第四十話
3.地獄─届け物
閻魔様と秦広王が会食をするということで、補佐官である鬼灯くんも当然それについて行った。…という話を人づてに聞いて、その後を追いかけていた。
用事があるのは秦広王でも閻魔様でもなく鬼灯くんの方だった。
届け物があったんだけど、本当はわざわざ秦広庁に向かってまで届けるような物ではない。
けれど私は午後から缶詰になる予定なので、今以外に届けに向かえる隙がない。
どうにか合間を見て渡せないかなと考えた。
長い廊下の壁に設置してある秦広庁の掲示板の独特な張り紙や、飾ってある数々の骨董品を眺めながら歩いた。
里親募集の張り紙があったけど猫でも犬でもなくアレはドラゴンっぽかった。
引き取り手があるのか需要はどこにあるのか気になった。
いやいや需要なら山ほどあるのか。ドラゴンなんて少年のロマンの集大成だろうけど、育てるための環境と技術があるのかが疑問だ。地獄ならあるのかもしれない。
「あら?」
じっと掲示板を眺めていると、背後から声があがる。
振り返ると、小柄でおっとりとした黒髪の女性がこちらを見ていた。
「あなた、ここの人かしら」
「いえ、私は閻魔庁から…」
「そうなの。何かご用事?…もしかしてあなたも届けもの?」
私の抱えていた包みをちらりと見て問いかける。私も彼女の抱えている包みをみて同じように問い返した。
「はい、そうなんです。…あなたもですか?」
「夫がお弁当を忘れたみたいなの」
「届けてあげるんですね。優しいなあ」
旦那がうざいとぼやく主婦の多い世の中で、放置するという発想にならず、「あの人お腹すいて困っちゃうわ」と優しく気遣う奥さんがここにいる。
実際統計を取ったらどっちが多いのか分からないけど、私には珍しく映った。
そもそも周囲にはモデルになるような夫婦がそういないので、嫌いでも好きでもどっちでも珍しく見えるんだけど。
幸せいっぱいの新婚夫婦のようだ。見かけと中身が伴わないあの世では、実際の所はどうなのかは計り知れない。
「あなたのそれなにかしら。聞いてもいい?」
「…こ、これは…」
私の手元の包みを指さして興味を示していた。教えたいのは山々だけど、口に出すのも憚られるようなものだったから。
「とても人様にお見せできないものです…」
そう言うに留めた。そうなのねあらあらと流してくれたのが有難くてえへへと笑う。
鬼灯くんの所へ届けるものはお弁当とは次元が違う。
今朝、昼の休憩時間に使いたいと呟いていたのに、デスクの上に忘れて行ってると気付いて見過ごすことも出来ずに持ってきたんだけど…。
仕事道具ではなく自分の私物で半ば趣味のものとはいえ、こういうミスは珍しいなと思った。けれど彼はここしばらくずっと徹夜続きだったのだ。
昨日はいつも通りに寝てリセットしたはずだったけど、未だに思考能力が鈍っていてもおかしくはない。
「あのこの方が…」
「あ」
秦広王と閻魔様が会食をしているらしい所まで秦広庁の鬼が案内して通してくれた。中にいた男性はすぐにこちらに気が付いたようだった。
「どうしたの急に仕事場来ちゃ駄目…」
「お弁当忘れたでしょ」
怒るでもなく呆れるでもなく彼女は穏やかに告げる。
すると男性もアッとうっかりに気が付いたようで、すまなそうな顔をした後礼を言った。
「あ、そうだゴメンありがとう」
「あとせっかくだからご挨拶しないと…」
彼女が静々と前に出ると、にこりと柔らかく笑った。男性は自然な動作でその隣に立って、彼女をさらりと紹介する。
「妻です」
「ヒエエエエ」
すると、何故か閻魔様が悲鳴をあげられた。お化けでもみたかのような青ざめ片と大きな叫びだった。
この人が彼女の旦那様かへえーと頷いていた私とは別で、この場にいる秦広王以外は意外そうにしていてなんだか驚いてる様子。
秦広王はいるんだなこれが…とげんなりしている。
綺麗な奥さん、人のよさそうな旦那さん。この二人の間柄になんの問題があるのかわからず私は首を傾げるばかり。
彼女が旦那さんに包みを差し出すと、閻魔様がどれどれと開封してしまった。
お弁当のよか中には「私ノ腹今朝カラ調子ガヨロシクナイ夕飯ハ軽メデヨロシイデスカ」と面白おかしい和歌がノリで描かれていて、シュールだった。
おっとりとした外貌とは反対に感性ははじけ気味らしい。
それで言うと、彼の届け物の中身も…。
今度は周囲の視線が私の方へと向い、言うなら今だなと悟り口を開いた。
「あの、私も届け物を…」
「アレ、ちゃん珍しいねえ」
私がくだらない理由であまり鬼灯くんとあまり会おうとしないよう努めているのを知っているので、閻魔様が驚いている様子だった。
彼相手に畏まることに慣れない私に、そんなに気にしなくていいよぉと閻魔大王は言ってくれるけど、鬼灯くんの目は当然冷たくなるし私は学習能力のなさに落ち込むので継続している。
同じ轍を踏みたくなくてせめて大事な仕事をしている時には避けていた。事前に用意していた適切な言葉を捻り出しながら荷物を手渡す。
するとまた閻魔様が楽しそうに面白そうに横から手を伸ばして開封してしまった。ああー…。
「世界モフモフ最強決定戦大全、混沌の歴史に隠された闇と病み、超小型携帯拷問道具Ver.昆虫」
でてきたのは彼が休憩中に読むはずだった二冊の本と、技術課の烏頭くんから趣味遊び半分で提出された一見昆虫のフィギュアのようなもの。
その拷問道具が有用か否かを一応判定してやろうと持ち出そうとしていたらしいけど、忘れて行ったらしいことに気づき私が持ってきていたのだ。
しんと静まりかえり、周囲がドン引きしたのがわかる。
「この足の部分引を引っ張ると糸が出て、間接を曲げると小さい細い針が出て、羽を広げると刃物になるそうです。この小さい虫一匹で絞殺毒殺刺殺が叶うそうですよ」
「その恐ろしい説明別にいらないからね!?」
「何が恐ろしいんですか。端に昆虫スタンプが捺されてるんですよホラ。彼はダサいからと嫌がったらしいんですけど、かわいいモノ好きの周囲と酷くモメたそうで」
「そんな程度の可愛さじゃ誤魔化されないからね!やめてよお茶飲めなくなるじゃない!」
あまり見ていて気持ちがいいとは言えない黒い節足昆虫を徹底解説されて閻魔様は叫喚していた。
烏頭くんは前も精密な機械昆虫を作ろうとしていたことがあったけど、今回はリアルな外見は保ちながら、内部に工夫を凝らしたようだった。
「だいたい何この本、対極のジャンルチョイス!女の子になんてもん届けさすのきみ」
「曲がりなりにも獄卒なのですから、そんな過保護なこと」
「いやいや鬼だろうが男だろうが女だろうが苦手は苦手だからね」
「女とか男とか気遣いも度が過ぎると今時差別になりますよ」
やいやいと言い合いをしている二人。うんどこに居ようと誰がいようといつもの変わらないやり取り、日常風景だ。
「でもそんなに平然と持って…平気なんですか」
「虫は苦手でもないので。得意でもないですけど」
彼女の旦那様が聞いてきた。山暮らしをしていて虫が苦手だなんて言っていたら話にならなかったので、最初こそ青ざめていたけど、今では何とも思わなくなっていた。
愛でる趣味もないけど悲鳴を上げるほどの苦手意識もない程度。
言うと、ああーなるほどと納得したように頷き、そのまま彼は私を指さし改めて問いかけた。
***
「…あのーちなみにこちらの方は?」
妻の後ろに控えていた見知らぬ年若い女性を指して言うと、どうしたものかと本人は少し困り顔をしていた。
すると鬼灯様が「ああ、」と呟きながらちらりと一瞥して、少し考えた後に彼女の代弁をするように言う。
「私の妻です」
「いやいやいや!?」
「何言ってるの鬼灯くん…」
青ざめ絶叫した閻魔様としらりと冷めた反応をしている女性。
「いえ、ちょっとした冗談です」
「冗談が冗談じゃないよ!いや身を固めてくれとは常々思ってるけどさあ!!」
「びっくりした〜私も信じかけましたよ」
いつも冗談やら悪ノリやらしてくれる案外楽しい人だ。
私がここに茶を運んでくる前も、"ハカ"と鋲で打っておいたボードに手を加え、「バカ」に仕上げてくれた面白おかしい犯人は誰かと思っていたら、彼…鬼灯様だということが分かり、オバカトークで和気藹々していた所だった。
だけどまあそれにしたって違和感が残る。
閻魔様は心臓に悪いとオロオロしていて、秦広王も動悸がしている様子で、私の妻はあらあらと頬に手を当てていて、彼女だけがしらりと平然としている。
うんうん、はあ、へえ、と私はひとり納得していた。
これはもしかしなくてもあの現象なのではと。
「鬼灯様、彼女のことすきですよね」
あれら数日経ったあと、偶然顔を合わせる機会があった鬼灯様に聞いてみた。有無を言わせないくらい断定気味に。
「なぜそんなことを?」
「先日見て手思ったんですよ。あなたああいう冗談あんまり言わないでしょ」
「私だって冗談くらい言いますよ」
「相手に気を持たせるみたいなことはあんまり言わないし」
「気心知れてる子なので」
ふーんと思った。なるほどなるほど。やはり。
彼女は気心が知れてるが故にか鬼灯様の言動に振り回されることなくどっしりと構える。そうやって受け流してしまうそんな彼女が面白くなくて、どうにか気を引きたくなる。
…そうだとしたらこれではまるでアレだ。
「好きな子をからかいたいんですね」
「…はい?」
「小学生男子みたいな不器用なことするんですね」
そう、小学生男児のアレだ。
やーいブース!とかなんとか言って激高させて気を引こうとするやつだ。
けらけらと笑ってやると、図星をつかれたようでもなく、しかし不服そうにするでもなく淡々と一言だけ口にする。
「好きであればよかったんですけどね」
「…はい?」
単純で短いその言葉の真意がわからず、今度は私が首を傾げる番だった。
物憂げな感じでも不機嫌そうでもない、表情は変わらない、声色も普通。彼の様子を見て察しようとしても難しそうだった。
「えーと、妻でもない恋人でもないんですよね」
「はい」
「好きな女性でもない、からかったでもない」
「そうです」
「…好きになれたらよかったと思ってる?」
「それが一番てっとりばやいので」
意味がわからない。
スッパリと無駄なく説明するし、思考回路が多少ズレていて常人には分からないことを言い出すことはあっても、あまり抽象的なことは言わない方で、こうも曖昧で難解で伝わらない言い回しをするのは珍しかった。
「なぜ」
「ほしいと言えますので」
…本当に意味がわからない。本人は常識を語るように迷いなく説明してくれてるけど、聞いてるこちらからすると難問だった。
「…喋りすぎました。休憩時間も終わりますね」
「え、ああ、じゃあ次は酒屋でどうですか」
「そうまでして聞きたいんですか今の話」
「そうまでして聞きたいです」
「なぜ」
「面白そうだから」
関わると面倒くさそうでもあるけど、そういう物ほど案外心躍るものだ。
はあ、と溜息をつくと「機会があれば」と言って去っていった。
「…うわ〜あの人凄い拗らせてそ〜」
ちょっと引き気味な物言いをしつつも、私の声は弾んでいた。
他人の不幸は蜜の味であり、他人の恋バナほど面白おかしいものはなかった。
女性ほどキャッキャとすることはないだろう、しかし華は咲かなくとも酒の肴にはなる。
好奇心がむくむくとわいて出た私はこれからからかってやろうか、いや触らぬ神に祟りなしかなと考えつつ、その背を見送ったのだった。
「…それにしても、昔馴染にしては」
全然姿をみなかった。ふってわいたというか、唐突に現れたような気さえする。
紹介なんてわざわざされないだろうし、そもそも私は秦広庁で働いていて、持ち場が離れているなら機会もぐんと減るだろうけど、すれ違う機会が一度くらいあっておかしくなかったと思うんだけど。
「…ああ、だから最近妙な感じになっていたのか」
彼の周りに付き纏う噂は物騒なものから愉快なものまでいくつもあるが、最近急上昇している"アレ"がアレのことならば納得だ。
3.地獄─届け物
閻魔様と秦広王が会食をするということで、補佐官である鬼灯くんも当然それについて行った。…という話を人づてに聞いて、その後を追いかけていた。
用事があるのは秦広王でも閻魔様でもなく鬼灯くんの方だった。
届け物があったんだけど、本当はわざわざ秦広庁に向かってまで届けるような物ではない。
けれど私は午後から缶詰になる予定なので、今以外に届けに向かえる隙がない。
どうにか合間を見て渡せないかなと考えた。
長い廊下の壁に設置してある秦広庁の掲示板の独特な張り紙や、飾ってある数々の骨董品を眺めながら歩いた。
里親募集の張り紙があったけど猫でも犬でもなくアレはドラゴンっぽかった。
引き取り手があるのか需要はどこにあるのか気になった。
いやいや需要なら山ほどあるのか。ドラゴンなんて少年のロマンの集大成だろうけど、育てるための環境と技術があるのかが疑問だ。地獄ならあるのかもしれない。
「あら?」
じっと掲示板を眺めていると、背後から声があがる。
振り返ると、小柄でおっとりとした黒髪の女性がこちらを見ていた。
「あなた、ここの人かしら」
「いえ、私は閻魔庁から…」
「そうなの。何かご用事?…もしかしてあなたも届けもの?」
私の抱えていた包みをちらりと見て問いかける。私も彼女の抱えている包みをみて同じように問い返した。
「はい、そうなんです。…あなたもですか?」
「夫がお弁当を忘れたみたいなの」
「届けてあげるんですね。優しいなあ」
旦那がうざいとぼやく主婦の多い世の中で、放置するという発想にならず、「あの人お腹すいて困っちゃうわ」と優しく気遣う奥さんがここにいる。
実際統計を取ったらどっちが多いのか分からないけど、私には珍しく映った。
そもそも周囲にはモデルになるような夫婦がそういないので、嫌いでも好きでもどっちでも珍しく見えるんだけど。
幸せいっぱいの新婚夫婦のようだ。見かけと中身が伴わないあの世では、実際の所はどうなのかは計り知れない。
「あなたのそれなにかしら。聞いてもいい?」
「…こ、これは…」
私の手元の包みを指さして興味を示していた。教えたいのは山々だけど、口に出すのも憚られるようなものだったから。
「とても人様にお見せできないものです…」
そう言うに留めた。そうなのねあらあらと流してくれたのが有難くてえへへと笑う。
鬼灯くんの所へ届けるものはお弁当とは次元が違う。
今朝、昼の休憩時間に使いたいと呟いていたのに、デスクの上に忘れて行ってると気付いて見過ごすことも出来ずに持ってきたんだけど…。
仕事道具ではなく自分の私物で半ば趣味のものとはいえ、こういうミスは珍しいなと思った。けれど彼はここしばらくずっと徹夜続きだったのだ。
昨日はいつも通りに寝てリセットしたはずだったけど、未だに思考能力が鈍っていてもおかしくはない。
「あのこの方が…」
「あ」
秦広王と閻魔様が会食をしているらしい所まで秦広庁の鬼が案内して通してくれた。中にいた男性はすぐにこちらに気が付いたようだった。
「どうしたの急に仕事場来ちゃ駄目…」
「お弁当忘れたでしょ」
怒るでもなく呆れるでもなく彼女は穏やかに告げる。
すると男性もアッとうっかりに気が付いたようで、すまなそうな顔をした後礼を言った。
「あ、そうだゴメンありがとう」
「あとせっかくだからご挨拶しないと…」
彼女が静々と前に出ると、にこりと柔らかく笑った。男性は自然な動作でその隣に立って、彼女をさらりと紹介する。
「妻です」
「ヒエエエエ」
すると、何故か閻魔様が悲鳴をあげられた。お化けでもみたかのような青ざめ片と大きな叫びだった。
この人が彼女の旦那様かへえーと頷いていた私とは別で、この場にいる秦広王以外は意外そうにしていてなんだか驚いてる様子。
秦広王はいるんだなこれが…とげんなりしている。
綺麗な奥さん、人のよさそうな旦那さん。この二人の間柄になんの問題があるのかわからず私は首を傾げるばかり。
彼女が旦那さんに包みを差し出すと、閻魔様がどれどれと開封してしまった。
お弁当のよか中には「私ノ腹今朝カラ調子ガヨロシクナイ夕飯ハ軽メデヨロシイデスカ」と面白おかしい和歌がノリで描かれていて、シュールだった。
おっとりとした外貌とは反対に感性ははじけ気味らしい。
それで言うと、彼の届け物の中身も…。
今度は周囲の視線が私の方へと向い、言うなら今だなと悟り口を開いた。
「あの、私も届け物を…」
「アレ、ちゃん珍しいねえ」
私がくだらない理由であまり鬼灯くんとあまり会おうとしないよう努めているのを知っているので、閻魔様が驚いている様子だった。
彼相手に畏まることに慣れない私に、そんなに気にしなくていいよぉと閻魔大王は言ってくれるけど、鬼灯くんの目は当然冷たくなるし私は学習能力のなさに落ち込むので継続している。
同じ轍を踏みたくなくてせめて大事な仕事をしている時には避けていた。事前に用意していた適切な言葉を捻り出しながら荷物を手渡す。
するとまた閻魔様が楽しそうに面白そうに横から手を伸ばして開封してしまった。ああー…。
「世界モフモフ最強決定戦大全、混沌の歴史に隠された闇と病み、超小型携帯拷問道具Ver.昆虫」
でてきたのは彼が休憩中に読むはずだった二冊の本と、技術課の烏頭くんから趣味遊び半分で提出された一見昆虫のフィギュアのようなもの。
その拷問道具が有用か否かを一応判定してやろうと持ち出そうとしていたらしいけど、忘れて行ったらしいことに気づき私が持ってきていたのだ。
しんと静まりかえり、周囲がドン引きしたのがわかる。
「この足の部分引を引っ張ると糸が出て、間接を曲げると小さい細い針が出て、羽を広げると刃物になるそうです。この小さい虫一匹で絞殺毒殺刺殺が叶うそうですよ」
「その恐ろしい説明別にいらないからね!?」
「何が恐ろしいんですか。端に昆虫スタンプが捺されてるんですよホラ。彼はダサいからと嫌がったらしいんですけど、かわいいモノ好きの周囲と酷くモメたそうで」
「そんな程度の可愛さじゃ誤魔化されないからね!やめてよお茶飲めなくなるじゃない!」
あまり見ていて気持ちがいいとは言えない黒い節足昆虫を徹底解説されて閻魔様は叫喚していた。
烏頭くんは前も精密な機械昆虫を作ろうとしていたことがあったけど、今回はリアルな外見は保ちながら、内部に工夫を凝らしたようだった。
「だいたい何この本、対極のジャンルチョイス!女の子になんてもん届けさすのきみ」
「曲がりなりにも獄卒なのですから、そんな過保護なこと」
「いやいや鬼だろうが男だろうが女だろうが苦手は苦手だからね」
「女とか男とか気遣いも度が過ぎると今時差別になりますよ」
やいやいと言い合いをしている二人。うんどこに居ようと誰がいようといつもの変わらないやり取り、日常風景だ。
「でもそんなに平然と持って…平気なんですか」
「虫は苦手でもないので。得意でもないですけど」
彼女の旦那様が聞いてきた。山暮らしをしていて虫が苦手だなんて言っていたら話にならなかったので、最初こそ青ざめていたけど、今では何とも思わなくなっていた。
愛でる趣味もないけど悲鳴を上げるほどの苦手意識もない程度。
言うと、ああーなるほどと納得したように頷き、そのまま彼は私を指さし改めて問いかけた。
***
「…あのーちなみにこちらの方は?」
妻の後ろに控えていた見知らぬ年若い女性を指して言うと、どうしたものかと本人は少し困り顔をしていた。
すると鬼灯様が「ああ、」と呟きながらちらりと一瞥して、少し考えた後に彼女の代弁をするように言う。
「私の妻です」
「いやいやいや!?」
「何言ってるの鬼灯くん…」
青ざめ絶叫した閻魔様としらりと冷めた反応をしている女性。
「いえ、ちょっとした冗談です」
「冗談が冗談じゃないよ!いや身を固めてくれとは常々思ってるけどさあ!!」
「びっくりした〜私も信じかけましたよ」
いつも冗談やら悪ノリやらしてくれる案外楽しい人だ。
私がここに茶を運んでくる前も、"ハカ"と鋲で打っておいたボードに手を加え、「バカ」に仕上げてくれた面白おかしい犯人は誰かと思っていたら、彼…鬼灯様だということが分かり、オバカトークで和気藹々していた所だった。
だけどまあそれにしたって違和感が残る。
閻魔様は心臓に悪いとオロオロしていて、秦広王も動悸がしている様子で、私の妻はあらあらと頬に手を当てていて、彼女だけがしらりと平然としている。
うんうん、はあ、へえ、と私はひとり納得していた。
これはもしかしなくてもあの現象なのではと。
「鬼灯様、彼女のことすきですよね」
あれら数日経ったあと、偶然顔を合わせる機会があった鬼灯様に聞いてみた。有無を言わせないくらい断定気味に。
「なぜそんなことを?」
「先日見て手思ったんですよ。あなたああいう冗談あんまり言わないでしょ」
「私だって冗談くらい言いますよ」
「相手に気を持たせるみたいなことはあんまり言わないし」
「気心知れてる子なので」
ふーんと思った。なるほどなるほど。やはり。
彼女は気心が知れてるが故にか鬼灯様の言動に振り回されることなくどっしりと構える。そうやって受け流してしまうそんな彼女が面白くなくて、どうにか気を引きたくなる。
…そうだとしたらこれではまるでアレだ。
「好きな子をからかいたいんですね」
「…はい?」
「小学生男子みたいな不器用なことするんですね」
そう、小学生男児のアレだ。
やーいブース!とかなんとか言って激高させて気を引こうとするやつだ。
けらけらと笑ってやると、図星をつかれたようでもなく、しかし不服そうにするでもなく淡々と一言だけ口にする。
「好きであればよかったんですけどね」
「…はい?」
単純で短いその言葉の真意がわからず、今度は私が首を傾げる番だった。
物憂げな感じでも不機嫌そうでもない、表情は変わらない、声色も普通。彼の様子を見て察しようとしても難しそうだった。
「えーと、妻でもない恋人でもないんですよね」
「はい」
「好きな女性でもない、からかったでもない」
「そうです」
「…好きになれたらよかったと思ってる?」
「それが一番てっとりばやいので」
意味がわからない。
スッパリと無駄なく説明するし、思考回路が多少ズレていて常人には分からないことを言い出すことはあっても、あまり抽象的なことは言わない方で、こうも曖昧で難解で伝わらない言い回しをするのは珍しかった。
「なぜ」
「ほしいと言えますので」
…本当に意味がわからない。本人は常識を語るように迷いなく説明してくれてるけど、聞いてるこちらからすると難問だった。
「…喋りすぎました。休憩時間も終わりますね」
「え、ああ、じゃあ次は酒屋でどうですか」
「そうまでして聞きたいんですか今の話」
「そうまでして聞きたいです」
「なぜ」
「面白そうだから」
関わると面倒くさそうでもあるけど、そういう物ほど案外心躍るものだ。
はあ、と溜息をつくと「機会があれば」と言って去っていった。
「…うわ〜あの人凄い拗らせてそ〜」
ちょっと引き気味な物言いをしつつも、私の声は弾んでいた。
他人の不幸は蜜の味であり、他人の恋バナほど面白おかしいものはなかった。
女性ほどキャッキャとすることはないだろう、しかし華は咲かなくとも酒の肴にはなる。
好奇心がむくむくとわいて出た私はこれからからかってやろうか、いや触らぬ神に祟りなしかなと考えつつ、その背を見送ったのだった。
「…それにしても、昔馴染にしては」
全然姿をみなかった。ふってわいたというか、唐突に現れたような気さえする。
紹介なんてわざわざされないだろうし、そもそも私は秦広庁で働いていて、持ち場が離れているなら機会もぐんと減るだろうけど、すれ違う機会が一度くらいあっておかしくなかったと思うんだけど。
「…ああ、だから最近妙な感じになっていたのか」
彼の周りに付き纏う噂は物騒なものから愉快なものまでいくつもあるが、最近急上昇している"アレ"がアレのことならば納得だ。