第十六話
2.あの世

ぷにぷにとした小さな手で針をもつのは大変なことだった。
そもそも縫うのは大人が着ることを想定したものばかりで、身の丈よりも何倍もある布相手に悪戦苦闘する日々はとっても疲れる。
それでも何週間かして完成して、それを求める誰かがいて、対価を得られたときはすべての苦労が報われた。
鬼灯くんも物々交換などで巧みに糧を得ていて、二人して幼いながら寄り添いつつ自活していた。

しかしいくら強かに生きていようと、私たちは親が恋しい年ごろだった。
その上、親の腹から生まれ当然のように親に守られてる子供を見ると、羨みや妬みという気持ちが自然とわく。

私は中身が中身なので、恋しさよりもいいなあという羨望の方が大きかったけれど。
彼はどうだったんだろう。愛を受け取ったことがない、保護を受けたこともない。
先天的な器用さと大人びた強かさで今を生きているけど、
それがなければ蹲って泣いて動けなくても仕方がなかったと思える。
愛されること守られることを理解していない。ずっとひとりで自分を養い守ることが当たり前だった彼はどう感じる?


「いきましょう」
「うん」

ぼーっと考えごとをしながら親子を眺めていると、私の視線が向かう先に気が付き、見かねて世話を焼こうとしてくるこの子がかわいくて仕方ない。
鬼灯くんは何喰わぬ顔で私を促している。さっきの背中を寂しそうと思ったのは私の勝手で、実際のところ親への恋いしさや羨望が彼の中に存在していたのかはわからない。
しかし優しい子だということは確かだった。
私の目には確かに親への渇望があって、その目を見た瞬間さっと行動を取った鬼灯くんはとても出来た子だ。



「やーいみなしごー!」

幼い子供のからかい声が聞えた次の瞬間、ごつっと鈍い音が響く。重い物がどさりと倒れ込む音がそれに続いた。
鬼灯くんがやんちゃ坊主のからかいの報復のため殴り掛かったのだということはすぐわかった。
親なしのみなしごだということは、色んな意味で足かせになる。
庇護してくれる誰かがいないことはもとより、偏見やいじめの対象となり、弱くて体のいものだとして悪意が集中しやすくなる。
丁度孤児のよそ者として生贄に選ばれたように、そうという事実だけで私達の首を絞めてくる。やっぱり親がいないと楽じゃない。
親がほしいなあと実も蓋もないことばかり考えてしまう。
幼い身体が恋しさから求め出したのか、大人びた精神が楽をしたいなあと堕落しはじめたのか区別がつかない。
鬼灯くんは…恋しいと思うよりも恨みの方が強くなるのかな。
気が強いと言えばいいのか、彼の報復の躊躇のなさからもその苛烈な性根が伺える。


「恋しさなんてありませんけど」

悶々と悩んでいるのも腫物を扱うようにしているのも嫌なので、直に聞いてみることにした。
するとさっぱりとした答えが返ってきて、納得したような腑に落ちないような気になる。


「そういうものかな。憧れもない?」
「しいていうなら興味はあります」
「興味…?どんな?」
「蓬さん烏頭さんが、母の方が父よりも強いかもと言っていましたよね。性別ではないと」
「ああ、そうだね」
「でもあなたは女性らしくか弱いでしょう」
「…」


そのか弱い、の言葉に弱いものを気遣う優しさとは別な含みがあるような気がしてならない。
とりあえず頷く。

「母は強しって言うじゃないですか」
「うん、そうだね」
「性別関係なく、父母という立場が彼らを変えるなら、いったいどういう巡りで彼らはそうなるのだろうかと。興味はありますよ」
「あーそっかあ…」

なんだか納得した。恋しさも恨みも執着もなく自分とは切り離れた所にあるものを観察するだけ。
彼はよく分からない所に反応してよくわからない興味を示してどんどん深堀していく、そういう節があった。
将来が不安になりながら同時に楽しみだと思えるような素質があるなと私は日々どきどきハラハラしていた。


「あなたは」
「うん?」
「あなたは恋しいんですか」
「恋しいっていうか、ほしいなあ」
「ほしいんですか」
「うん」

はて、なぜ?と首を傾げた鬼灯くんに訳を話そうとして、しかし話せないことに気が付いた。自分でわからないことを他人に説明できない。
私も頬に手を当てうーんと考え唸った。


「恋しくもあるし妬ましくもあるし今更いらないなあとも思うし寂しくもあるし、すごく悩む…」
「ごっちゃごちゃですねえ」
「そう、ごちゃごちゃなの…複雑な心境って所かなあ」
「へえ」


聞いてきたくせに興味がなさそうで随分乾いた返事が返ってきた。

「いたら楽にはなるよね、心も身体も」
「楽」
「楽。…は違うかな、満たされるよねえ?」
「聞かれても困る」
「あーもーこういう感じ」
「どういう感じ」


うだうだと取り留めのない応酬を繰り返すうちに、我が家が見えてきた。
我が家と言っても何の変哲もない洞窟である。
黄泉にきてからも相変わらずのサバイバル生活を続けていて、穴蔵生活に慣れてしまった自分がいる。安心感さえ抱くくらいだった。冬籠りするだけではない、雨風をしのぐだけではない、ここが定住地だ。


「ただいまって言うでしょう?こういう時」
「家に帰った時は、そうですね」
「そういう時、おかえりーって言って出迎えてくれる人がいたら、どういう気持ちになるのかなあとか安心するんだろうなあいいなあとか、色々悶々と考えなくて済むよねきっと」
「だから楽か」
「そうなの」

それでなんとなくは納得してくれたようで、すっきりした顔をして中に入る。
私も後に続いて入る。当然鍵がついてるはずがないし防犯なんて紙のような家、しかし愛しい我が家。


「ただいまーって疲れて帰っても、自分でご飯作らなくていいし」
「そこはその家によるでしょう」
「よくあるお家想像したらそんな感じ」
「まあそうですね」


抱えていた籠からザバッと中身をひっくり返す。山菜と野菜が顔を出して、それを手分けして皮を向いて芽を取って根を切って調理前の下ごしらえする。
これが細々としていて面倒臭いったらない。


「未来には24時間そこにありあらゆる苦労から私達を解放し楽をさせてくれる、そんなものも登場することでしょう。待ちましょう」
「えっ!?なんで!?」
「待てもできないのかあなたは」
「そういうことじゃない!?」


知らないはずの遠い遠い未来を確実に先見した鬼灯くんを見て私は震えた。
この子には秘められたとんでもない何かがあるに違いない。それはわかっていたことだし、周りもなんとなく予感はしているかもしれないけど、
予想より遥か遠く斜めをかっ飛んで行る才なのだとこの時代で私だけは正しく理解していた。とても怖い。もうこの子の前で下手なこと言うのやめようと思った。読み取りの精度高すぎるうわあ。


「なんでそこで泣くんです。楽できたらうれしいんでしょう?苦労からは逃れたいですよね」
「うぅ…そういうことを言うからだよ…」


幼い私の身体は複雑な心境を上手く中和することができず、ぼろぼろと涙に代えて外に放出することで均衡を保とうとしていた。
大人びているも先を読むのも大概にしてほしいのだ。
この賢さがこの子の盾になることを喜ぶべきか末恐ろしいと震えるべきか迷った末に泣いてしまった。
心中で消化できない二つがせめぎ合いになった時、子供はこうして言語化できず泣いてしまうんだろうなと身を持って体験する。


「邪魔になるのでどいててくれませんか」
「ひどい鬼」
「鬼です。そしてあなたも鬼」
「もういやこのばかめ」
「馬鹿め」


食事の支度をするにあたってお前は既に役不足なのだと切り捨てられたので、捨てセリフを吐いて逃げたら面白おかしそうに復唱された。
鬼畜じゃないか。


「そんなだからあなたは泣き虫とか弱虫とか散々言われるんですよ。シャキッと殴りかえすことは出来ないんですか」
「シャキッとはしてみるけどそっちは嫌だよ」
「チッ」
「なんでそこで舌打ちするのわかんない」


支度をほぼ済ませて食事を運んできてくれた鬼灯くんに向かい正座してから綺麗に頭を下げる。
所謂土下座というやつだったが図らずとも苦労から解放させ楽にさせてもらってしまったのだ、これくらいはしなくては。
くだらないことで泣いてるうちにあったかいご飯が出来上がりありつけるなんて極楽だなあ。ごめんなさいでした。


「時代の先取りって感じだなあ」
「何がですか」

黙々とご飯を食べている鬼灯くんは心底どうでもよさ気だったので特に返事をしないでおいた。
何がって言われたらインスタントご飯を食べているかのようなこの感覚とか(知らないまに即出来上がっていたので)、
親が世話を焼いてくれる時のようなこの温かみというか。

…今って西暦いくつだっけと考えてみて、すぐに数えるのをやめた。前の私の便利な時代に追いつくためにはいくつ眠ればいいんだろうと指折り数えようとしたら、
果てしがなさ過ぎてだんだんと気持ち悪くなってきて、ご飯がまずくなってきたから。
そもそも遡ったんだよね、人間から鬼になったんだよね、鬼って一応死ないって言われてるんだっけ、寿命とかあるんだっけ。
もしも不老不死みたいな存在だったらやっぱりとんでもない年月が必要なんだウッと気持ち悪くなった。
やめようやめようどうしようもないよコレは、とその時はスッパリと思考を断ち切ったものの、この違和感はこれからずっと私に付き纏うことになる。
2018.10.31