している。この子はある意味乾いているというか。地獄の鬼らしいのかもしれません。
人が終わらない仕事消化に苛まれているというのに、だらだら話していられるというのも中々図太い。
この子のあずかり知れぬ領分であり手伝おうかと言える物でもなく、ならばそうしている他ないのですが。
もうしおらしくする事は出来ないんでしょうか。
苛まれていると言いつつだらだら話にだらだら付き合ってしまう私も私なんでしょうけど。
「なんで今更になって?色恋にはしゃぐ年ごろにそんな話題一つ持ち出さなかったあなたが」
「女の子は一生女の子だよ、ひどい…」
案に年増が今更そんな話を…と言ってしまったような形になり口を噤む。
人間時代からの付き合いです。この子と年はおそらくそう変わらない。
言った言葉はすべてこちらにも跳ね返ってくるのだからご愛嬌だ。
こういう話をしていると自然と日中アレに言われた言葉が頭に反芻して止まず、ならば雑談の一環として吐き出して消化してしまうおうかと、我ながら嫌そうな顔をしながら話しました。
「…不本意な事ですけど、恋愛拗らせてるらしいですよ、私。あなたもどこかしら拗らせてるんですかね」
「何それ。ていうか、鬼灯くんは恋愛する気ないってだけじゃないの?ずっと仕事が恋人のままだよ」
「拗らせてるのはあなただけでしたか。残念なひとですね」
「…今更だけど、鬼灯くんってぐさぐさ刺してくるなあ」
まるで万人に対してそんな感じだと受け取れるような物言いをしたけど、そんなことはない。人と状況は選んでいるつもりだった。
自分が年中無休でそういうことを言われてる気がしてるなら、そういうことなんでしょう。
自由な行動をしている我が身を棚に上げていいますけど、己を振り返ってみてほしいものです。
すると、手元にあった湯呑を両手で弄びながら、あー、とかうーんとかもごもごした言葉を口の中で転がして、居心地悪そうに手元をいじったりしていたこの子は、意を決したように切り出しました。
「…あのね」
「はい」
「そのことなんだけど」
「どのことですか」
「ええと…」
再びもごもごして煮え切らない態度を取った。
黙って視線で先を促すと、苦々しい笑顔を湛えながら言いました。
「こうやって一緒にいるのどうなんだろうって」
「どうとは」
「男女だから」
また男女という言葉を引き合いに出されて眉を顰めた。夜食として差し出された握り飯を咀嚼しながら考える。
男とか女とか、異性への区別も意識も配慮も確かに必要ですけど、過剰に線引きして引き合いに出しすぎではないかと最近思います。
特にあの世では女子の方が強いことなどザラにあるのです。女子がか弱く絶対に護られるべき存在なんていう概念はここにはなく、性別関係なしに当人の強み、性分を伸ばすべき。
特に、この子の女性らしさを過度に尊重する必要はないと思っている。
肉体的には一般女子のように弱いんだとは認めますし、穏やかな性格をしてるとも思いますが、本人がその辺に頓着していないのです。
女性らしく淑やかにあろうともしなかったし、かと言って男子らしく乱雑な態度を取るでもない。この子はその辺どうだっていいのです。
なのでわざとらしく女子らしい扱いをしなくてもいいと、当人の個性を見て言っているのですけど。
咀嚼して喉の奥に下した後、空になった口を開いた。
「だから?」
「…まずいと思う?」
会話が成立しない。しかし恋愛の話をしていたのだという前提を思い出せば、言わんとしていることがなんとなくは理解できた。
というよりも、まったく同じようなことを持ちかけられていたので察するのは容易かったのです。
外野だけでなく、半分当事者のこの子までそんなことを言い出すかと呆れ半分で返しました。
「散々言われてきたことでしょう」
からかいなど腐るほどあったでしょうと言うと、机にいくつか積まれた握り飯を手に取り、今度はそれを手のひらで転がしながらうんうんと頷いた。本気でまずいと悩んでいる様子はない。
ならなぜあえて問題視を?と疑問に思わずにいられなかった。
「でも、前よりもっと変わるかも」
「そりゃあまあ昔よりは性質が違うでしょうね」
「そうそうあり得ないくらい違う」
「なんでそんな必死なんですか。実害でもありました?」
「…あったとしてもねえ」
「何も変わらないでしょ」
「まあそうだね」
私が謂れのないことで動かされる性質ではないと分かっていて、納得して頷く。
それを当たり前のように理解しているということは、この子自身も動いてやる必要がないと分かっているということ。
過去にもあったらしい私絡みの女子同士の対立。私が介入するまでもなくこの子はひとりで対処していたし、私も私でこの子が好きなんだという男に絡まれ、お話をしたことが片手で数えられるくらいの回数あった。
昔の個人間の諍いにしかならなかった頃ならともかく、今だと度が過ぎる騒ぎになれば処罰の対象になるでしょう。
お互い上手いこと穏便に区切りをつけるしかない。
「…本当に心底まずい状況になったとして」
もしもの話を切り出します。
食事に動かす手を止めて、じっと相手の目を見つめながら問いました。
「仕方がないからと、離れるんですか」
彼女はその問いを受け止めて、少し驚いたように瞳を瞬かせたあと、ふとおかしそうに目を細めて笑いました。
思いだし笑いでもしているのか小さく笑いをこぼしつつ。
「仕方ないことなんかじゃないよ」
いつか交わしたやり取りを彷彿とさせました。
いや実際にこの子はそれを引き合いに出してきたのでしょう。仕方ないからと諦め腰でいたこの子に、諦めていいこと悪いことの区別をしろと言ったのは私でした。
この子なりに思う所があったのでしょう、あれからも物事を考える物差し代わりに使っているらしい。
あえて昔のやり取りを引き合いに出して、くすくす笑っています。
──それを見て、ああ良かったと安堵したのです。
まだこの子を留めるに至る枠組みを用意できていないのです。こんなくだらないことで気を利かせて消えられても困ってしまう。
周囲のためでもなくこの子のためでもなく、あくまで自分本位。
いくらもてはやされようと、畏れられようと頼られようと図体がでかくなろうと、精神は未熟なままであり、殊更この子のこととなると、大昔の幼い感情を引き継いだまま接し行動する他ないのでした。
「じゃあそうしよう」
「はい」
この子が予想した"まずい状況"に陥る前に、この子がいつか消えてしまう前に。
私はせっせとこの子が納得できる枠組みを作り上げる。
そして終わりが来る時まで傍で留める。幸い今までこうしてよく分からないまま、曖昧にやってこれたのです。
どうにかしてみせます、どうにか作り上げてみせます、足るだけの情を見つけてみせます。いつか終わりがやって来る前に。
いつまでも続くなんておとぎ話を、間違ってもこの口から紡げるはずがありませんでした。
3.地獄─執着講座
会いたくないからと言って会いたくないやつと顔を合わせずに済むなら、それこそ天にも昇る気分になる事でしょう。
医学、薬学の研究をしていれば必然的に顔を合わせる機会が作られます。
職務放棄をして突っぱねる訳にもいかず、天国・桃源郷まで足を運ばせる。
扉を開き、中にいたモノと対面した瞬間、それを視界に入れてしまった不快感で顔を顰めた。
それは相手も一緒だったようで、漢方の権威とやらの神獣は同じように嫌そうな顔をしている。
気配に気が付いたようで、部屋の奥から店先へ顔を出してきた桃太郎さんも別の意味でゲッという顔をしていた。
彼のそれは、私がどうのという話ではなく、「また喧嘩が始まるんだろうな…」という呆れから来ている反応でしょうけれど。
わざわざぶつからず、不可侵でいられるなら上々だとお互い分かっています。
けれどそれが出来たら苦労していない。
元々何もかも合わないでで言い合いは止まなかったのに、最近になって新たな火種が造られてしまった。
もちろん、そのことについて話さないで、物々交換だけして無難に帰れる訳がなかったのです。
「……あの子がとられるか取られないか、そればっかり考えてるみたいだけど。入念に隠してまで」
暫く何を話すでもない、不毛な睨み合いが続いた後、心底憎たらしそうに相手は声を絞り出しました。
「ええそうですね、目の前のあなたにとか」
皮肉や嫌味めいた物が混じっていることはわかりましたが、意に介さずすんなりと頷きました。
ただの皮肉という訳でもなく、実際に懸念していることです。
あの子が、この女好きの食指が向くであろう性別であるからという話でもない。
それより尚性質悪く、ただひたすらに欲しがるに違いないと分かっているのです。
相手も相手でそれを否定する事もなく、ハッと鼻で笑いながら肯定しました。
「そりゃあほしいよ?彼女にしたいよ?女の子はみんなかわいい、あの子もかわいい。でもちゃんは男っていうか、神を誘惑してくる感じだよね。それも否定しないけど」
「…」
あまりにも露骨に隠しもせずに本音を口走った様をみて、ここまで潔いと天晴だとも思いました。
あの子に相手を誘惑する意図などは露ほどもなく、ただそこにいるだけで理由もなく目を惹いてしまうのです、こんな事は言いがかりに過ぎない。
…いや事が起こるからにはきっと理由があるのでしょう。
そしてこの男は、きっと根源にあるものを分かっていながら語っているのだろうと思うと、腹の底から怒りやら何やら色んなものが湧き上がってくる。
「こういうのさあ、僕が言うのもなんだけど…みんながみんなお前みたいな執着の仕方すると思ってんの?本気で思ってるなら凄いよね」
「執着してることは認めますけど、あなたが言うようなおかしな形を取ってる覚えはありません」
心底気持ち悪そうに言われましたけれど、心底心外でした。
自分のこれは大人になった今でも子供のような独占欲なままだと思ってる。
大人になっても子供のまま成長がないという部分のことを言ってるならまぁ、変に拗らせてしまったなという自覚はあるにはありますけど。
この感情自体は異常なものだとは思っていません。
烏頭さんが物作りや音楽に執着すること、蓬さんが漫画やアニメに執着すること、お香さんが蛇に執着すること。
一つの物に打ち込んだり趣味にしたり熱中して執着すること。それらとさして違いがないでしょうと。
男女の関係に発展するには長く近く傍にいすぎているので、篁さんにしてもコレにしても、頑なに恋愛恋愛と疑われ続ける事には引っかかりを覚えます。
そうなれたら都合がいいと心から考えつつも、あの子と自分を色恋で結びつけるというのは、違和感の塊どころの話ではありませんでした。
すると、その反応を見て益々気持ち悪そうな顔をして腕をさすりながら言った。
苦々しそうに傍観していた桃太郎さんは、よく分からないといった顔をしていたけれど、話が進むにつれて無意識にか身を引かせていました。
「……拗らせてる」
「……は?」
「お前恋愛を拗らせてる」
「おまいうって言葉遣いたくてたまらないんですけど使っていいですか?」
「もう使ったも同然じゃない!?うるさいわ!」
激昂して声を荒らげ、だんだん前のめりにヒートアップしてきたのを見かねた桃太郎さんに背後から掴まれ止められた。
バッと後ろを振り返り、その勢いのままに不満を吐き出した。
「桃タローくんなんで止めるの!?」
「いやそりゃ止めるでしょう。これ以上放ってたら絶対碌なことにならん」
何か騒ぎ始めてもとりあえず放っておくけど、完全放任主義という訳でもなく。
行き過ぎたら喝を入れ出す桃太郎さんはまるで母親のようでした。
首を振ってこれ以上は駄目だと諌めるも、それで大人しくなるはずもなく、反論を続けたる。
「だってさあ、桃タローくんはこいつの拗らせ悪癖とか知らないかもしれないけど…こいつおかしいんだよ?ていうか普通に変なヤツでしょ?」
「そりゃ普通に変だと思いますけど…」
当然だとでも言いたげに喰い気味に頷いてしまってから、桃太郎さんはハッと己の失言に気が付いて勢いよく顔を背けました。
別に変だと言われたくらいで怒りやしない。無条件に怯えすぎです。
「あ、あー、あのですね、」と話を切り替えて、舵を切り、桃太郎さんは会話の主導権を自分が握ることで仲裁しようとしていました。
「鬼灯さんってあのひと…さんのこと…えーと、好きなんですか?」
「別にあの子のこと、好きじゃありませんけど」
「いやうそつけ!!」
「よくお前それ真顔で言ったな!?」
二人同時に食い気味にツッコミが入った。すっかり仲のいい師弟になれたようで大変結構。
大昔いつかどこかで誰かとしたようなやり取りでした。
結局期待している返事など一つだけなんでしょう。一応の形を取っただけ。
ひととして(鬼として)好きか嫌いかといえば、腐っても永く共に暮らしてきた子ですから、嫌いであるはずがありません。
けれどそういう事ではなくて、この手の問いは「恋愛的な意味で好きか嫌いか?」という意味であって、「はいそうです」と返されるのを待っているに違いないのです。
「まあ、確かに俺よく知らないんだけど…でもそれ本人が聞いたらどう思うでしょうね…」
かわいそう…と同情気味に、引き気味に桃太郎さんが言いました。
あの子と同じ場所に居合わせた少しだけで、親しいという事はわかったのでしょう。
間違ってはいません。
けれど、どうもこうもない。私がこうなのは昔からのことです。
あの子も私が真っ直ぐでないことだってとうに分かって、流すことを心得ている様子です。
私が素気無く扱って、あの子もひどいとか鬼とか泣き言を言いつつもどうせ心から気に病みはしないし、明日には忘れることでしょう。
「別になんとも思わないでしょうね。あなたの耳通りの悪い言葉だって、あの子にかかれば右から左に綺麗に流れる事でしょう」
「本気で本気で猛烈に口説くぞフリかこの野郎!!」
「ハイハイ撤収ッ!!」
桃太郎さんも渡すべき物が上司のポケットに入っているということをもう心得ているので、声を大きくして叫びながら、それを取り出して私の方に投げて寄越しました。
高らかに宣言したアホは、最終的に出来る部下によって建物の中に引きずられるようにして去っていった。
アホにアホと言われて心外だ。頭脳の賢さと人格面の善し悪しは比例しない。
投げ渡された貴重な薬を昼の光に透かして見ながらつくづくそう思う。
別にやってみろと挑発したつもりはありません。鼻で笑ったのは確かですけど。
こういう話題は示し合せずとも、周囲でなんとなく連鎖していくものだった。
「最近まともに恋愛しなさいよーってしょっちゅう言われる」
「…れんあい?」
「恋に愛ってかくやつだよ」
あの子と食堂で机を囲んでいる時、ふと思い出したかのように切り出された。
意図せず最近よく話題になるものを、当の本人からも運ばれて感心する。
こういう連鎖ってどうして起こるんでしょうねと頭の片隅で感心しながら、否定するようにぱたぱたと手を振った。
細かに説明されずとも普通わかるだろうものを、あえてしつこく説明してくるこの子は最近退屈でもしていたのでしょうか。いやそれなりに忙しいはずなんですけど。
それかストレスでもたまっていて、中身のない会話でもしたいだけなのかもしれない。
「そのくらいわかりますよ。…あなたが?」
「そんな豆鉄砲くらったみたいな顔しなくても」
自他ともに無愛想と言われるこの顔がそんなことになっていたのかどうか謎だけど、それはさておいて。
定時上がりでスイッチオフになり、一度部屋に帰ったのか少しくつろいだ着物を纏っているこの子と、居残って徹夜している私。
休憩することを進めて窘めつつも止めはしない。ほどほどに放任するのはやはり大昔から変わりません。
過干渉をせず自分と他人の境界線を作り、己の意志での自立を促し、自己責任を念頭に置いて動くことを推奨している。この子はある意味乾いているというか。地獄の鬼らしいのかもしれません。
人が終わらない仕事消化に苛まれているというのに、だらだら話していられるというのも中々図太い。
この子のあずかり知れぬ領分であり手伝おうかと言える物でもなく、ならばそうしている他ないのですが。
もうしおらしくする事は出来ないんでしょうか。
苛まれていると言いつつだらだら話にだらだら付き合ってしまう私も私なんでしょうけど。
「なんで今更になって?色恋にはしゃぐ年ごろにそんな話題一つ持ち出さなかったあなたが」
「女の子は一生女の子だよ、ひどい…」
案に年増が今更そんな話を…と言ってしまったような形になり口を噤む。
人間時代からの付き合いです。この子と年はおそらくそう変わらない。
言った言葉はすべてこちらにも跳ね返ってくるのだからご愛嬌だ。
こういう話をしていると自然と日中アレに言われた言葉が頭に反芻して止まず、ならば雑談の一環として吐き出して消化してしまうおうかと、我ながら嫌そうな顔をしながら話しました。
「…不本意な事ですけど、恋愛拗らせてるらしいですよ、私。あなたもどこかしら拗らせてるんですかね」
「何それ。ていうか、鬼灯くんは恋愛する気ないってだけじゃないの?ずっと仕事が恋人のままだよ」
「拗らせてるのはあなただけでしたか。残念なひとですね」
「…今更だけど、鬼灯くんってぐさぐさ刺してくるなあ」
まるで万人に対してそんな感じだと受け取れるような物言いをしたけど、そんなことはない。人と状況は選んでいるつもりだった。
自分が年中無休でそういうことを言われてる気がしてるなら、そういうことなんでしょう。
自由な行動をしている我が身を棚に上げていいますけど、己を振り返ってみてほしいものです。
すると、手元にあった湯呑を両手で弄びながら、あー、とかうーんとかもごもごした言葉を口の中で転がして、居心地悪そうに手元をいじったりしていたこの子は、意を決したように切り出しました。
「…あのね」
「はい」
「そのことなんだけど」
「どのことですか」
「ええと…」
再びもごもごして煮え切らない態度を取った。
黙って視線で先を促すと、苦々しい笑顔を湛えながら言いました。
「こうやって一緒にいるのどうなんだろうって」
「どうとは」
「男女だから」
また男女という言葉を引き合いに出されて眉を顰めた。夜食として差し出された握り飯を咀嚼しながら考える。
男とか女とか、異性への区別も意識も配慮も確かに必要ですけど、過剰に線引きして引き合いに出しすぎではないかと最近思います。
特にあの世では女子の方が強いことなどザラにあるのです。女子がか弱く絶対に護られるべき存在なんていう概念はここにはなく、性別関係なしに当人の強み、性分を伸ばすべき。
特に、この子の女性らしさを過度に尊重する必要はないと思っている。
肉体的には一般女子のように弱いんだとは認めますし、穏やかな性格をしてるとも思いますが、本人がその辺に頓着していないのです。
女性らしく淑やかにあろうともしなかったし、かと言って男子らしく乱雑な態度を取るでもない。この子はその辺どうだっていいのです。
なのでわざとらしく女子らしい扱いをしなくてもいいと、当人の個性を見て言っているのですけど。
咀嚼して喉の奥に下した後、空になった口を開いた。
「だから?」
「…まずいと思う?」
会話が成立しない。しかし恋愛の話をしていたのだという前提を思い出せば、言わんとしていることがなんとなくは理解できた。
というよりも、まったく同じようなことを持ちかけられていたので察するのは容易かったのです。
外野だけでなく、半分当事者のこの子までそんなことを言い出すかと呆れ半分で返しました。
「散々言われてきたことでしょう」
からかいなど腐るほどあったでしょうと言うと、机にいくつか積まれた握り飯を手に取り、今度はそれを手のひらで転がしながらうんうんと頷いた。本気でまずいと悩んでいる様子はない。
ならなぜあえて問題視を?と疑問に思わずにいられなかった。
「でも、前よりもっと変わるかも」
「そりゃあまあ昔よりは性質が違うでしょうね」
「そうそうあり得ないくらい違う」
「なんでそんな必死なんですか。実害でもありました?」
「…あったとしてもねえ」
「何も変わらないでしょ」
「まあそうだね」
私が謂れのないことで動かされる性質ではないと分かっていて、納得して頷く。
それを当たり前のように理解しているということは、この子自身も動いてやる必要がないと分かっているということ。
過去にもあったらしい私絡みの女子同士の対立。私が介入するまでもなくこの子はひとりで対処していたし、私も私でこの子が好きなんだという男に絡まれ、お話をしたことが片手で数えられるくらいの回数あった。
昔の個人間の諍いにしかならなかった頃ならともかく、今だと度が過ぎる騒ぎになれば処罰の対象になるでしょう。
お互い上手いこと穏便に区切りをつけるしかない。
「…本当に心底まずい状況になったとして」
もしもの話を切り出します。
食事に動かす手を止めて、じっと相手の目を見つめながら問いました。
「仕方がないからと、離れるんですか」
彼女はその問いを受け止めて、少し驚いたように瞳を瞬かせたあと、ふとおかしそうに目を細めて笑いました。
思いだし笑いでもしているのか小さく笑いをこぼしつつ。
「仕方ないことなんかじゃないよ」
いつか交わしたやり取りを彷彿とさせました。
いや実際にこの子はそれを引き合いに出してきたのでしょう。仕方ないからと諦め腰でいたこの子に、諦めていいこと悪いことの区別をしろと言ったのは私でした。
この子なりに思う所があったのでしょう、あれからも物事を考える物差し代わりに使っているらしい。
あえて昔のやり取りを引き合いに出して、くすくす笑っています。
──それを見て、ああ良かったと安堵したのです。
まだこの子を留めるに至る枠組みを用意できていないのです。こんなくだらないことで気を利かせて消えられても困ってしまう。
周囲のためでもなくこの子のためでもなく、あくまで自分本位。
いくらもてはやされようと、畏れられようと頼られようと図体がでかくなろうと、精神は未熟なままであり、殊更この子のこととなると、大昔の幼い感情を引き継いだまま接し行動する他ないのでした。
「じゃあそうしよう」
「はい」
この子が予想した"まずい状況"に陥る前に、この子がいつか消えてしまう前に。
私はせっせとこの子が納得できる枠組みを作り上げる。
そして終わりが来る時まで傍で留める。幸い今までこうしてよく分からないまま、曖昧にやってこれたのです。
どうにかしてみせます、どうにか作り上げてみせます、足るだけの情を見つけてみせます。いつか終わりがやって来る前に。
いつまでも続くなんておとぎ話を、間違ってもこの口から紡げるはずがありませんでした。