第二十話
2.あの世一度目
──「ほしい」と思った瞬間を覚えている。

反射的に手が伸びるように、自然と目が追うように、眩しくて目を細めるように。咄嗟に逃げるものを追いかけた自分がいた。
無意識に身体が動き、そのあと一瞬遅れて自分の中にわき出た衝動を自覚するのでした。




「…あ」
「ああー…」

遠くで小さな鬼2人が、枯れ気味の木の下で顔を付き合わせているのが見えた。
側からみると一つのオモチャを順番こで遊び、仲良くしているようにしか見えなかったけれど、少し近くに寄ると実は喧嘩をしていたんだということがわかった。

そのうちお互いが木彫りのオモチャを引っ張り合い、綱引き状態に陥り、どちらか一方の手に渡る前にバキンと壊れてしまった。
それ唖然と見下ろしたあと、どちらともなく泣き出します。
対面している二人の間、土の上には細かな木片だらけ。最早どうにもならなくなったオモチャを挟んで喚くのです。


「泣くらいなら何故あんなことを」

パッと見ても簡単な造りをしているとわかる品です。
譲らなければ壊れてしまうだろうことは最初から分かっていたでしょうと当たり前のように私は思っていた。
それに途中まであのオモチャを二人して乱雑に投げて遊んでいたのに、あんなにどうでもよさそうに扱っていたのに。
夕暮れ時、帰り際になって鬼の片割れが持ち帰ろうとした途端にああだ。馬鹿馬鹿しいと心底呆れました。


「一度手から離れたから、いい物だと思っちゃったんだろうね」

私の疑問には隣にいた彼女が苦笑しながら答えてくれましたが、そんな表情をする理由がよく分かりません。
その答えを聞いても彼らの心理さえよく分からないままでした。
彼ら二人がいいな、欲しいなと思ったから奪い合いが始まったことは明白です。
そういう大筋はわかっていても、彼女の表情が物語っていたことや、突然移ろった彼らの心境、そういう細かなものは分からず終いでした。

──ああそうか。そうだったんですね。ふとした瞬間、彼らは思ってしまったのでしょうねと今更になって悟るのです。



「ごめんね」


こちらと明確な線引きをしてくる彼女をみて、まずはじめに「ゆるさない」と思った。その憎悪に続くようにして「ほしい」と渇望する心が芽生えたことを憶えている。

自慢ではないが彼女に頼られている自覚はあった。孤児同士肩身を寄せ合って生きてきた。
依存と言えば聞こえが悪いけど、助け合いと言えば美談になる。
彼女は変な所で道理を知らなくて、困っているのを見つけては私が助け舟をだし、彼女はそれにホッと安堵するのだ。
私はそれが満更ではなかったのかもしれない。
こうして突き放し壁を作られ苛立ったのかもしれない。
単に生意気だと思ったのかもしれません。
我ことながら、そういう細かな心の移ろいまでは把握しきれませんでしたが、大きなものだけはわかります。

──ほしい。ゆるさない。

「…許しません」


確かめるように衝動を口にしてみると、その声色は案外あっさりしていて怨念や責めの色は感じられません。
彼女は何がどうなったのだと困惑気味にこちらを見ていましたけど、私自身も困惑していました。

──ほしい。

私の頭の中に言葉が浮かんできます。声が響きます。他の誰でもない、自分の聞き飽きた低音が反芻します。
彼女は私が人間として生きたあちらから持ち越した唯一の縁ある”もの“であり、いつの間にか自分の傍にあるのが自然になっていたものだった。
しかしこの瞬間、ほしくなったのでしょう。
自分の無意識からわいて出た素直な叫びを聞いて、すとんと納得しました。

──共ににあるのが自然なのではなくって、自分の傍にあるのが当然の事にしてやりたいと願った。
そこにあるだけだけなら話は違った。
しかし離れて行こうとした途端追いかけ繋ぎとめようとするその姿はまるで、オモチャを取り合っていたあの子供達のじたばたみたいだと、他人事のように感じていた。
別段価値もないような、明日にでも興味をなくしてポイと捨ててしまうような物を醜く奪い合うのです。
物に価値があるから奪ったのではなく、まるで奪い合うことに価値を見出しているかのような姿でした。
今の私はあの日目撃した彼らとそっくり同じことを繰り返している。
相手に取られてしまうと思うとなんだかほしくなって、どうでもいい物を必死で手繰り寄せる、そういうことだったのです。彼女はそれに呆れて苦笑いしていたのです。
その時は馬鹿馬鹿しいと眺めていただけでしたが、今初めて彼らの気持ちが理解できました。

私は身体も心もまるで子供で我儘で、逃げようとする彼女に無意識に、反射的に"執着"したらしい。
離れて行くのが許せなくて咄嗟に手を伸ばしてしまった。
今まで助け合ってきた彼女に友人として、腐れ縁としての柔らかな情がないとは言わないけど、
そういう純粋な気持ち以上に今、一気にどす黒い執着の方が上回ったのを感じていました。
白は黒の勢いには勝てない。その二色に優劣はなかったとして、支配の速度と苛烈さだけは劣ることはないのだと自分は知っていた。


「なるほど」


自分はまだまだ幼稚なんですねとひとり頷く。彼女は未だ困惑したように眉を下げていた。
しかしまだ腑に落ちないところもある。今までのは例え話であって、彼女は決してどうでもいい…明日には忘れるようなガラクタではない。
壊れやすい無機物ではなく、意思あるものなのです。

では私はガラクタでもオモチャでもない"何"に逃げられて、何が許せなくて。
何がほしいと思って手を伸ばしてしまったのでしょう。
どうも私は形にして結論を出し区切らないと気が済まない性質のようでした。


「あのー鬼灯くん…」
「…」
「付かぬことをお伺いしますがー」
「絶対に嫌だ」
「そこをなんとか」

そんな頃、どうしようもない魂胆で彼女がずるずると這いながら近づいてきました。
半分はおふざけでとはいえ、半分は肉体活動の維持のため必要に迫られている行為なのですから、無碍にすることもできません。
暖を取るというのは生き物にとって必要なことでした。鬼にもそうです。

「えへへ、やっぱりあったかい」
「…」

必要なことだと許容しつつも、今の私はそれこそ鬼のような形相をしているに違いありません。
ぞんざいに抱き枕のように扱われ、身動きが取れず、拘束された状態でいるのは苛立ちが募る。
暖かくなれば彼女だけではなく双方ともに利が得られるのだとわかっていても、理屈だけでは耐えられない。
…いったい何がどうしてこんなことになるのでしょう、なってしまったのでしょう。始まりはあの冬の日から。
生活を送るための必需行為だと割り切るための努力も必要なのでしょうか。


「…これって、どうなんでしょうね」
「なにが?」
「サクヤ姫とニニギ様、お会いしたでしょう。彼らは恋人で夫婦で母と父で、子を産みました」
「うん」
「男女がこう密着してやることと言えば、種を植えつけることなんじゃないですか」
「…え!?」
「私はあなたとの間に恋情が芽生えたなんて露ほど思わないし、子がほしいとも思いません」
「そ、それはそうだよ」

この幼さでまさか、結婚願望や子をこさえる願望なぞ早々抱きません。
でもしかし彼女は赤の他人なのです。知人以上友人未満腐れ縁以上の得体のしれない誰かです。
それでこんな密着するのってどうなんでしょう。私はまだ幼く物事に白黒ハッキリつけずにはいられずにいて、行為に理由を求め続けました。
単純に観察すること、考え事をするのが趣味だからということもありました。


「あなたは私の家族ですか、きょうだいですか、友人ですか、好き同士ですか?
もしもあなたに何か爪痕を残してやりたいと思ったとして、きっとソレはそういうことではないはずなんです」
「……」

彼女はしんしと押し黙ってしまいました。
淡々とあれこれ疑問を述べて分析すること、考えることをそれなりに楽しんでいたのですが、彼女は気に入らなかったようです。

「…鬼灯くん、あのね」
「はい」
「前に私には理想があるって言ったよね」
「ああ、言っていましたね」


意を決したように彼女は告白しました。

「…──私は、あなたと家族みたいになりたかったの」
「…それがあなたの理想?」
「そうなの」


彼女は、秘密にしようとしていたソレを引き当いに出すほど私の発言を問題視したようです。
かぞく。私にとっては違和感の塊のような三文字です。
小骨が引っかかったような気持ち悪さを感じます。サッと取り除けば楽になれるはずですが、いつまでも異物感が抜けきりません。
この言葉は私にとってそんな不思議を感じさせるものでした。

彼女はそれに抵抗感も異物感も懐疑心も何もなく、すんなり飲み込んでこの関係に「家族」という名前をつけることを望んでいるようでした。
私と家族になになりたい?酔狂なことを言いますねと半ばあきれていたのですが。
──ああ、これはいいなと。思い至ってしまったのです。


「その…そういうことをする夫婦も家族だけど、きょうだいだって家族だし、血の繋がりがなくても家族にはなれるし、…なんていうか、そういうのは繋がりで証明されるものじゃなくて、そう思えるか思えないかの話なんじゃないかな」
「…あなたは、私のことを家族のように認識してるんですよね」
「うん、そうなの。鬼灯くんは怒るかな。…でも鬼灯くんも家族みたいって感じてくれたらちょっと嬉しいな」

幼い子供を諭すように言います。そういえば夫婦に会いにいった時、幼い子供に聞かせる内容ではないと言わんばかりに青い顔をして震えていたことを思い出しました。
彼女はあくまで私を子供として扱い諭し包容しようとして、それでいて自分自身も子供として認識され、庇護されることを望んでいました。
矛盾していて、とてもわがまま。この子はそういう子です。
幼い子供の耳を塞ごうと、幼い子供の風貌で必死になっていました。

──言質はとりました。ではそうしましょう。
私は彼女に逃げられるのが癪だと思っていて、どうにかして繋ぎ止めたくて。
ならば私にはあまり理解しきれないその枠組みで捉えて頂いてそれで結構、いえ大変都合のいいことです。


「……なるほど」

もう一度私は頷きました。




「お前らって仲いいよなあ」
「そりゃあ家族だもんな」
「え?友達だろ」
「いやいや二人で暮らしてんだからさ」
「年一緒じゃん」
「年とかそういう問題か?」
「……仲がいい?」


何のことを言われてるのかわからず眉を寄せましたが、すぐにその意図に気が付いてその先の言葉を紡ぐ。

「…あの子は…なんなんでしょうね」
「ええー…まさかただの知り合いとかいうつもりじゃないだろうな」
「知らない人とか言ったらさすがにカワイソーだぞ」
「……そんなことは言いませんけど」


じゃあなんだ?と問われると答えに詰まりそうになって、はっとしました。
そう言えば私はつい昨日、あの子と理想の在り方を語ったのです。
だからと言って「家族なんです」と友人に対して口にしてみるのも少々抵抗があり、発言を躊躇いました。

「お前がそういう風になるの珍しくないか?」
「鬼灯はあれだ、打てば響くって感じするよなあ」
「それは褒めてるんですか?蓬さん」
「褒めてるよ!…よくも悪くも即反応即行動っていうか…」
「やっぱり褒めてまんせよねえ」
「いいじゃん即反応即行動」


ケラケラと笑う烏頭さんも慌てる蓬さんも、私たちが名前がつかない関係性でいることに疑問を抱くことはあっても、心底気がかりという訳ではないようで。
恐らく名前をつけて解明したがっているのは私だけなのでしょう。
あの子は変に柔軟だから、そう表すことに躊躇いはなくて、隠そうとしていたのは私への配慮だったんでしょう。
──私は考えることをやめません。追及することをやめません。
私は逃げる彼女に手を伸ばしてしまった。一瞬でも許せないと、ほしいと思ってしまった。
確かな執着を覚えてしまったのですから。何故?と考えることをやめられませんし、手放すことなどありえません。
自分がこう…悪い風にいえばしつこく諦めが悪い、よく言えばコツコツやる凝り性なことを知っています。そういう性分なのです。

この時の私は幼いのが手伝って、ずいぶん我儘で大人気がありませんでした。
一度芽生えてしまえば、抱いてしまえば、飽きたと言って早々手放すことはないだろうと自分自身をわかっていたのでした。

2018.11.17