第二十四話
2.あの世家族
「おかえりなさい」


入ると、先に帰宅していた鬼灯くんの背中が見える。
こちらに気が付くと、振り返り自然とその言葉を口にしてくれた。
予想した通りもうご飯の支度に取りかかってしまっているようで、水の滴る野菜が盛られたザルを手にしている。
この辺りに流れる小川で洗ってきたんだろう、いつもはそれは私の仕事だった。急いで手伝いに向かう。ああその前に手を洗いたい。


「ただいま。遅くなってごめんね」
「そんなに遅くなってはいませんよ。私が支度を早めただけです」

こうしてただいまを返すことも、何も言わず隣に立つことも、ごく自然の習慣になっているなと改めて実感する。
走ったおかげかそこまで帰りが遅くならなくて済んだようだった。


「もしかしてお腹すいたの?」
「ええ。動かなくても腹は減るようです」
「ずっと寝てたらすかなかったのにね」
「起きてるだけで運動なんでしょうね」
「その理屈ならゴロゴロしてるだけで痩せるはずなんだけど」
「食っちゃ寝はだめでしょう」
「耳に痛いことを言った…」

しばらく前にやっと縫うことが出来たエプロンを身に纏ってから隣に並ぶ。
布も安く簡単には手に入らないので、生活必需品だとしてもあれもこれもと軽々作れず、後回しになったものの一つだった。


「今日は何を作るの?」
「道なりに」
「適当なことしないの、偏っちゃうよ」


具体的な計画もなく、ただあった野菜を手にとりながらその都度考えて、出来たものを食べようとしているようだ。適当にやりたい気分らしい。
今は昔の暮らしと違って食事するにも質素ながらやりようがある。
待ち望んだはずの成長期、きちんと育ちたいなら育ちざかりの身体に見合ったものを食べてほしい。
もうこれ以上の伸びしろがなかったとしても最悪は困らない程度にはお互い大きくなれたけど、あえて不健康な暮らしをしてもいい理由にはならない。
出来るならば規則正しく寝起きして、健康的な食生活をしていきたい。窘めといてアレだけど私も面倒臭くなる時だってあるし色々楽でもないし、結局理想は理想だけど。
鬼灯くんがちらりとこちらに視線をやった。


「…まぁ、そうですね」
「なんでこっち見たの意味深に」
「食生活も起床も全く私と同じなはずなんですけどね。人体って不思議だ」
「しみじみと辛くなることを言わないで…」


貧弱、短足などの貶し言葉が聞えてきそうな婉曲な表現だった。
自慢することではないけれど、成長期が平均よりズレているだけで地頭も身長体重もきっと並なのに。
前の人生でもそうだったからなんとなくそんな予感はしていた。顔も身体も以前とは違う造りだったけど、たまたま似たような体質だったんだろう。
一緒にいると私の残念な所ばかりが目について、残念フィルターがかかっている彼の視界には実際よりもあらゆるものが下回って見えているのかも。
そうは言っても火のない所に煙は立たないし、残念がられるのは私の日頃の行い、人徳のせいだろうと言われたら完全に否定しきることはできない。
…人徳とか行いとか評判と言えば。


「鬼灯くん、あんまり乱暴なことはやめたら?」
「乱暴とは」
「何かにつけて"あー鬼灯は乱暴だから…"とか"あー尖った鬼だから…"とかいう反応されるのはちょっとなって思うから」
「前者はともかく尖ったとか言ったの誰だ」


気に食わなかったらしく憤ってる彼は拳を握っていた。
普段粛々としているくせに琴線に触れると烈火のごとく怒りだし、害されればその報復に余念がない。
最近昔よりもそれに磨きがかかっているようだと知り、見かねて苦言を申し立てた。
こんな注意をするだけで丸くなってくれたならいいけど、多分無理なんだろうな。これが性分なのかそれとも弾けたくなるお年頃なのか。


「乱暴だから、で済まされているのだからいいでしょう。罪に問われるようなことはしてません」
「……それ計算でしょう」
「それが何か」

事を起こすなら後に来るものを考えて動くのは当然でしょうとしらりとした態度で受け流した彼を見て、はー…と息を吐いて項垂れた。
無鉄砲な行いはよろしくないと鬼灯くんは言うけど、いやそうなんだけどそうじゃないというか、計算して動いているというならもっとちゃんと丸く収めてほしいというか…
ああこれでも最低限丸く収めてるんだよね…じゃあ丸くじゃなくて出来る限り優しく円満に収めてほしいなあ。出来ないことはないけどしないのが鬼灯くんという子だった。


「なんかいちいち心配になるなあ」
「心配な所ばかり目につけるからじゃ?粗探しですよ。立派な所でも探してみたらどうでしょう」
「立派な所なんて沢山知ってるよ。だいたいは立派だから残念な所が凄い残念なの」
「あまり自分を立派だとは思わないんですけどね」
「自分で言ったくせに天邪鬼!」


彼の口達者さと頭の回転速度は立派だと思うのと同時に、本当に残念でならない。
いつ使い道を間違え妙な方向に突き進んでしまうのかも分からないなと考えると心臓が痛くなる。
しかしさっき彼が計算していると言った通り、きっと滅多なことは起こさない。
よくも悪くも賢い子なので心配するだけ無駄なのかもしれないけど、目の前で過激な行動を取ってる身内をみて無反応でいろというのも無理な話。


「…あまり遅くはなかったとは言いましたが」
「うん?」
「あなたこそ、危ないことはあまりしないでください」
「…どういう意味?」

これも同じく並程度には石橋を叩いて歩いているつもりだし、危ない火遊びなんてした覚えはないけどなと謎に思っていると。


「どうせ帰りはひとりだったんでしょう。ご近所に友人なんていませんから」
「ああ、そういうことかあ」

あまり遅い時間にひとり歩きをするんじゃないというお叱りだったようだ。
それなら納得…できるようで出来ない。
そこまで過保護に大げさに言われるほどこの辺りは治安が悪い訳じゃないし、とは言っても安全とは言い切れる訳ではないから気を付けて外を歩いているつもりだ。

出来上がったものを皿に盛って、鬼灯君は簡易的に作った食卓へと運んでいった。
それに倣って私も自分の分の食事を運び、せんべい布団の上に座る。


「いただきます」
「いただきまーす」

挨拶をきちんとしてから箸をつける。毎度のことながら鬼灯くんはいい食べっぷり。
お互い食事中でも構わずお喋りをするタイプで、そこからもテンポよく会話は続行された。

「思った通りあなた上手に育たなかったんですから」
「不出来みたいな言い方しないで酷い。ていうか思ってたの」
「腕っぷしも強くないし根性が足りない」
「根性っていうか鬼灯くんみたいな気概はないねえ、だいたいの人は」
「あなたのその反骨心のなさってなんですか」
「反骨心ありすぎてもちょっとなあって思うけど…」


テンポよく食べつつテンポよく会話する。
ああ言えばこう言うのはお互い様で、一度スタートするといかにくだらない話だろうと会話が途切れることはあまりない。

「つまり、気を付けて歩けってことでしょ?」
「はい」
「遠回しすぎない?」
「雑談ってそんなものでしょう。取り留めのないキャッチボールが永遠に続く」
「永遠でもないでしょ鬼灯くんたまに投げるよ」
「そうでしたっけ」

あまりないけど、たまーに会話が面倒くさくなると適当なことを言って逃れる悪癖がこの子にはある。翻弄される側にとっては辛い癖だ。
…うーん…長い間過ごすうちにお互いのいい所も悪い所も…立派な所も残念な悪癖も知るようになった。
こういう適当なやり取りも、そういう所を既にちゃんと知っていて、気心知れてるからこそ片手間に出来ることなのかもしれない。
…私達は仲がいいのかもしれない?
考え出すほど、昔のように「家族のように思ってる」とか簡単に言えなくなってきていて、それどころか距離感がまるで掴めなくなってきている。ゲシュタルト崩壊したかのよう。
こんなのは普通適当でよくって、いちいち考えなければそれなりに過ごせていたはずなのに、深く考えようとする鬼灯くんの思考のクセが移ってしまったかもしれない。


「…そういえば、もしかしたら明日は留守にするかもしれません」
「あれ、どこか出かけるの?」
「…まあ。決まってる訳じゃありませんけど」
「行きたい所でもあるのかな。うん、楽しんできてね…っていいたい所だけど…明日試験日だよ…」


私も出かけようと思ってたけど、でもなあ…とぼやきながら肩を落とす。
私は試験が終わった午後の頃にと予定していてることで、彼の態度を見るにおそらく中途半端にフケようとしているんだろう。
しらーっと何食わぬ顔をしている彼はとてもふてぶてしい。
私も私でそれを咎めるほど生真面目でもなく、彼を縛り付ける正義感もないけど、堂々とフケる彼に呆れるくらいには規則への忠実さがあった。
結局見逃すならどっちもどっちなんだろうな。どんぐりの背比べ。
じゃあ明日は忠告通り、危ない人には出くわさないよう、気を付けながら歩こうかなと考えながら二人で手を合わせてごちそうさまをした。


「……家族なんですから、」
「…え?」
「家族、なんですから。心配くらいはします」
「……ええっ」
「…なんで驚いてるんですか。これ言ったのあなたでしょう」
「…そ、そうやって認めてくれると思わなくて」
「認めます。お互いが認め合いました。私たちは家族になりました。…これでいいですね?」
「ね?って聞かれてうん!って頷けるほど柔軟じゃないよ」


──この時の彼には、虫の知らせでもあったのかもしれない。
だから固い表情と硬い声でぎこちなく、こんなことを言ってみようかと思い至ったのかもしれないと、後になってから気付かされることになる。

この時はただ嬉しくてくすぐったくて、にこにこと笑いながら、ぱしぱしと相手の背中を叩いては叩き落されるというのを繰り返しをして、はしゃぐだけだった。

2018.11.27