第二十二話
2.あの世砂と洞窟
黄泉へやってきてから暫く経った。
もうそろそろ不慣れなことも減って(人間と鬼の価値観の相違には慣れないけど)、暮らしに順応できてきた。
その日暮らしの生活という綱渡りのような境地からもある程度脱して、衣服や装飾品やらをちまちま作って対価を得たり、魚やら果物やら収穫してある程度の貯蔵も出来て、まあまあ安定した暮らしを送れているはず。
しかしそれでも洞窟暮らしからは脱出できないままだった。
細かな銛やナイフなどは岩を削り自分で精製できても、家までは建てられない。
幼い子供にそんなスキルは備わっていないし、体格的にキツい。
たまに烏頭くんの家で鬼灯くんが捕った魚を渡すのと引き換えにご飯を頂いたりしながら、細々洞窟暮らしを続けていた。


「鬼灯くんお魚捌くの上手だねえ」

捕ってきた自分の身の丈よりもある魚を手際よく捌いている姿を遠くから眺め、しみじみと感心した。
よくもまああんなにテキパキと出来るなあ。
私の声を聞いて、鬼灯くんはちらりとこちらを振り返る。

「必要に迫られたら上達もするでしょう」
「私は上達してないよ」


威張って言うことでもないけど、繕うこともできない事実なので胸を張り笑顔で言ってみた。
予想通りの呆れ顔を見せてくれた鬼灯くんは淡々と魚を解体していく。
あんな大きな魚を捕れる鬼灯くんも凄いけど、こんなのがゴロゴロ泳いでいるここら辺の川も中々凄い、偉大だなあ。
日々山に、自然に、川に、水に色んな恩恵に与っている私達はその有難さに日々拝まなきゃいけない。

「今更怖いということもないでしょうに、なんでなんだか」
「前は怖かったけど…必要があるからねえ。慣れたよ」


生き物を自らの手で捌き頂くということに抵抗ありまくりでぼろぼろ泣いたこともあった。しかし私も感謝は薄れなくても、鬼灯君の言う通りに慣れは生じてきている。
それでも何故だか綺麗に上手くはできないんだけど。お互いの得手不得手を理解しているので、こういうのとか、薪割り水汲みなどの力仕事は怪力の鬼灯くん担当で、もっと細かい下処理加工選り分けなどは私という風に役割分担ができていた。

「終わりました。今日の分はおしまいです」
「ありがとう、お疲れ様。私はもうちょっとかかるかな」


手元にあるまだ形になっていない首飾りを明かりで透かし、目を凝らしてみる。
現代にあったとしたらざっくりとした素朴な一品だと思われるこれも、この時代であれば華美で細やかなものと認識される。材料は山に生えている草花蔓や木の実などを加工しているだけなので元手がいらない。まあまあいい食い扶持稼ぎになっていた。
近くにやってきてしゃがみこみ、その作業を眺め出した鬼灯くん。何が面白いのかわからないけど時折こうして手元をじっと観察してることがあった。
そのまま時間が経ち、そろそろ今日はこのくらいで終わりにしようかなと伸びをした時だった。


「…なんか音が聞こえない?」

ふと気が付いて疑問を口にすると。


「ここだ!」
「やれ!」
「あ」

わいわいと洞窟の外から沢山の人の声が聞えたかと思うと、あっという間に洞窟の入り口が塞がれた。
もしかしなくても外の人が意図的に塞いだのとすぐ理解した。とことこ短い足で歩いて近くに寄ってぺたぺた触れてみると、それは大きな岩なんだとわかる。


「こんな大きなのどこから…どうやって運んできたんだろうね」
「もっと言うことないのか」


怒りに燃え上ってる鬼灯くんが青筋を立てながら言う。
そんなことを言われても怒りよりも感心の方が先に来てしまったんだから今更仕方ない。
犯人はここら一帯で幅を利かせている大人たち…の子供だろう。やいやい騒いでいた声がどれもこれも幼かった。
時折こうして悪戯嫌がらせなどを受けることがあったので、これもその一環なんだろうな。

「だって…なるようにしかならないよもう」
「…閉所恐怖症とは程遠いですね」


かつてない程に苛立ち殺気立っていた鬼灯くんも少し気が抜けたようだった。
緩んでる人が傍にいるとその緩みが伝染したりしなかったりするものだ。
しかし拳に力が入ったままの鬼灯くんは一度全力で憎しみをぶつけるように岩を殴った。


「…ビクともしない」
「こんな大きな岩だしねえ」


小さな石の積み重ねという訳でもない、圧や振動でガラガラ崩れることもなかった。
絶対絶命、子供なら泣いちゃうようなシーンなのかもしれないけど、程度の差はあれこういう嫌がらせもなんとか工夫をしていなしてきた。だとしたら今回だって工夫をしてどうにかこの大岩を退けるしかない。
洞窟内をきょろきょろと見渡す。灯してある火もいつかは消えて真っ暗闇になってしまう。食糧だって尽きるだろうけど、洞窟内サバイバルには慣れていたので、肉体的にも精神的にもあまり緊迫することはなかった。
だけど鬼灯くんはそうでもないようだ。

「ちょ、ちょっと待って!なにしてるの!」
「止めないでください」
「止める止める絶対とめるから」


拳で殴るだけでは飽き足らず、岩に頭を打ちつけ出していた。
頭というか額。額というか角だ。鬼灯君は黄泉にきてから額に一本角が生え出していた。私は髪の生え際あたりに控えめに一本生えているだけなので普段は前髪に紛れて存在感があまりない。男女でその大きさに差が出るみたいだった。

私とは違って割かし大き目な角で岩に打ちつける、削る、抉る、叩く、割る。強烈な破壊衝動に駆られている。
憎しみと怒りに駆られ一心不乱に障害物を退けようとする姿には狂気が滲み出ていた。

「岩がどうにかなる前に鬼灯くんがどっか怪我しちゃうでしょ、やめよ」
「いいえ岩がどうにかなるのが先です。私がぐちゃぐちゃになるより前に砂になります、いや絶対砂にする」
「その自信はどこからわいてくるのー…こわいこと言わないでよ…」


一生懸命服を掴んで止めようとするけど、止まってくれる様子はない。
確かに少し打ちつけただけで表面だけだが岩はガリッと削れていたし、彼の角と彼の力はとても強いようだ。
雨垂れ石を穿つというし、いつか、いつかは壊せるのかもしれない…けどなあ。


「閉所とかより、そっちの方が精神的に来る…私の方が痛くなる…」
「目でも瞑っていればどうですか」
「頭でガンガンやってる人がいる空間じゃ怖くて寝れないよ…」


鬼灯君自信は怒りで痛覚が麻痺してるのかも知れないけど、見ているこっちは痛くなってくる光景が広がっている。
そもそもさっきからきょろきょろしていたりあちこち洞窟内を徘徊していたのは、この岩をどうにかしようと考えていたからだ。寝るつもりはない。
大きな岩に小さな岩を打ちつけても負けてしまうだろうし、ちいさな身体で木の枝を振り回しても力が足りないし鬼灯君ほど怪力じゃないし枝が負けるだろうし、何かないかなと。

「ねえ鬼灯くんコレは使えるかもよ、どうか…」


な?と続けようとした所で、彼の額から血が滲んでるのを見てふらりと気が遠くなった。
まあそうなるよねえ。岩より肉体の方が脆いね負けるね。角折れちゃわないかな大丈夫かな。
無言で彼の腕を引いて再び止めようよアピールをしてみたけど無言で首を振られるだけで、彼の衝動は弱まらない。
はいはいわかりました…私もそこまで言うなら止めないよと諦めた。
鬼は頑丈だし、これでも私も人間の頃よりは頑丈になってる。怪我はしてもこれだけじゃきっと死ぬことはない。
…いやもう私達は死んでいるのだけど、だからと言って身体があり心臓が鼓動し血が巡り息をしている状態が「生きてる」以外のなんと称していいのかもわからない。
実際の所はどうあれ、私の中にある基準で測れば、私という物は相変わらず「いきている」。
だから明日からもいきるために、どうにか諦めず根気強く脱出を図らねばならない。


「じゃあ、この辺りにヒビ入れて脆くしておくので…」

この辺からどうぞーと促す。
恨み憎しみ怒りストレス衝動の緩和発散になるかもしれないとこの狂気の行為をポジティブに捉えようとした。
廃棄されていたガラクタの中から拾ってきた物の中に、鉄製の棒があって、それをどうにか打ちつけながら表面から削り砕いてヒビを入れる。
雨垂れ方式でやれば一ヶ月二ヶ月…一年もあればきっと開通するに違いない。

頑丈な身体なら短期間断食しても死なないだろうと、長期で見積もっていた私の予想とは裏腹に、この岩はわずか五日で破壊されることになる。



「オーイ」
「オーイ鬼灯ー名前ーケガでもしたのかー」

外から蓬くんと烏頭くんの声が聞えた。数日顔を見せない友人を気にして訪ねてきてくれたようだった。


「アレ、つーか洞窟の入り口ってこの辺じゃなかったっけか」
「もしかしてこの中にいるんじゃ…」


異変に気が付き、動揺しだした二人。
大丈夫だよーと仲から声を上げようかと思ったけれど、別に大丈夫と言える状況でもないので口を噤む。
閉じ込められたのも一大事だし喉も乾いたしお腹も減ったし、けれどそれよりどれより何よりももっと大変なことがあった。


「オイ聞こえるか!?待ってろ今大人たちを呼んで…」

烏頭君が言い切る前に、ビシッと不吉な音が木霊した。
そこからガンゴンと何かを打ちつけるような音が響き渡り、岩の欠片が辺りに四散した。
それと同時に洞窟内に外からの光が入り込むようになり、久々の刺激に目が眩む。

「…オマエ…岩を頭で殴り続けたのか…五日間も…」
「…角…大丈夫か…?あと心も…」
「岩は砂です、根気強く力を与え続ければいかなるものもいずれは砂になるんです。いかなるものも…」


目を擦っている間に鬼の形相をしている鬼灯くんと対面した蓬くんと烏頭くんは、かつてないほどドン引いた顔をしていた。
引き+恐怖交りの目をしている。顔色が悪い青い。
いくら分かり合った友だちだろうと、こんな姿を見せられればあの岩のように何か別のものもガラガラと崩れかけるのも無理はない話。
意味深に二度言葉を繰り返し強調した鬼灯くんは私も怖かったし、光の下でみる血だらけの彼の姿は禍々しくて悲鳴をあげそうになった。火も消えてしまった暗闇では気付かない惨状だった。
しかし先行した恐怖より一歩遅れて痛々しさも感じられるようになったので、一度洞窟内に撤退して手ぬぐいを引っ張り出してきた。

「…よくコレと一緒で五日間耐え抜けられたな…」
「なんかすげえよお前…」

興奮覚めやらぬというか怒り心頭覚めやらぬ鬼灯君の額の血を黙々と拭った。
そんな私を視界に入れて、二人から素直な称賛が出たけれど、その声は固く小さくて引いている。私は角でガンゴンやってないのにもらい引きされてしまった。悲しい切ない虚しい。

二人と鬼灯くん(と私)の間に心の壁が出来ることはギリギリなく、友人のために怒ってくれた。この所業はあんまりだと言って、直談判に出よう、いや人海戦術を使ってくるヤツらをあらかた散らそう、などなど三人で作戦会議を始めた。
私は喧嘩をするときはこういう輪の中に入れてもらえず、かと言って仲間外れなんてひどいと言って加わろうとする事もなく、外から見守るだけ。
落とし穴がどうのこうの造るための知恵と小細工は少しくらい提案はできるだろうけど、そもそもやり返そうという反発心がわいてこないからここに参加する資格がない。
腕っぷしがある無いの前に、精神面がまったく荒事に向いてなかった。閉じこめられた時の自分の反応を振り返ると改めてそれを痛感する。


「いってらっしゃい、…あー…ほどほどにね…」
「ほどほどならいいんですね」

へえと一言言って、鬼灯くんは蓬くんと烏頭くんを連れだって行ってしまった。
止めることもなく素直に手を振る私は争いには向いていないけれど争いを忌避することもない。
そのどちらつかずな精神を指して呆れたような見られるとなんだか…ぐさっと刺さる。
どちらつかずで居ることが悪だとお互い思っている訳ではないけど、
蓬くんも半笑…いや苦笑していたし烏頭くんもケラケラ笑っていたし、罪ではない。糾弾はされていない。
だけどよくわからない流れ弾を食らった。


「…半殺しくらいで済みますように…」

蓬くん烏頭くんのことは心配していないけど、鬼灯くんがいつか何かしらを砂に変えてしまうのではないか心配だった。

2018.11.18