第三十六話
3.地獄移ろい
あれからどれくらいの時が経ったのか、私は数えることをとっくに止めていた。
不調を起こして自壊したくないのも理由だったけど、
あまりに果てしなさすぎて、途中から不毛だなと思ったからだ。

私達の関係は長い時間を過ごしていても、ほとんど何も変わらないままだった。
傍にいてほしいと言われて、うんと頷いて、そのまま無事私も地獄に就職。
同じ場所で働くようになって、昔のように毎日とまではいかずとも、変わらず顔を合わせて。
あまり変わらない営みの中で、一つだけ目立って変わったことは、お互いの住む所が分かたれたくらいのことだ。
環境が変われば関係も少しは変わるかもしれないと覚悟していた私は、少し拍子抜けした。
地獄での私の働きは、鬼灯くんに言われた通りの出来栄えだ。
年の功、ある意味では先見の明で培った技術。それで得た功績を前にして、今さら謙遜する理由もない。
そういう長所は、時に欠点にも変わることもあった。


「本当に、根っからの器用貧乏ですね」
「…はい…」

色んなことが出来るというのはそういうことなのだ。
昔と変わらない呆れで細められた目が私を射抜いていた。
地獄が出来た当初は今ほどには根本の地固めが出来きっていなかったので、今と同じ順序は確立されきっていなかった。
当時私は決まった期間決まった下積みをした後、適正のある場へ配属すると言った現在のきちんとした順序を踏襲することなく。
ふらふらと歩き回った結果、亡者を直接的に相手どるような物以外…庁内にある課、どこに行ってもそこそこに使える判断された。
そこそこというのが肝だ。なんて出来る鬼だと持て囃され称賛されることは一切無い。
それが器用貧乏の証明だった。
そこそこどこでも使える私が、最終的に腰を落ち着けたのが記録課だ。

「あなたはいつまでもどこまでも、本当に変わりませんね」
「……地味で中途半端でごめんなさい」

なぜ改まって皮肉っぽく責め立てられているかといれば、また器用貧乏を発揮してしまったからだった。
たまに他の手伝いに回ることが今でもある。
大昔一通りやって回った経験もあったし、そうじゃなくても大抵のことは初めからそこそこそつなくこなせてしまうので、さらりと請け負ってさらりと帰ってくる私のことを、
鬼灯くんはなんだか微妙な目で見ながら出迎えてくれた。
もうすぐ日付も変わるだろう時刻、夜更けだ。
出迎えてくれたというか、残業仲間とばったり遭遇してしまったという感じだったんだけど。

「適当な所で適当に消耗されてほしくないんですけど。だからと言ってコレだと言い切れるほど飛びぬけてもないのも事実」

大昔から言われてきたのんびりな器用貧乏という評価は伊達ではない。
年季と経験だけは段違いに重ねてる上に、人畜無害で周囲と摩擦が起こることも滅多にない。
どこにでも適正がある私はどこでも行けた。
体よく扱われていると言えば聞こえは悪いけど、どこでも輝ける逸材だと言えば聞こえは良い。

「それでもちゃっかり昇進は出来てるんですから、まあ相性がよかったんでしょう」

伊達に長年やってはいないので、あちこち行って回っても鬼灯くんの言うように消耗されることもなく、記録課ではいい位置に収まってはいた。
天職だとは自分も他人も言い切ることが出来ないけれど、これが一番相性がいい職務だったという事は確かだろう。
持病…というか、私は時間酔いと呼んでいる不調で具合を崩すことが多くて、酔いを起こす前に仕事に没頭する癖がついていた。
音も聞こえなくなるほどの没頭を、必要に迫られ意図して起こせるようになっていたというか。
そのおかげで精神に異常を来すことが多々ある所あの職場でも、マイペースを貫いていられた。
文字のゲシュタルト崩壊も一度も起こしたことがない。
その代償として流行に乗れることも多くて、「え?いつの間にか白黒テレビがフルカラーになってる?」とか、時代の移り変わり・技術の進歩に驚くことも多かったけど。

ふと気が付いたように鬼灯くんが自分の時計を取り出して見ると、とうとう深夜0時を回ってしまっていた。
そこでようやくお小言も止んで立ち話も中断し、廊下を再び歩き出す。
曲り角で一度立ち留まってお互い手を振った。


「それじゃあ、おやすみ」
「はい、おやすみなさい」


鬼灯くんには官寮があてがわれていた。記録課の主任の葉鶏頭さんの部屋も同じ区域にある。
私は普通の女子寮に入っていて、それ故に毎日共同生活を送ることはなくなっていた。
寮に帰ろうとする私と鬼灯くんが向かう所は真逆で、分岐点で別れる。
それじゃ寂しいからとご飯だけは食堂で一緒に食べるようにしているけど、
多忙な彼は毎回三食しっかり同じ時間に摂れないこともあったし、必ず食堂に落ち着ける訳でもなかった。
鬼灯くんが向かった方向に寮はない。恐らくまだ居残るんだろう、一度どこかで休憩を取ろうとデスクを離れただけみたいだ。
手伝えることもないし、ただ見送るのみ。あまり連日無理が続くようなら差し入れもするし、せめて仮眠を取れと勧めることもあるけど、1徹くらいなら何ら問題ないなと思ってしまうようになっていた。
世知辛いことに、毎度毎度鬼灯くんの健康を第一優先にしていたら、地獄が回らなくなるのだ。



「それでさあ、あの子がさあ」
「あのってどのだよ」
「あの子だよ、現世の方のアイドルの。俺の推し」
「いや現世のアイドルなんて俺よくわかんねーし」
「はあ?ドルオタ自称すんならあの世も現世も見とけよなー」
「……………はあ?」


もう隅々まで歩きなれた閻魔殿の廊下を歩いて行く。
地獄も閻魔殿も広いけれど、さすがにある程度は制覇していた。
その最中、廊下ですれ違った男鬼二人が口論を始めた。
最初は和やかな談笑だったのが、だんだんにらみ合い掴み合いの喧嘩に発展しようとしている。
それはまあいいんだけど、別に止めはしないけど。引っかかったのはアイドル、ドルオタなどの単語だった。
振り返り、一触即発状態の彼らの背中を眺める。今にも胸倉を掴みかかりそうに火花を散らしている獄卒の彼らの口から出ていたのは随分と…

「…ナウい言葉だなあ」

とてもびっくりして、思わず私の口からは、おそらく現代では死語となった言葉が出てきてしまった。



「ただいまー…」

寮の自室に戻り、誰もいない部屋に疲れた声をこぼす。
履物を脱いで揃え、部屋に上り込んで一息ついた。
着物の帯を緩めてすぐに部屋着に着替える。軽装、洋服。
長年着物を四六時中纏う生活を送ってきたけど、洋服の方が楽だということは大昔からわかっていたので、文化が浸透したころから、部屋の中では常にこうするようになっていた。
時代の流れにすぐに反応できない私でも、洋服が流通しだす瞬間だけは逃さなかった。
便利な物だけはいち早く気が付く、我ながらちゃっかり者だ。

「……それにしても…」

耳に馴染んでいるはずのまるで現代のような今時の言葉は、逆に新鮮に聞こえた。
何年ぶりに感じるだろうこの感覚。この雰囲気。
私が言う"現代"というのは、一度目の■■■■が生きていた時代のことだ。
うっかり死語が出てしまうくらいには混乱した。
世の流れに敏感についていけず、私の中の時はいつも100年単位でズレて停滞している。

いや勿論それだと仕事に差し支えが出るから大まかは把握していたけど、都合の悪い所だけ見ないふりをするのが得意になっていた。
何かに没頭して時間を意識しなければ、無難な日々を送れたので、とても都合がよかった。
吐き気に襲われ続けるのも楽ではないし、支障が出ることに流石にうんざりしていたのだ。
記録課の仕事は、今までやってきた他のどれよりも時間を忘れて打ち込めるものだったので、嬉々として仕事していた。
簪を抜いて髪を解き、現代人のようにヘアゴムで楽に纏めながら物思いに耽る。

「…今って何月何日?西暦は?」


西暦も記されていない、質素で単純な日めくりカレンダーがあるのみで、まともな時を示してくれるものがない部屋を茫然と見渡し、しばらくぼーっとしていた。
…もしかして一度目の人生で生きていた時代にちょうど差し掛かったのかもしれない。
あんなに遠い未来の話だと思っていたのに、過ごしてみれば案外長いようで短かい道のりだった。
鬼の成長は精神的な所に左右されるということで、体感時間がめちゃくちゃに狂っていた私の身体は中途半端なことになっていた。
いつまでも伸びないのだから私の身体はこれが限界なのでは?と一旦見切りをつけた時期もあったけど、その後も微妙に伸びたり、また止まったり。
そんな私の身体は子供でもなく大人でもない、変に未熟な所で停滞したままだった。
──今は多分…いや絶対に"現代"に差し掛かった。
そう確信したあと、急に変な予感がして、部屋の隅の方に立てかけてあった姿鏡を覗きこむ。

「…わあー…」

鏡に映ったものを見てやっぱりかと肩を落とした。私の身体は、一度目の人生の頃と同じくらいの背丈に成長していた。つまりは大人と呼べる体格と面差しだ。
私のその顔は相当苦々しそうに笑っていて、口元は引きつっていた。目は虚ろで生気がない。
あんなに長いこと中途半端に生きてきて、苦悩も支障もあったのに、この確信だけで伸びるなんて笑い話にもならない。

「…ていうか、みんなになんて言ったら…」


周囲は小柄に産まれてしまったのだから仕方ない話だと、コンプレックスにじれている私の様子を昔から生暖かく見守ってくれていた。
けれど、私は別に個性を、体格を気に病んでいた訳ではないのだ。
大は小をかねるというべきか、背丈があったり体格がいいと高い所に手が届いたり重たい物が運べたりする。歩幅が広いので一歩が大きい。
子供の頃は仕方がないとして、一歩がもう少し広い状態を知っていた私はじれていただけだ。つくづく楽したがりなんだなと改めて痛感する。

もうこれで仕方ないんだろうなと、ようやく諦める事が出来た頃になってこんなことになるとは…。
喜ばしいことなはずなのに、なんだか憂鬱になった。
明日が来るのが嫌だな顔出したくないとなんて考えて床に倒れ伏し、うじうじとしていた所でハッと気が付く。

「…着る物がない」


まるっきり体格が変わったせいでサイズの合うものがない。今着ているのはゆったりしたワンピースだったから、丈が短くなったくらいで済んだけど。
顔付きも大人びたから、今までとは違う系統のものを着なければちぐはぐになる。化粧だってそうだ。
春夏秋冬衣服の揃え直し。衣替えどころの話じゃない。
今までなんて幼さ(若さ)に胡坐をかいてほぼすっぴん状態だったから化粧道具一式も必要、この身体と顔じゃという女鬼として認識されず混乱させてしまうかもしれない。いやそこまで大がかりに変化した訳じゃないけど一夜でこれって。
あちこちに行って説明しなきゃとつらつらと考えて。


「…行きたくない…」

芋虫のように床を這って蹲って丸まって、滅入った気持ちを全身で表現してみたけど、一人きりの部屋で誰がそれにツッコミを入れてくれる訳もなかった。




「そういう訳だから申し訳ないんだけど、半休ください」
「なんで伸びてんですか」


次の日、にっちもさっちもいかなくなった私は急場しのぎで適当に着物を縫って、上から今までの身体には大き目だった上着を羽織り、荒隠しをして買いものに出かけようとしていた。
急な事で申し訳ないなと思いつつも、裸で顔を出す訳にもいかない。私は裁かれる側に回りたくない。
朝一で鬼灯くんの元に直に申請しに行ってみたら、食い気味にキレのあるツッコミを入れられた。
就寝が遅く朝も早いことを心配したけど、これは元気なのか、ただ睡眠を削ってテンションが変なだけなのか判断に迷う。
…なんでと言われても困っちゃう。理由はあるけど例の「病気」の理由も結局教えられていないのに、説明できるはずない。

「せ、成長期がやってきて…」
「なんで今、なんで今更ですか」

誤魔化しにもならない誤魔化しをすると、凄い形相で、凄い低い声で問われた。「出来るんならもっと早く伸びておけ」みたいな無言の威圧を感じる。
そもそも今までの子供と大人の狭間に至るのも遅く、子供の身体の段階の時代が長くて、
要所要所で苦労をかけてきた自覚がある。
大人として毅然と対応する必要がある場面で、向こうに所詮子供だと下に見られ、トラブルを起こしかけることも多々あった。遺伝的などうにもならない問題ではなく、理由があったので、負い目は感じている。

「…ごめんなさい」
「謝罪じゃなく、説明を求めているんです」
「……ご、ごめんなさい…」

二度繰り返した謝罪からその意図に気が付いたらしく、更に険しさを増した。
…なんだろうこの修羅場みたいな感じ。ドラマや漫画で若い男女がよく繰り広げているような展開だった。
これで私が伏目がちに俯いていればそっくりそのままで完璧な再現だったんだけど、私は気まずさと罪悪感からみっともなくうろうろと視線を彷徨わせている。
目は潤まず緊張で乾いている始末。

「またですか」
「…また、言いたくないです…ご、ごめん…?」

またという言葉にどれだけの思いがこめられているのかも分からず、曖昧な返答になった。
ただ釈然としないだけなのか苛立ってるのか、その心境が計り知れない。
大昔に言いたくないと言って説明をしなかった時も、不服に思っていたことは分かっていたけど。
再び繰り返された言い逃れ。どういう風に、どの程度鬼灯くんの気を障らせているんだろう。説明することが出来ないなら、今更そこを追及することもできない。

鬼灯くんはデスクの上、手元の書類を一瞥して、速足で部屋に入室してきた獄卒の一人をみて眉に皺を寄せた。
長話を出来るようなタイミングではないようだ。
半休はある意味有無を言わさず無事にもぎ取れて、私は気まずさを抱えつつも、そのまま買いものに出かけさせてもらおうと素直に歩き出す。
何歩か出口に向かって歩いた所で、ふと言葉が口をついて出てきた。

「……許さない?」

あの頃のことを思い出すと、連動してあの時言われた言葉が頭を過った。
浮かんだそれを独り言のように声に出してしまったけど、独り言にしては随分大きな声になってしまった。
結果的に問いかける形になってしまい、恐る恐る背後を振り返る。
結局あれは何に対しての言葉だったのかもわからないままだった。
また今回も同じような言葉で逃れてしまった。なら、また同じ言葉を返されるんだろうか。
鬼灯くんは手元の書類に依然視線を落としながら、淡々と手は動かしながら。
喉から温度の低い声を出した。

「絶対に、許しません」


地を這うような声が聞えた瞬間、ひっと誰かが悲鳴を上げるのがわかった。
急ぎ足で報告にやって来ていた獄卒か、廊下から何だ何だ?と遠巻きに見ていた者だったかもしれない。
巻きこまれて可哀そう…。こんなの見てしまったら、聞いてしまったら怖いはずだ。
そういう威圧に慣れてしまった私はひたすら困り顔をするしかなく、「そっか」と言って何に対して納得したのかもよく分からない頷きを一つ残してからその場を去った。
思った通り鬼灯くんの心は変わっていないようだ。気になるけど聞くに聞けない。



「…こんなものかなあ」

昨日より逞しくなった腕に紙袋をいくつか下げて、お店のパウダールームの一角を陣取りパパッと薄化粧をした。
くるりと一回転して、髪も、纏った新しい着物にも問題ないと確認。そうしたら気が抜けて、女性らしくなった体が憎たらしくなってきて見下ろしながらため息をついた。
今までは少し幼い身体に見合う年相応の服を着ていればそれで様になっていたけど、
大人になったなら大人の女性らしい身だしなみを整えなければならない。気を使う。
お香ちゃんが働いているような衆合地獄のように美を求められてはいない、着飾る必要はない、室内で机に向うだけ。下手をすれば体力仕事をしているみたいなもの。
しかし一応働く大人なのだ。
唇に赤い色を差すのは本当に久々で、なんとも言えない気持ちになった。
戻ろうとしている最中、問題ごとでも起こったのか、閻魔殿の前で鬼灯くんと鬼がやいやいと言い合いをしているのが見えた。


「……、」
「……え?」

あちらも現れた私に気が付き、ばちりと視線があった。
すると急に怖い顔をし出して、いったい今度はなんだろうと驚いた。
けれど少し下がっている視線の行き場を見て、彼を不快にさせたんだろう理由に気が付いて苦笑する。
対応していた獄卒は、唐突豹変した彼を前にしておろおろしている。
当人はひとしきりこちらを睨んだあと視線を外して、何食わぬ顔で対応に戻ってしまった。

「……まあいっか、似合わなかったし」

生贄になった時以来、初めて唇に差した色を落すことにした。
華やかな色を纏うのがあの件以来って、それこそ華のない人生を謳歌してるなあ私。
子供に艶やかな色なんて必要ないからそれでよかったし、そんな物今現在も求められていないのだから、もう身だしなみ程度でいいや。
それにしても昔のこと…その上あんな頃のことなんて久しぶりに思い出した。向こうもそうだったんだろうか。
過去に思いを馳せようとしたら、振り返ることが沢山ありすぎて、あの頃まで思考が至ることが中々なかったのだ。
今この時に至るまでどれだけの月日が経ったんだろう。
両手で数えるんじゃ全然足りないほどの夜を越えて、おやすみ、おはようと言い続けて、まだ最期の日がやって来る気配はない。
あの時私は確かに死んで、確かに今日まで生き続けていた。

2019.1.5