第三十九話
3.地獄神様のお膝元

神様に会いに行くのは、近代になっても一緒だった。
「自業自得」「自己責任」が基本理念だという地獄にいるけれど、よくよく考えても考えなくともこれを自業自得だと割り切ることは出来ず、理不尽だなあとしか思えない。
最早習慣となり負担もなく、平然とした顔で通い続けるようになったけど、これが快く納得できるものなのかと言えばそれは違う。

一歩境界線を越えると神域に入り、男神の姿が視界に飛び込んでくる。
ここに向かうまでの道のり、風景は一変してしまったけど、社がある山と境内はあの頃とまるで変わらないままだった。
今日は社の屋根の上で片膝をついてぼーっとしていた。
気が抜けたような表情は珍しく、何か落ち込んで黄昏ているのかなと思ったけど、振り返り私を一目みると爆笑し出したのを見てああ杞憂だったんだと察した。


「…そんなにおかしいの?」
「おかしい!」
「そう…」


腹を抱えて未だに笑っているけど、そこまで滑稽なものなんだろうか。
彼が笑う理由は私の姿形に変化があったが故にだということはすぐ理解していた。
心当たりなんてそれしかないし、地獄でも笑われたり驚かれたり二度見されたり泣かれたりと三者三様な反応をされたから、これもその一環なんだろうなと。
それでもここまで大げさな反応をされたのは彼が初めてだった。

「今更心境に変化でも?」

一番初めに聞いてきたのがそこ。成長期が云々ではなく中身の問題だと一目で悟ったらしい。

「うーん…まあそんな感じ」


心境と言うか環境の変化というか、事情は複雑だけど内因的なものだったのでざっくり言うならそんなものだ。
お馴染みの漫画のネタが通じたりナウい言葉も死語に変わり、今時ワードが飛び交っていいつの間にか白黒テレビがカラーに変わってアイドルの曲を流してカラオケをして。
ああ、そっか今の世の中ってそんな感じで回ってるんだ、懐かしいなやっとたどり着いたんだなあーと思ったら即変身。
魔法少女だったらもっと引き延ばしてからやっと違う自分に変身していたはずだ。
私は魔法少女でも妖怪でもないのでそんなことを言っても仕方がない。あっさりなんでもないことでなんでもない瞬間にがらりと変わっていた、個性的なひとたちの中に紛れた凡人。


「あんなに頑なだったのに」
「…わざと堪えてたわけじゃないよ」

大人になりたくない症候群のように言われても困ってしまう。多少なりとも支障はでていたし、不調も招いていたし、大きくなれるならもっと早く大きくなっておきたかった。
自分の意志で成長を留めていた訳じゃない。


「適応したくなかったんだろうに」
「適応って…」
「その表れでしかないだろう」


男神がくすくすと笑いながら言う適応とは、何のことだろう。
私が適応すべきだったのは、私の中にあるのとはかけ離れた常識で回っていた不便も苦労も多い生活・日常。
そこに溶け込むことに心のどこかに抵抗していて、その深層心理が表面に出てしまったということなのか。
あり得る話かもとは思いつつ、前の人生での親さえあっさり見切りをつけた私がそこまで名残惜しく現代を思ったり、目の前にある時代を拒絶していたのか?と考えてみたら腑に堕ちなくなる。
前の人生での知識、常識は引き継いだけど、今の私はここで新たに生き直しているだという認識で割り切り、切り離して生きている。
うちはうちで余所は余所みたいな。むしろこの場に深く適応したいとずっと望んでるのに。


「好いた男でもできたか。なるほど年ごろか」
「なるほどとか勝手に納得しないで…」
「何かに環境に、相手に合わせた結果だろう?」
「そんなつもりじゃなかったよ」


神様も恋話好きだよなあなんて思いつつ苦笑いしつつ。
それにしても…恋かあ。閻魔様が鬼灯くんに浮いた話がないのを嘆いていたけど、私も人のことを言えないくらいにそういうものと縁がない。
ぼやんりと目の前のことに打ち込んでそれなりに生きていたらいつの間にやらこんな時間というか。
鬼と人間の年齢は同じようには測れないので、今の私は行き遅れってことになるのか焦るべき時なのかまったくわからない。

「縁結びでもしてやろうか」
「そんなことできるの?…あなた縁結びの神様だったんだ」


どれどれと身を乗り出して提案してきた男神を見て驚いた。どういう理由で祀られているのか今まで何もわからないままだった。
人と密接な訳ではないらしく、初めて引き込まれた時も入口が隠されていたし、その実態は知れない。
当時は彼自身が余所と関わり合いになるのを拒絶していたようだ。

現代ではよく見かけるように逸話や成り立ちの詳細が書かれた看板が立てられてることもないし、私から聞こうと思ったこともなかった。
最初は警戒心から必要最低限の会話しか交わさなかったせいで相手に踏み込めず、慣れてきたら慣れてきたでもう今更のことだなと思って雑談しかしなくなったから。
相手も自分語りなんてするタイプではなかったし。

…あんなに仰々しい約束、契約、縛りみたいなものを交わして与えて、結局雑談しかしないなんてどうなんだろう。それでいいのかなと思うも、この男神はいつも満足そうにしていた。
私が神隠し・浦島太郎状態になって、あちらに戻ったら一年経ってましたなんてことは嫌だと言ったら、ほんの短時間で解放してくれるようになった。
何が目的で何が楽しいんだろうとずっと謎に思っているけど、実際の所を聞く勇気はない。
それを問うと芋ずる式に殺そうとして、けれど寸前で彼が踏みとどまった理由を聞くことになるのだから、なんだか怖かった。


「縁も結べるし縁切りもできる、豊作祈願も出来る」
「その二つは対極な気がする…縁と豊作…」
「どこの神もそんなものだろう。節操ない」


確かにあれこれと兼職していることもあるけど、この男神も結構な雑食だった。
他にもあると指折り数えながら教えてくれたけど、本当に膨大だった。
フルコース祈願してもらったら私の人生どこの面を切り取っても副しかなくなるんじゃないかと思う。


「できたぞ」
「え?なにが」
「縁結び」
「………えええ!?なんでそんなことしちゃったのっ」
「素直に喜べ」
「喜ばない喜べないやだなんでこわい」


ふむふむと考えごとをしているうちに何か仕掛けられていたらしく、男神はひとり満足そうに頷いていた。
いい仕事をしたなあみたいないい笑顔をしていたけど、私はぞっとして腕をさすった。鳥肌が立ってる。
気付かないうちに承諾もないままかけられていたことも怖かったし、どこの誰ともわからない人と出会い今後必ずくっつくことになるのかと思うとなんだか恐ろしかった。
出会った後は本人の努力次第なのかもしれないけど、自分がそういう心積もりがなかったのにいきなり土壌を整えられても困る。こわい。なんでこう唐突で強引なの。
相手と、種族の違うものと歩調を合わせすり合せようと努力してくれる慈愛の神様を見習ってくれと切望する。
身勝手が許されるのも神様の特権で、そうやって力を振るった結果災い転じて福となるというか、人が恩恵にあずかることもあるし、それが悪とも言い切れないけど。


「いい加減地に足つけて生きろ」
「もう凄く深く根を張って生きてるよ。定職にもついたし昔と違って帰るお家もあるし」
「そんなこともないだろ」
「なんでそう疑うのかなあ」


昔からああ言えばこう言うというか、私が述べた意見は必ず尽く否定されてきた。
物事への見解を述べると毎回懐疑的に否定してくる…というよりも、私個人の本心を告白すると、本当はそうじゃないはずだと切り捨てられるのだった。
強がり虚勢を張ったことがないと言えば嘘になるけど、虚言癖もないし見栄っ張りな方でもないので、だいたいはそれが本音なはずなのに。

「所帯でも持てば腹を括ってそこらへんに腰を下ろす気にもなるだろ」
「とっくに腰かけてるし腹くくってるよ。…ていうか、だから縁結びしちゃったの」


洞窟も我が家だったし地獄の女子寮も我が家だし、帰る所はもう決まっていて、その全てに納得しているつもりだった。
…鬼灯くんに所帯を持ってどうにか丸くなってほしいと言っていた閻魔様の言葉がよみがえる。
閻魔様がそう願う心境は理解しているつもりだった。だとしたらこの男神もそういう気持ちでずっと私を見ていたんだろうか。
私ももしかして尖ってる?彼ほど仕事中毒になってもいないはずだけど、記録課にいて私も無自覚のうちに精神を蝕まれて染まってきたのか。


「そんなこと知ってる」
「…ええ」
「そういう思い続けてきたのは分かってる」


ふふと袖で笑みで歪んだ口元を隠して言った。わかってるなら何故、と言いたくなった。
含みのある口調で話す彼は、分かっていると理解を示したような言い方をしつつも、やっぱり私の本心は違うだろうと疑っているらしい。

「…私の心配をしてくれるのはありがたいけど」
「心配はしてないけど」
「…あーうん、楽しんでるだけだもんね。それより、そっちの方が心配。風邪でも引いてる?神様も風邪ひくの?」


心配してくれてても心配してくれなくてもどっちでもいいけどと流しながら、ちらりと男神の顔を見やった。最初からなんとなく気になっていたのだ。
元気に盛大に笑い転げてはいたけど、それでもどことなくいつもより落ち着いてるなと感じていた。
横暴だったり大口を開けて笑ったりもするけど仕草は上品で美しくて、せかせかする方じゃなかった。けども今日はいつも以上にゆとりがある動作をしている気がした。
具合でも悪い?いや勘違いかもしれないなあと黙っていたけど。
そろそろ帰らないといけない時間になってからどうしても気になってきて、尋ねてみることにした。


「…ねえ、大丈夫?」

それに珍しく瞠目してから、ふと花のように笑った。
歪でもなく馬鹿にした風でもなく、邪気のないただ綻ぶだけの笑みを見るのは初めてのことだった。


「何も不安なことなどないさ」


不安。なんだか妙なことを言うなあ。
私が今したのはただの心配で、気遣いで。
だけれど顔はそんなにも不安そうなものだったのだろうか。何かあるのかもと憂い怯えていたのかとぺたりと頬に当ててみるけど分からず仕舞い。


「そんなことより」
「そんなことかな?」
「気をつけたらどうだ」
「何に?」
「お前が変わったなら、当然周りも変わるだろう」
「ええ…うん…へえ…」


自分にそんな大層な周囲への影響力があるなんて思えず、曖昧な相槌を打つしかない。
やっぱり今日は親しい親戚からの慈悲あるお節介のような、子への心配のような、そういう言動や行動ばかり取ってる気がする。
いつも飄々と自分を強引に貫き通す男神なのに、他者を気に掛けるなんてもしかしてどこか弱っているのかもと思ってしまっても無理はないと思う。

──後から振り返ると、この抽象的な言葉はどこか予言めいていたなと思うのだ。

2019.1.9