第三十一話
2.あの世神様と理想

「お前は薄っぺらではないんだと、永らえるに足る存在なんだと。その根拠を示せ。行動で訴えろ。言葉で表せ。無意識を曝け出せ。全身全霊で証明しろ、納得させろ、全てを尽くせ」


それを言われたあの日から今日でちょうど一ヶ月が経とうとしている。
月に一度会いにこいと言った男神。約束を果そうとするなら、足を運ぶのは今日だ。


「…行ってきます」
「…」


いってらっしゃいとも何も言わず、ただ殺気立ちながら鬼のような顔をして無言で見送ってくれた。
その怒りの矛先は私ではなく、山で待ち構えているだろう男神に向けかっているのだろうということがわかっていたから流せたけど、自分に向けてだったとしたら私は震えてただろうなあ。
いや私にだって苛立っているとは思うけど。忠告の意図を理解せず、無防備にいたのは事実だ。私がやっていたのは危ないひと相手の防犯に近いもので、神様や妖怪相手の自衛というのには足りないものだった。
鬼灯くんはこういうことが起こるかもしれないと予測していて、なのにこんな状態に陥れば悶々とすることだろう。


「…何をすればいいんだろうなあ…」

それは自分で考えて答えを出すべきことなのかもしれないけど、本当に手がかりがない。努力するための土台が何もないのだ。
あの言葉を一言一句思い出してみても、何も理解できていない。
望まれているのは語ること、行動すること。それくらいは分かっていた。
けれど具体的な所がわからない。意図も掴めない。
私は永らえるために、どんなことを語ればいいんだろう。


たどり着いたとき、また同じように板が落ちていた。今度は鮮やかな朱色の上に色とりどりの花が咲いたような華やかな模様。
それを手に取ると、あの日と同じように並んだ祠を見つけて、それを辿ると社に到着する。
そしてごうっと風が吹き抜けた。これって入るための切符のようなものだったのかなと頭の片隅で考えつつ、この後再び地に伏せることになるんだろうなと予想する。


「いたっ!」


予測できていたことだった。しかし分かっていてもこんな勢いでなぎ倒されるのは恐ろしい、痛い。
地面に頭からぶつかりそうになったところで、間一髪で腕で頭部を庇って防御することが出来た。
また伏した状態で、顔をあげないまま待つ。


「今日は暴れないのか」
「……」

それになんて答えたらいいのかわからない。
神様相手にどう対応したらいいのか、恭しくすればいいのかもわからず無言を貫く。
最低限必要だと思った言葉しか吐き出すことが出来ない。
元々フレンドリーに接することができる間柄でもないし、何か気に障るところに触れたなら気軽にこちらを抹消してくるだろうとわかっていたので、動く気にも暴れる気にも話す気にもなれない。
でも私にはまだ、最低限問わなければならないことがいくつかある。いつまでも黙り込んでいる訳にもいかない。


「…わ、わたしは」
「うん」
「何度もここに来て、自分がどうして…どれだけ生きていたいのか、言葉を尽くせばいいの…?」
「それっぽっちじゃ足りない」
「どれだけ死にたくないのか理解してもらうために、行動すればいいの」
「それだけでは物足りない」
「…思いに生かされてる、甘やかされてるって、どういうことなのか、私が理解できるようになればいいの」
「その自覚ができたら随分足しにはなる」


足しとはなんの足しなのかも理解できない。自覚なんて遠い話だ。
もっと追及したいと思うけど、これだけでも随分と多く話した。これ以上は怖い。
相変わらずすぐ傍にいると、視界にはいらなくてもその存在感は肌に伝わり圧倒される。
知らないままでは終われない、知らないままの方が怖い目にあう。
それがわかっていたから口を開こうと自分を鼓舞させられたけど、どうしても喉がひきつった。
それを見ておかしそうにくつくつ笑った男神だったけど、しばらく笑うと気が済んだようで、顔をあげろと促した。


「そう重苦しくするな。好きなことを好きなだけ話せばいい」
「…」

そんなことを言われても、好きなだけ話して怒らせて不敬だと叱責されて、今度こそ殺されてしまったらと思うと、気安く接することなんてできない。躊躇うに決まってるのに。


「もう殺そうとはしない」
「…そんなの」
「信じろ。神だからとそこまで怯えるくらいだ、神の言うことだからと心から信じることも出来るはずだろう」
「…そう、だけど」


いつか見たのと同じ、白い着物を纏い赤い目を楽しそうに嬉しそうに細めている男神は、石畳に這いつくばる私と目線を合わせようと地面に膝をついた。
視界に彼の下駄と着物が入り込んでくる。


「苛立っていたから、気に食わなかったから、退屈だったからとお前を引きこんだ。楽しみたいからと消さず生かした」
「…」
「お前が居るだけでそれなりに楽しいんだ。約束を守る努力をするなら、いらんことは気にせず好きにしろ」
「…最初は殺そうとしたのに、どうしてそんな」
「気に食わないのは確かだけど、我慢ならない程ではなくなった」
「…」
「途中で面白く思えた。それはこれからもきっと変わらない」
「……じゃあ、本当に…好きに話すからね」


そこまで言うのだ、「相手は神様」なんだから、素直にその言葉を信じよう。
まだ緊張は解けないけど、胸を借りるようなつもりで好きにする。
そっと腕に力をこめて上体を起きあがらせて、石畳の上に座りこんだ。
男神は立ち上がり、敷地内にあった祠のようなものを椅子代わりにして座った。
罰当たりなことをするなと思ったけど、そういえばこのひと自身が罰を当てる当てないの判断を下すのだった。
自分の領域でどれだけ自由にしたって、咎められる訳がない。所有者の勝手だろう。


「できればここで泣いたり怒ったりするといい」
「え、なんでそんなこと…?」

緊張しつつも、ツッコミを入れることも出来るようになった。
いつ襲いかかられるのかと思って脳も身体も警戒を未だ解き切ることはないけど、
話していいんだ、聞いてもいいんだという理解は済んでる。


「笑ってもいいし喜んでもいい」
「そういう種類を聞きたいんじゃなくて」
「それで楽しくなるから。必要なことだから」
「…」
「それでどれだけ生きたいか死にたいか殺されたいか殺したいか、お前の理想を語ればいい」
「…消えたくない死にたくないけど…理想とか野望なんてないよ…」
「そんな訳があるか」


生きたいと思う。死にたくないと思う。でもそれって自我がある以上自然発生する欲求じゃないかと思うんだけど。
死んで、生まれ変わって、また死んでここにきた。
そういう繰り返しをしていると、生き死にについて考えることも自然と増えたし、あんな終わり方二度としたくないなと思うし。
私が悔いているのは理不尽な始まりと終わりを迎えた一度目のことで、
二度目の時は始まりも終わりもひっくるめて「仕方ない」と思えたし、あの死には救いがない訳ではなかった。
また新たな人生が始まったなら、今度だってどうかほんの少しでいい、ささやかな救いがある終わりを迎えたい。

この男神はまるで私というモノがそういう野望を抱いているかのように扱っているというか、ものすごく執着があるみたいな言い方をするというか。
そんな訳があるかと断言までし出した。
生きるか死ぬかの瀬戸際にあれば、死にたくないと叫ぶのは当然じゃないの?
絶望しきって無気力になってしまうというのもわかる話だ。
けれどあの時の私には足掻くだけの気力が残っていた。それだけの話じゃないのかなと思うのに。
あの時の私の必死な足掻き。…もしかしてそれを見て、常軌を逸脱していると感じて、それで物珍しく思ったとか?いやそんな訳がない。私以外でもきっとそうするヒトはいる。
私だけが特別ではない。


「…意味がわからない」
「悩むのもいいな」
「何がいいのかわからない」
「笑える」
「ちょ、ちょっと…!?」


耳を疑う言葉が聞えてきて思わず強めに叫んでしまった。
ケラケラ笑っている。本当に何を見ても聞いても楽しそう。
居るだけで…なんて全肯定されたけど、最初は殺されたのだ。
存在否定どころか全否定、拒絶して抹消。
神様だからと信じようとしてもすぐに心から信じることは出来なくて、疑ってしまうのも無理はない話だと思う。
やっぱりどうやったらこんなに急で極端な方針変更ができるのかわからない。


「……あ、そういえば」

そこでふと思い出したことがあって、パッと顔をあげて気になっていたことを聞いてみる。


「この間帰ったら、凄く時間が経ってて」
「それは、ここがあちらとは切り離された空間だから」
「……時の流れ方が違うって言いたいんだよね」
「そう。そういう造りなんだから文句を言ったって無駄だぞ」


言いたいけど、先手をかけられたので言うのはこらえた。意地悪のために意図して設計した訳じゃない。いちいち言っても仕方ないということはわかる。
ただ時間までは奪わないと言ったのに、話が違うと泣きたくなるだけだ。
あの後帰って、色々大変だった。
私の時間を奪う形になっているじゃないと思っても、彼的にはそうでもないんだろうな。そういう造りなんだからそれこそ仕方がないことで、奪ってるとは思わない。


「…じゃあ、今回も同じくらい誤差が出るの?」
「前より留まればもっと」
「…!!もう結構時間経ってる!えっえ…どうしよ、ええ…」

慌てまくりの私をみて腹を抱えて爆笑しだした。
彼の笑いの琴線がわからない、どうしたらいいのかわからない。

「今日のところはもう帰っていいですか?いいですよね?ねっ」

挙動不審、青ざめながらおろおろと聞くと、「図太くなったな」と言いながらも頷いてくれた。
好きにしていいと言われたんだから好きに発言するし好きに要求する。
座っていた祠から下りて地に足をつけ、彼はこちらへ歩み寄ってきた。


「生きていたいか?」
「…」
「生きていたいよな」

にこにこと、笑いながら彼は私に語り掛ける。
それは問いかけではなく、最後にはただの事実確認になっていた。
聞かれなくたって、再確認されなくなって、出て来る答えはわかりきってるのに、意地が悪い。
私は迷わず大きく頷いた。当たり前のことでしょうと。


「生きていたい」

その瞬間、風が吹き抜けた。それは私の身体を押し出して、また境界線を越えさせた。
今度は背中からべしゃりと不格好な着地をした私は、木々の隙間から見える夜空をみて溜息をつく。
来たときは昼間だったんだけど、単に日が暮れてしまったという訳ではないだろうなあ。

…今日はあれから何日が経った日の夜なんだろう。
早く帰りたいけど帰りたくない矛盾と葛藤する。

私はそこまで仰々しいものではないとは思っているけど。
彼の言い方に倣っていうならば…
──私には"理想"がある。
なんとなく私の方針も決まった。
私的にはただの欲求に過ぎない、けれどあの男神は理想だと受け止めているソレを語りに行けばいいのだろう。
いつか彼の気が済んで、もういいよと解放され、終わりが来るときまで。
それが何故必要なのか理解できなくてももうそれでいい。神様がそう言うのだからと無理やり全てを鵜呑みにしながら。