第四十一話
3.地獄
恋話といえば女子というイメージがあるが、別にそれで盛り上がるのは男子だって例外ではない。
ノリや種は違ってくるかもしれないが、大昔から男女問わずその手の話は鉄板ネタだった。共通言語というやつだ。同世代ともなると更にそうだ。
私は事情あって生前から地獄にやって来ていた。
その頃から忙しく働いていた鬼灯様より、私の方が大分若輩者であるというのは明白だけど。年上の鬼神の彼と、年下の人間の私の中にある感覚に、そう違いはないんじゃないかと思ってる。
ということで。


「やばくないですか?」
「やばいとは」
「いやなんか危ういなと思いまして」

若者言葉で若者のノリで話を切り出しても、やはりノッてくれた。
厳しい人ではあるけど、決して固い人ではない。
資料を腕いっぱいに抱えながらぺらぺら捲り歩いていた彼に遭遇して、片手をあげて話しかけた。
堅苦しい挨拶も抜きにして、あの時からずっと気になっていたことを前置きもないままに聞いてみた。


「あなたの恋模様が」
「篁さん暇なんですか?」

しかし内容が内容だと分かるとピリっとした返しをしてくる。
下世話な話を持ちかけても怒りはしないけど呆れはするようで、彼から出る言葉はどこか皮肉めいていた。
まあでも別にこの手の話をしてもオッケーなんだなと分かり、呆れていることにも気付かないふり。馬鹿になったつもりでしらりと会話続行する。

「いやあ、人気者は大変ですね」
「藪から棒になんですか」
「妬みも多いでしょ?」
「妬み…ないとはいいませんけど」

読み終えた資料を丁寧に束ねる。その片手間に開かれた口からは、「結局最後には黙るんですよ」という不穏な言葉が出てきた。

「というかあまり煩いようなら黙らせます。そんな根性しかないんじゃ困りますから」

確かに口しか働かない鬼というのはなんだか頼りない。
昨今の鬼は悪霊に怯えたり亡者に泣かされたりと、根性が足りないと嘆いていたのを思い出した。
現世でよく使われる根性論とは違う根性論を大切にしているのがこの地獄なのだ。

それを必要とされているならば、必然三代目補佐官が生まれるだろうと語るけど、それは簡単なことではない。
下剋上をするために必要なもの。この人を超越する能力を揃えて、この人より"強かに"なれという条件を提示されて、呑めるものがいるのかと考えてみたら…いや地獄広しと言えど早々に現れないだろうなと思える。
強かとも合理的とも冷血とも言われているお人。ここまで極まっている人は中々いない。

「…いや妬みってソッチではなくて」

そこまで考えてハッとした。私が言った妬みというのはもっと下世話なものだ。

「顔のいい男性の隣に女性が現れたんですよ?」
「過剰反応すぎませんか、思春期じゃあるまい」
「いやいやそんな」


人望あるイケメン補佐官の隣に特定の女性がいるというのに、ここで過剰反応しなくてどこで反応すればいいんだろう。
一度気になってみると自然と自分の耳は彼に纏わる噂話をキャッチするようになっていて、今まで知らなかった、聞えてこなかったものが聞え知れるようになっていた。

「だって、今まで浮いた話一つなかったっていうのに」

閻魔大王がそれを嘆いているのをあれから何度か耳にした。それはきっと彼に微塵もそんな気配がないからこそのぼやきであって。
少しでもそれらしい空気を纏っているなら、まあ周囲もからかうことはあれど急かしたりはしないだろう。
ふうと少し息を吐いて、抱えていた重たい資料を抱え直しながら言う。


「…ありましたよ」
「へ?」
「あのひととの噂なんて今更です。付き合いの長さも距離の近さも段違いですし。男女が一緒にいれば言われることなんですよね」

ならばその通りでしたとなんでもない顔で頷き、物理的に近かったんですよ仕方ないでしょうと続けた。

「…なんか満更でもなさそう?」
「満更も何も。どこをどうやったらそういう関係になれるんですか」
「…え、いやだから男女だし…」
「性別だけで自然と芽生えるものがあるなら、こんな苦労はしてません」
「…それっていったいなんです?」


この間から気になっていたのはそこだ。
頑なにあり得ないと否定しつつ、しかしまるでそうなりたいとでも言いたげな口ぶり。
絶対面倒くさくて面白い感じに拗れてる。
噂話を収集してからはうわぁと引いたり同情気味になりながらも、余計好奇心は強まっていた。
好奇心は猫を殺すというけど、私がその教訓で踏みとどまれるような大人しい性質だったなら、秦広王もあんなに日々頭を抱えてないだろう。
それでも相手の出方によって引き際を考えることくらいできるつもりだった。


「堅物ってこともないでしょうに」

別にこの鬼神、こんな話に付き合ってくれる所からもわかるように、真面目な堅物という訳ではないのだ。
彼は適度な節度を求める。けども裏を返せば節度を持つことを前提にすれば、色でも恋でも好きにしろと推奨できる。他人にも、自分自身にも。
おそらく異性に興味がないでもないし、恋愛に懐疑的という訳でもない。なら何故こんなに頑なに踏みとどまり否定しているのか。


「…そんなに深堀したいなら別に話して構いませんけど、せめて場所変えてくれませんか」
「じゃあ昼、外に出て食べません?」
「愛妻弁当はいいんですか?」
「私これでもそこそこ食べれますよ」

適当な定食を食べて愛妻弁当を食べても苦にもならない。若い男の胃袋はそれなりに広い。
「じゃ、この間できた定食屋にいきましょう」と言う彼は、私との話に乗り気になってくれたのではなく、その店に行く口実が見つかり食いついただけなんだろうなと察した。
奇抜なメニューが揃っていることで話題になっていたその新店舗。下手すれば愛妻弁当がただの口直しになってしまいそうだった。



そして昼休憩に例の定食屋で落ち合い、先に入店していた私は手を振って彼をテーブルに招いた。
二人してメニューを眺めて目で追いながら、片手間に話を始めた。

「篁さんって家族のことを異性として意識できますか」
「ええ難しいこと聞くなあ」


母親は女性で、姉も妹も異性だというのはわかりきったことだ。
しかしこれはそういう認識の話ではなく、"魅力的"に感じるか感じないかの話なんだろう。

「異性として認識はするけど…魅力的には感じないかなあ。少なくとも私は」
「私もそうです。…つまりそういうことですよ」


その辺は人それぞれだろうけど、彼もこっちだったらしい。
話をしながら、彼は躊躇なく奇抜なメニューの端から端まで気になったものを注文していた。
一旦慎重になり毒になり得るかどうかと判断する気はないらしい。保守的な食選択をする者とは真逆のやり口だ。
好奇心の塊…というか怖い物なしの強者だろうか。


「…え、あれ。もしかしてご家族だったんですか?」
「そうじゃないですけど…まあみたいなものですね」
「その口ぶりだと一緒に暮らしてたんですよね。一つ屋根の下とか漫画みたい」
「篁さん漫画読むんですね」
「こんな時代ですしね」

物理的に近かったとか言っていたし、多分そうなんだろうと当たりをつけた。
多分それで正解だったのだ。
一つ屋根の下でヒロインがドキドキキュンとする少女漫画チックなものから、男主人公が共同生活の中であらゆるラッキーを掴んでいくタイプ、修羅場泥沼化、殺人や怪奇事件発生する物まで広く浅く嗜んでいた。舞台は同じ部屋一つだというのに、一歩間違えば混沌と化す漫画というのはなんとも面白い。

「出会ったから、男と女だから、ずっと近くにいたから。そういう偶然を運命だなんて思ったりしません」
「…冷めてるな〜っていうか…」

頭で考え判断し理性で留めて節度を保ち。正解不正解を求めて行く。
無条件に火がついたっておかしくない距離ですごして来たんだろうに。
義理の兄と妹だとかで関係を固定させてきた訳でもないだろうし。
今から意識し始めたっておかしくないし障害もないのではないかと、他人事だからこそ色々思うし冷かすけど、本人からしたらやっぱり簡単ではないんだろうなあ。

…そうは言っても、この人的には恋愛感情が芽生えた方が都合がいいんでしょ?あわよくばそうなれば良いと思ってるんでしょ?そんな風に画策しているのに、毒にも薬にもなっていないというのはある意味奇跡だ。


「…もうお風呂でばったりとか意図的にラッキーおこしちゃえばどうですか」
「私に道を踏み外せと言うんですか」
「あっそうか、大問題になりますね」

やばっと言った私を補佐官様がしらりと見ていた。
あの鬼灯様が女子風呂(共用の大浴場)を覗いたなんて騒ぎになってしまう。
いや彼の問題行動に非難殺到する前に、忙しさに脳みそが殺されてしまったんだという嘆きの方が多く上がるかもしれない。
それが彼の人徳というか、周囲にいる者たちの共通認識だ。
同じタイミングでお互いが注文した品がテーブルに着々と運ばれはじめ、いただきますと手を合わせてからパキンと割り箸を割り手を付け始めた。

「それじゃ罪にならないときに…ずっと前に起こしとけばよかったのになあ」
「いや、起った所でそういう魅力を感じないと言ってるんですよ」
「うわぁ堂々巡りすぎる」
「だから困ってるんです」

そして最初に戻る…みたいな難解な問題だった。
しかし無自覚な小学生男子みたいな感じに拗れてるのかと思っていたら、割と自分を客観的に見て、しかも変化を起こそうと働きかける意志まで用意されているとは予想外だった。

「……でも、だったら余計に用心した方がいいですよね」
「何のですか」
「あれですよ、ゴシップみたいな?」

はあ、と煮え切らない返事をしている。
冷かされることに慣れすぎていて、問題にも感じられないらしい。
多分今の状況は今までのものとは違うと思うけど、彼なら彼なりに気が付いて対処するだろう、馬鹿じゃないんだしいい大人なんだしと高をくくっていた。
さっき黙らせた云々の怖い話を聞いたばかりだし、彼なりにそういうのも綺麗に一掃するんだろうなと。


「鬼灯様はなんとかするし、なんとも思わないかもしれませんけど。相手はそういうの気になるんじゃないですか」
「別に大丈夫でしょうね。もしあることないこと書かれたとして、気にする性質じゃないですから」
「うわ強か…どんな人なんですか」
「マイペース」
「へえーさすが」

うちの妻もおっとりマイペースの気があるけど、あることないこと書かれたりしたら多少なりとも動じて傷ついたりするだろうなと思う。
あの時少し言葉を交わしたきっきりで、その人となりは計り知れないけど。
さすが鬼灯様とずっと一緒にいれた強かな女性というべきなのか、一切頓着しない究極のマイペースと称すべきか。

「あ、もしかして鈍感で相手からのアピールに気づかないとかそういうんじゃ?」
「篁さん漫画にかぶれすぎてません?…そういうんじゃなくて、色々動じないんですよあのひと」
「ああー…」


面倒くさくなってきたらしく、妙な色合いの炒め物を掻きこみながら適当に言った。
しかしまあなんとなく察した。
秦広庁で初めて会ったとき「妻です」とかジョークにならないジョークを言ったとき、彼女は責めるでもなく驚くでもなく、ただ平然と受け流していた。アレは気心が知れてるからというだけが理由ではなかったんだろう。

「そんなだから困るんですよ」

またよく分からない彼の要約が出てきた。…何がだからなんだろう?
都合がいいとか悪いとか、困るとか困らないとか。
そして何故そうまでして彼女と「恋愛関係」に発展させたいのかまでは聞けなかった。とても昼休憩だけで語りつくせる問題ではなさそうだ。

2019.1.9