第三十八話
3.地獄─神と飲み
閻魔様に誘われていた飲み会、宴会。
無理矢理といえどあの多忙な鬼灯くんが参加するくらいなのに、私の方が多忙で参加できないというのもめずらしいなと思った。
ワーカーホリックな気がある彼だけど、私の方は特別仕事熱心でもなく、かと言ってズボラでもなく。それなりに真面目に打ち込むだけの凡人だった。
具合を崩さないためにあえて没頭するという習慣がなければ、生活のためという必要性があったとしても、今ほど熱中して働いてはいなかっただろうと思う。
記録課で永遠文字とにらめっこしていようと精神がヤられることもなく、カウンセリングにお世話になることもなく。
マイペースを貫き通してブレない仕事が出来ると言われているけど、鬼のようにピッチをあげられる訳でもないので善し悪しだ。
葉鶏頭さんのように質を保ったまま早められたら理想だけど、あの手腕は神がかってるというか…病みきってるというか…。常人のままでいたら入り込めない領域だと思う。
入るつもりもない私はいつまでも凡人のままだ。
「遅くなりました〜」
ガラガラと戸をあけて店内に入る。
すると升を片手に凶悪な顔をしている鬼灯くんの姿をみつけて「あ、いたいたー」と安心した。場所を間違っていないか、もうお開きしてしちゃってるかもしれないとか、色々心配していたのだ。
飲み会に積極的な方ではないので、鬼灯くんが不機嫌でいるだろうことは想定内だった。
「あ、ちゃんやっときたきた。ホラホラ鬼灯君ねえホラ」
「うるさい、なんで私に報告するんです」
「だから機嫌直してよ〜」
「だから意味わからん」
閻魔様が言いながらチラチラとこちらを見るので、私のフォロー待ちをしているということはすぐに察した。
お香ちゃんの隣に座りたいなと思って探したけど、彼女は今マイクを片手に歌っている所だった。
この間出会った、新入りらしい小さな鬼くん二人もいてとても盛り上がっている。
仕方なく妥協して…と言ったら失礼だけど、素直に鬼灯くんの隣にすとんと座った。
フォローを頼まれたって私に特別なことは何もできない。
機転がきくタイプでもないし、そもそもこの子が上手い機転を利かせた所で素直に乗ってくれるのかが問題だ。
結局何もせずいつも通りにするしかない。
自己評価はともかく、よくも悪くも動じずのんびりなのが私の個性で売りという認識を受けていたので、その対応で間違ってないだろうと自問自答する。
「あ、美味しそう。私あれ食べたいな」
「自分で取りなさい」
「だって遠いから。とって」
「嫌だ」
「えーなんでー」
鬼灯くんのが近いでしょ取ってよとかなんとか言い合っているうちに、違うテーブルに座っていた、白い服を纏った男の人がこちらを振り返った。ぱちりと目が合る。
相手は驚いたように目を瞬かせている。
なにやら見知らぬ人が同席しているらしい事には気付いていたけど、さっきまでずっと背を向けたままだったので、初めて顔をみた。
こちらの輪に加わることがなかったので、白い彼の隣にいるもう一人も、たまたま居合わせただけのヒトなのかと思っていたけど。
黒髪黒目、派手な片耳の飾り。どこかで見たことがあるような気がすると思うも、パッと思い浮かばない。
悶々と記憶を探っているうちに、向こうは表情を明るくしてこちらにやって来る。嬉々としながら話しかけてきた。
「きみ、いたんだ!そりゃあそうだよねえ居るよねえ」
「……へ?」
「でもすんごい久しぶりにみたなあ。きみ、あの時のあの子だよね」
「…え、ええと」
どこかで見たことがあると思った通り、やっぱり過去に会ったことのあるひとだったみたいだ。親しげに話しかけてくれた。
でも相変わらずこっちはどこの誰なのかは思い出せないまま。
この口ぶりを聞くに随分昔の出会いらしいし、仕方がない話なのかもしれないけど、向こうが覚えてくれているのに忘れてしまったというのは素直に申し訳ない。
昔ってどのくらい昔のことだろう。地獄と天国に分かたれた頃?私の背がやっと伸びてきた頃?それよりもっと前の小さい頃?
そこまで順々に遡ってやっと思い出した。ああこのひと、昔私達四人を現世に連れてってくれた好青年か。神獣さんか。
「あっすっごく久しぶりですね。こんなところで会えるなんて凄い偶然」
「ね。何百何千年ぶりかな?今地獄で働いてるの?全然会わなかったよねえ。
一回くらい会ってても良かったと思うんだけど…絶対気付いたのに。相変わらず変にかわい…」
久々の再会にテンションが上がった様子の彼は饒舌に話して、そのままあの時のように手がこちらへ伸ばそうとした。
しかしその手はバシリと強い力で叩き落とされる。私の隣に座っていた鬼灯くんの仕業だった。
赤くなっている神獣さんの手と、鬼灯くんの冷えた目を交互にみる。火花が散っているような気がするんだけどこれなあに。
昔のやり取りの繰り返しのように見えるけど、少し違ってる。前回は向こうの接触も鬼灯君の暴力も未遂に終わっていたけど、ついに衝突してしまった。
なんでもかんでも荒々しく問題解決するのよくないよと思っても、これが地獄の流儀だと言われたら何も言えない。
「…はーへーえなるほど」
「そのにやついた顔腹立つ」
「僕だってお前の仏頂面見てると腹立つわ!…お前隠しただろ」
「なんのことやら」
明らかに二人はいがみ合ってる。火花が散ってる。そういえば鬼灯くんと物凄く仲が悪いヒトがいると、その存在をほんのりと聞かされたことがあったかもしれない。
二人だけで通じ合う言葉で話しているので裏にあるものは理解できないけど、雰囲気がものすごく悪いことは明らかだ。
お互い顔も見たくないと言わんばかりに感じ悪く姿勢を逸らした。
示し合せた訳でもないだろうに同時にだ。逆に仲がいいんじゃないかと思ってしまうけど。
雰囲気が悪〜くなったこの場で二人は我関せず酒を呑み、食べていた。
その神獣さんがハッと何かに気が付いたように顔を上げて、あっと明るい声を上げた。
視線の先には火鍋があって、嬉しそうに笑っている。好物を見つけてころりと機嫌を直したようだ。
「胃ィ荒れてんのにそんなに飲んで更に辛い物…」
「僕、辛いの大好き」
一連の流れを隣から呆れたように眺めていた桃柄のバンダナの青年。今度は黙しきれず、呆れ声を漏らしながら火鍋を茶碗によそう。甲斐甲斐しくするのが板についている、慣れた動作だ。
この人も店内にいたことには気が付いていたけど、顔は初めてみた。
たまたま居合わせた見知らぬ別の団体どころか、このひと達とは結構親しそうだ。
閻魔様が親しみをこめて、おかしそうに笑っていた。
「桃太郎君はすっかり出来る主婦みたいだね」
「ダメな上司がいると部下が恐ろしく成長したりしますよね」
…あーそっかあ。
逆もしかりで、出来る上司がいると部下の伸び代がごっそりとなくなると。
頼りになる鬼灯くんがいるからこそ私は甘えてしまうのかな。取ってくれとかせがんだり。
冷静に振りかえってみれば、さっきのは女子力主婦力部下力を発揮すべき所だったはず。
でも鬼灯くん別に甲斐甲斐しく世話なんて焼いてくれないよねえ。結局アレもとってくれなかったし。なんであの単純なひと手間を惜しむのか。やっぱりコレ甘えとか主婦力とかいう次元の話じゃない気がする。意地悪だ。
神獣さんの名前は白澤というらしい。何千年経って初めて知った。
隣にいた桃太郎という名前の気が利く青年は、こちらにも鍋を進めてくれた。
「鬼灯さんもどうぞ。あ、あなたは?」
「ああ、うん、私もいただきます」
「あ、私は結構です」
お腹がすいていたのでわーい頂いちゃおうと軽く頷く。
鬼灯くんは明らかに赤く辛く煮えた鍋の中身を見てさっぱりと断わっていた。
「え…すみませんもしかして俺達がここにいるの怒ってます?」
「いえ違います、どうぞお気遣いなく」
桃太郎さんの伺い方を聞くに、親しいと言えどやっぱり偶然遭遇しただけだったんだろう。
それにしても…鬼灯くんが怒っている?ずっと不機嫌そうにしていたけど、無理やり参加させられたから腹を立てていただけだと思ってたけど。
「あ〜桃太郎くん鬼灯君はいいんだよ」
「え?」
「いいからいいから」
事情がわかっているらしい閻魔様が、気を聞かせて鬼灯くんの代行をしてやんわり断わってくれた。
その様子をみていた白澤さんは何か察したようで。
「え…お前…もしかして…辛いの…食えない人…?」
白澤さんの言う通り、鬼灯くんは辛い物がダメな人だった。なるほど素気無くさっぱり断ったから気にしてしまっていたのか。
冷たくあしらったのではなく、単純に好んでいないから遠慮したのだ。
荒んだ目をそろりと無言で逸らす鬼灯くんの仕草は、肯定を表していた。
そこからは辛い物嫌いをダサっ!と馬鹿にする白澤さんと、酒の飲めない白澤さんを馬鹿にする鬼灯くんとのくだらない舌戦になり、宴会会場には二人のピリピリした空気が更に蔓延した。
私はお香ちゃんがマイクを握ってカラオケしている姿を横目にいれ、時々手拍子を挟みながら火鍋を頂く。
私にはこの二人の間に割って入る勇気も度胸も知恵もない。
けれどお香ちゃんは持っていたマイク一つで流石の機転を利かせ見事仲裁を成功させていた。
鶴の一声ならぬお香ちゃんの一声、タッちゃんカッちゃん喧嘩しないでの一言。
懐かしい…タッちゃんカッちゃんとか久々に聞いたなあ。
前の人生で読んだり観たりしたぶりだからもう何千年ぶりになるのかな。
今は漫画とかアニメが沢山流通してる時代なんだなーと内心で感慨深く思う。
ごろんと転がりお香ちゃんの膝に頭を乗せ、自然な動作で膝枕の体勢を取り始めた白澤さんが視界の端に映った。
「紂王の気分だなぁ」と言ってご機嫌な様子で中国の皇帝の話を始める。
そこから妲己という絶世の美女の話に発展していき、喧嘩していた二人も大人しくなり雑談に興じはじめた。酒の席での陽気なお喋りにしては物凄くコアな話をしている。
「そして現在衆合地獄の花街でボッタクリ妓楼やってます」
「あの店そうだったのか!」
「その口ぶりだともう行ったんですね…」
「行ったも何も昨日行ったよ…あ〜そうか彼女がそうだったのか〜」
中国にいた妲己が日本に渡り紆余曲折を経て、三軒先でそんなことをやっているなんて壮大な話というかガクッとしてしまうような話だ。
美女?妖狐?きつね?ひと?と一瞬混乱してしまったけど、白澤さんを探して対面した時もそんな混乱を起こしていたことを思い出す。
前の人生で培ってしまった、私の中で基盤となっている常識は中々覆らない。
人の姿をしていればそれは間違いなく人で、狐や神獣が化けてるかもしれないなんてファンタジーなことを普通は考えない。
「美女と美酒ですかぴんだ」
「言っておきますが金は貸しませんよ」
男は妲己に酔うんだと言っていたその通り、酔った白澤さんは彼女と火遊びをしてしまったようだ。
青ざめる桃太郎さんとは反対に、当事者の白澤さんは気にした風でもなく笑っていた。
「…なんだか大変そうだなあ」
「他人事ですね」
「だってひとごとだし…お金貸せないし…」
「貸せても貸さなくていいですから」
「うん」
鬼灯くんも金は貸さないときっぱりと断っていたけど、それともまた違ったぼんやりとした私の相槌。
声をかけるにしてもそれ以外になんと言っていいのかわからない。
お気の毒に…って言うのも違うし、そんな美女の居る店に当たれて逆にラッキー!と囃し立てればいいのか。
言われなくても貸せないし貸さないし、女遊びでそんな事態に陥ったと聞いてもちょっと同情はできないかなあ。
話しながら食べて飲んでいると、お香ちゃんが不思議そうにじっとこちらを見ているのに気が付いた。
口をつけていたグラスを下ろして、物言いたげなお香ちゃんの話を聞いた。
「…なんだかがお酒持ってるの見るのって不思議な感じがするね」
「…ん?なんで?」
「というより、不安になるわ」
「えー…私飲めないひとじゃないよ。なんで不安?」
到着した時点でだいぶ飲んでいたみんなとは違って、来たばかりの私はまだ一杯も飲んでいないし。ペースも早くないし。酔いが回る心配をするのは早すぎる。
というか、今日はもう酔ってしまうほど飲まないだろうし。
顔でも赤くなっているのかとぺたぺた触ってみるけど熱くもないし、思考もしっかりしてるように思う。
「だってずっと小さかったんだから」
「あ、そっか。私ずーっと呑まないようにしてから」
「そうそう。ちっちゃい子が飲酒してるみたいな不安な気持ちになるのよ」
鬼は酒が大好きだというけど、私は特別好きでも呑兵衛でもなかった。
だから幼い体格にわざわざアルコールを入れる理由も存在しなくて、何千年経った最近初めて飲酒を始めた。
お酒を片手にしていても違和感ない姿形をしてる。やっと酒の席でのジュース・お茶離れが出来そうだった。
「なになに、どういう意味?」
すると妙なやり取りが気になったらしい白澤さんがきょとんとしながら疑問を投げかけた。
確かに事情を知らなければまったく意味がわからない話だなあと思い軽く説明しようとすると、いきなり正座していた足を強く押された。犯人は隣に座る鬼灯くんの拳。
目撃者となってしまったお香ちゃんが咄嗟に手で口元を覆い、小さく悲鳴を上げる。
軽く痺れていた足に走った振動に驚いて悶絶している間に、鬼灯くんは白澤さんとまた問答を始め、その横で私はしばらく足を庇いながら悶えていた。
お香ちゃんが気の毒そうに背中を撫でてくれる。その手の優しさのおかげでみっともなく涙をこぼすことなく威厳を保てた。大人とか女神とかってこういうひとのことを言うんだと思う。不意打ちでこういうことするのほんとに酷い、大人気ない。
「…もしかして」
解散した後の帰り道。無事に痺れが取れた足でしっかりとした足取りで歩きながら鬼灯くんにそろりと聞いてみる。
「あんまり話してほしくなかったのかな。でもあのひと、悪いひとじゃないよね」
あの人とは白澤さんのことだった。
名前を出さなくても伝わったみたいで、すぐに嫌そうな顔をしながら頷いた。ずっと不機嫌なままで鬼灯くんも大変だなあ。疲れそうだ。
「あのアホがあんなでも神だからですよ」
鬼灯くんの態度に違和感を覚えたとき、もしかしたらそういうことかなとは思っていた。
昔から私が神の類と対面することをよく思っていない。
鬼灯くんは普段は仕事や私生活で多種多様なもの達と友好的に交流しているけど、私はそういう"体質"らしいということで、一応の自衛のため基本鬼同士か、生前人間だった者たちとしかほとんど交流していない。
噂をすればじゃないけど、ちょうど明日は例の男神の元へ通う月一の約束の日だった。
それを分かっていていつも以上にピリピリしていたのかもしれない。
今であれば男神の所業は地獄のルールの何かしらに抵触して、どうにか制限できた行為だったかもしれないけど、地獄ができるよりずっと前から続いているこの縛りはどうやっても解けない。
解放されるとしたら、男神が飽きたからと放り投げるときか、それとも男神が消滅するときか。
だから私は解放されるために神が飽きるのを待つか、自然消滅するのを待つか、神殺しなんていう恐ろしい行動を起こすしかない。後者をやる気は少しも起きない。
最初こそ怯えていたけど、通った所で雑談を交わすくらいしかしないし、友人と月一のお茶会にでも向かうくらい向かう足が軽くなってきた。
早く解放されたいと切望することもなく、仕事があるので抜けるのが大変な時があるということ以外、あまり負担には思わない。
未だに私を縛った神の真意はわからないままだったけど。
3.地獄─神と飲み
閻魔様に誘われていた飲み会、宴会。
無理矢理といえどあの多忙な鬼灯くんが参加するくらいなのに、私の方が多忙で参加できないというのもめずらしいなと思った。
ワーカーホリックな気がある彼だけど、私の方は特別仕事熱心でもなく、かと言ってズボラでもなく。それなりに真面目に打ち込むだけの凡人だった。
具合を崩さないためにあえて没頭するという習慣がなければ、生活のためという必要性があったとしても、今ほど熱中して働いてはいなかっただろうと思う。
記録課で永遠文字とにらめっこしていようと精神がヤられることもなく、カウンセリングにお世話になることもなく。
マイペースを貫き通してブレない仕事が出来ると言われているけど、鬼のようにピッチをあげられる訳でもないので善し悪しだ。
葉鶏頭さんのように質を保ったまま早められたら理想だけど、あの手腕は神がかってるというか…病みきってるというか…。常人のままでいたら入り込めない領域だと思う。
入るつもりもない私はいつまでも凡人のままだ。
「遅くなりました〜」
ガラガラと戸をあけて店内に入る。
すると升を片手に凶悪な顔をしている鬼灯くんの姿をみつけて「あ、いたいたー」と安心した。場所を間違っていないか、もうお開きしてしちゃってるかもしれないとか、色々心配していたのだ。
飲み会に積極的な方ではないので、鬼灯くんが不機嫌でいるだろうことは想定内だった。
「あ、ちゃんやっときたきた。ホラホラ鬼灯君ねえホラ」
「うるさい、なんで私に報告するんです」
「だから機嫌直してよ〜」
「だから意味わからん」
閻魔様が言いながらチラチラとこちらを見るので、私のフォロー待ちをしているということはすぐに察した。
お香ちゃんの隣に座りたいなと思って探したけど、彼女は今マイクを片手に歌っている所だった。
この間出会った、新入りらしい小さな鬼くん二人もいてとても盛り上がっている。
仕方なく妥協して…と言ったら失礼だけど、素直に鬼灯くんの隣にすとんと座った。
フォローを頼まれたって私に特別なことは何もできない。
機転がきくタイプでもないし、そもそもこの子が上手い機転を利かせた所で素直に乗ってくれるのかが問題だ。
結局何もせずいつも通りにするしかない。
自己評価はともかく、よくも悪くも動じずのんびりなのが私の個性で売りという認識を受けていたので、その対応で間違ってないだろうと自問自答する。
「あ、美味しそう。私あれ食べたいな」
「自分で取りなさい」
「だって遠いから。とって」
「嫌だ」
「えーなんでー」
鬼灯くんのが近いでしょ取ってよとかなんとか言い合っているうちに、違うテーブルに座っていた、白い服を纏った男の人がこちらを振り返った。ぱちりと目が合る。
相手は驚いたように目を瞬かせている。
なにやら見知らぬ人が同席しているらしい事には気付いていたけど、さっきまでずっと背を向けたままだったので、初めて顔をみた。
こちらの輪に加わることがなかったので、白い彼の隣にいるもう一人も、たまたま居合わせただけのヒトなのかと思っていたけど。
黒髪黒目、派手な片耳の飾り。どこかで見たことがあるような気がすると思うも、パッと思い浮かばない。
悶々と記憶を探っているうちに、向こうは表情を明るくしてこちらにやって来る。嬉々としながら話しかけてきた。
「きみ、いたんだ!そりゃあそうだよねえ居るよねえ」
「……へ?」
「でもすんごい久しぶりにみたなあ。きみ、あの時のあの子だよね」
「…え、ええと」
どこかで見たことがあると思った通り、やっぱり過去に会ったことのあるひとだったみたいだ。親しげに話しかけてくれた。
でも相変わらずこっちはどこの誰なのかは思い出せないまま。
この口ぶりを聞くに随分昔の出会いらしいし、仕方がない話なのかもしれないけど、向こうが覚えてくれているのに忘れてしまったというのは素直に申し訳ない。
昔ってどのくらい昔のことだろう。地獄と天国に分かたれた頃?私の背がやっと伸びてきた頃?それよりもっと前の小さい頃?
そこまで順々に遡ってやっと思い出した。ああこのひと、昔私達四人を現世に連れてってくれた好青年か。神獣さんか。
「あっすっごく久しぶりですね。こんなところで会えるなんて凄い偶然」
「ね。何百何千年ぶりかな?今地獄で働いてるの?全然会わなかったよねえ。
一回くらい会ってても良かったと思うんだけど…絶対気付いたのに。相変わらず変にかわい…」
久々の再会にテンションが上がった様子の彼は饒舌に話して、そのままあの時のように手がこちらへ伸ばそうとした。
しかしその手はバシリと強い力で叩き落とされる。私の隣に座っていた鬼灯くんの仕業だった。
赤くなっている神獣さんの手と、鬼灯くんの冷えた目を交互にみる。火花が散っているような気がするんだけどこれなあに。
昔のやり取りの繰り返しのように見えるけど、少し違ってる。前回は向こうの接触も鬼灯君の暴力も未遂に終わっていたけど、ついに衝突してしまった。
なんでもかんでも荒々しく問題解決するのよくないよと思っても、これが地獄の流儀だと言われたら何も言えない。
「…はーへーえなるほど」
「そのにやついた顔腹立つ」
「僕だってお前の仏頂面見てると腹立つわ!…お前隠しただろ」
「なんのことやら」
明らかに二人はいがみ合ってる。火花が散ってる。そういえば鬼灯くんと物凄く仲が悪いヒトがいると、その存在をほんのりと聞かされたことがあったかもしれない。
二人だけで通じ合う言葉で話しているので裏にあるものは理解できないけど、雰囲気がものすごく悪いことは明らかだ。
お互い顔も見たくないと言わんばかりに感じ悪く姿勢を逸らした。
示し合せた訳でもないだろうに同時にだ。逆に仲がいいんじゃないかと思ってしまうけど。
雰囲気が悪〜くなったこの場で二人は我関せず酒を呑み、食べていた。
その神獣さんがハッと何かに気が付いたように顔を上げて、あっと明るい声を上げた。
視線の先には火鍋があって、嬉しそうに笑っている。好物を見つけてころりと機嫌を直したようだ。
「胃ィ荒れてんのにそんなに飲んで更に辛い物…」
「僕、辛いの大好き」
一連の流れを隣から呆れたように眺めていた桃柄のバンダナの青年。今度は黙しきれず、呆れ声を漏らしながら火鍋を茶碗によそう。甲斐甲斐しくするのが板についている、慣れた動作だ。
この人も店内にいたことには気が付いていたけど、顔は初めてみた。
たまたま居合わせた見知らぬ別の団体どころか、このひと達とは結構親しそうだ。
閻魔様が親しみをこめて、おかしそうに笑っていた。
「桃太郎君はすっかり出来る主婦みたいだね」
「ダメな上司がいると部下が恐ろしく成長したりしますよね」
…あーそっかあ。
逆もしかりで、出来る上司がいると部下の伸び代がごっそりとなくなると。
頼りになる鬼灯くんがいるからこそ私は甘えてしまうのかな。取ってくれとかせがんだり。
冷静に振りかえってみれば、さっきのは女子力主婦力部下力を発揮すべき所だったはず。
でも鬼灯くん別に甲斐甲斐しく世話なんて焼いてくれないよねえ。結局アレもとってくれなかったし。なんであの単純なひと手間を惜しむのか。やっぱりコレ甘えとか主婦力とかいう次元の話じゃない気がする。意地悪だ。
神獣さんの名前は白澤というらしい。何千年経って初めて知った。
隣にいた桃太郎という名前の気が利く青年は、こちらにも鍋を進めてくれた。
「鬼灯さんもどうぞ。あ、あなたは?」
「ああ、うん、私もいただきます」
「あ、私は結構です」
お腹がすいていたのでわーい頂いちゃおうと軽く頷く。
鬼灯くんは明らかに赤く辛く煮えた鍋の中身を見てさっぱりと断わっていた。
「え…すみませんもしかして俺達がここにいるの怒ってます?」
「いえ違います、どうぞお気遣いなく」
桃太郎さんの伺い方を聞くに、親しいと言えどやっぱり偶然遭遇しただけだったんだろう。
それにしても…鬼灯くんが怒っている?ずっと不機嫌そうにしていたけど、無理やり参加させられたから腹を立てていただけだと思ってたけど。
「あ〜桃太郎くん鬼灯君はいいんだよ」
「え?」
「いいからいいから」
事情がわかっているらしい閻魔様が、気を聞かせて鬼灯くんの代行をしてやんわり断わってくれた。
その様子をみていた白澤さんは何か察したようで。
「え…お前…もしかして…辛いの…食えない人…?」
白澤さんの言う通り、鬼灯くんは辛い物がダメな人だった。なるほど素気無くさっぱり断ったから気にしてしまっていたのか。
冷たくあしらったのではなく、単純に好んでいないから遠慮したのだ。
荒んだ目をそろりと無言で逸らす鬼灯くんの仕草は、肯定を表していた。
そこからは辛い物嫌いをダサっ!と馬鹿にする白澤さんと、酒の飲めない白澤さんを馬鹿にする鬼灯くんとのくだらない舌戦になり、宴会会場には二人のピリピリした空気が更に蔓延した。
私はお香ちゃんがマイクを握ってカラオケしている姿を横目にいれ、時々手拍子を挟みながら火鍋を頂く。
私にはこの二人の間に割って入る勇気も度胸も知恵もない。
けれどお香ちゃんは持っていたマイク一つで流石の機転を利かせ見事仲裁を成功させていた。
鶴の一声ならぬお香ちゃんの一声、タッちゃんカッちゃん喧嘩しないでの一言。
懐かしい…タッちゃんカッちゃんとか久々に聞いたなあ。
前の人生で読んだり観たりしたぶりだからもう何千年ぶりになるのかな。
今は漫画とかアニメが沢山流通してる時代なんだなーと内心で感慨深く思う。
ごろんと転がりお香ちゃんの膝に頭を乗せ、自然な動作で膝枕の体勢を取り始めた白澤さんが視界の端に映った。
「紂王の気分だなぁ」と言ってご機嫌な様子で中国の皇帝の話を始める。
そこから妲己という絶世の美女の話に発展していき、喧嘩していた二人も大人しくなり雑談に興じはじめた。酒の席での陽気なお喋りにしては物凄くコアな話をしている。
「そして現在衆合地獄の花街でボッタクリ妓楼やってます」
「あの店そうだったのか!」
「その口ぶりだともう行ったんですね…」
「行ったも何も昨日行ったよ…あ〜そうか彼女がそうだったのか〜」
中国にいた妲己が日本に渡り紆余曲折を経て、三軒先でそんなことをやっているなんて壮大な話というかガクッとしてしまうような話だ。
美女?妖狐?きつね?ひと?と一瞬混乱してしまったけど、白澤さんを探して対面した時もそんな混乱を起こしていたことを思い出す。
前の人生で培ってしまった、私の中で基盤となっている常識は中々覆らない。
人の姿をしていればそれは間違いなく人で、狐や神獣が化けてるかもしれないなんてファンタジーなことを普通は考えない。
「美女と美酒ですかぴんだ」
「言っておきますが金は貸しませんよ」
男は妲己に酔うんだと言っていたその通り、酔った白澤さんは彼女と火遊びをしてしまったようだ。
青ざめる桃太郎さんとは反対に、当事者の白澤さんは気にした風でもなく笑っていた。
「…なんだか大変そうだなあ」
「他人事ですね」
「だってひとごとだし…お金貸せないし…」
「貸せても貸さなくていいですから」
「うん」
鬼灯くんも金は貸さないときっぱりと断っていたけど、それともまた違ったぼんやりとした私の相槌。
声をかけるにしてもそれ以外になんと言っていいのかわからない。
お気の毒に…って言うのも違うし、そんな美女の居る店に当たれて逆にラッキー!と囃し立てればいいのか。
言われなくても貸せないし貸さないし、女遊びでそんな事態に陥ったと聞いてもちょっと同情はできないかなあ。
話しながら食べて飲んでいると、お香ちゃんが不思議そうにじっとこちらを見ているのに気が付いた。
口をつけていたグラスを下ろして、物言いたげなお香ちゃんの話を聞いた。
「…なんだかがお酒持ってるの見るのって不思議な感じがするね」
「…ん?なんで?」
「というより、不安になるわ」
「えー…私飲めないひとじゃないよ。なんで不安?」
到着した時点でだいぶ飲んでいたみんなとは違って、来たばかりの私はまだ一杯も飲んでいないし。ペースも早くないし。酔いが回る心配をするのは早すぎる。
というか、今日はもう酔ってしまうほど飲まないだろうし。
顔でも赤くなっているのかとぺたぺた触ってみるけど熱くもないし、思考もしっかりしてるように思う。
「だってずっと小さかったんだから」
「あ、そっか。私ずーっと呑まないようにしてから」
「そうそう。ちっちゃい子が飲酒してるみたいな不安な気持ちになるのよ」
鬼は酒が大好きだというけど、私は特別好きでも呑兵衛でもなかった。
だから幼い体格にわざわざアルコールを入れる理由も存在しなくて、何千年経った最近初めて飲酒を始めた。
お酒を片手にしていても違和感ない姿形をしてる。やっと酒の席でのジュース・お茶離れが出来そうだった。
「なになに、どういう意味?」
すると妙なやり取りが気になったらしい白澤さんがきょとんとしながら疑問を投げかけた。
確かに事情を知らなければまったく意味がわからない話だなあと思い軽く説明しようとすると、いきなり正座していた足を強く押された。犯人は隣に座る鬼灯くんの拳。
目撃者となってしまったお香ちゃんが咄嗟に手で口元を覆い、小さく悲鳴を上げる。
軽く痺れていた足に走った振動に驚いて悶絶している間に、鬼灯くんは白澤さんとまた問答を始め、その横で私はしばらく足を庇いながら悶えていた。
お香ちゃんが気の毒そうに背中を撫でてくれる。その手の優しさのおかげでみっともなく涙をこぼすことなく威厳を保てた。大人とか女神とかってこういうひとのことを言うんだと思う。不意打ちでこういうことするのほんとに酷い、大人気ない。
「…もしかして」
解散した後の帰り道。無事に痺れが取れた足でしっかりとした足取りで歩きながら鬼灯くんにそろりと聞いてみる。
「あんまり話してほしくなかったのかな。でもあのひと、悪いひとじゃないよね」
あの人とは白澤さんのことだった。
名前を出さなくても伝わったみたいで、すぐに嫌そうな顔をしながら頷いた。ずっと不機嫌なままで鬼灯くんも大変だなあ。疲れそうだ。
「あのアホがあんなでも神だからですよ」
鬼灯くんの態度に違和感を覚えたとき、もしかしたらそういうことかなとは思っていた。
昔から私が神の類と対面することをよく思っていない。
鬼灯くんは普段は仕事や私生活で多種多様なもの達と友好的に交流しているけど、私はそういう"体質"らしいということで、一応の自衛のため基本鬼同士か、生前人間だった者たちとしかほとんど交流していない。
噂をすればじゃないけど、ちょうど明日は例の男神の元へ通う月一の約束の日だった。
それを分かっていていつも以上にピリピリしていたのかもしれない。
今であれば男神の所業は地獄のルールの何かしらに抵触して、どうにか制限できた行為だったかもしれないけど、地獄ができるよりずっと前から続いているこの縛りはどうやっても解けない。
解放されるとしたら、男神が飽きたからと放り投げるときか、それとも男神が消滅するときか。
だから私は解放されるために神が飽きるのを待つか、自然消滅するのを待つか、神殺しなんていう恐ろしい行動を起こすしかない。後者をやる気は少しも起きない。
最初こそ怯えていたけど、通った所で雑談を交わすくらいしかしないし、友人と月一のお茶会にでも向かうくらい向かう足が軽くなってきた。
早く解放されたいと切望することもなく、仕事があるので抜けるのが大変な時があるということ以外、あまり負担には思わない。
未だに私を縛った神の真意はわからないままだったけど。