第一話
1.生贄─死と邂逅
私にとって、生きることは何よりもムズかしく、何よりも楽しいものだった。
「明日死にます」と言われても驚かない。今すぐ死ぬわけじゃないけど、でも長生きをするのは難しい。
そんな曖昧なライン上で生きてきた私は、ついにそこからぐらりと落下したらしい。
人生リタイア、さよなら青春。
次に目を開けたときに視界に入り込んだのは朝焼けの空、その次に見えた子供みたいに小さい手。それを見た私は「その発想はなかった」とぐったり項垂れたのだった。
「私しんだの?今生きてるのに?…いや、死んだよ間違いないよ、じゃあなあにこれ?」
自問自答を繰り返して、なんとか仮初の答えを捻り出そうとする。そうしているうちに少しだけ焦りが緩やかになり落ち着いてきた。
答えなんか出たようで出てない、それでも少しはまともに周りが見れるようになってきたことを感じていた。
「わたし、やっぱり死んだのかー…」
再びがっくりと肩を落とした私は、何故こうも死という現実をあっさり受け止めてしまえるのか自分で自分が理解できないかった。
まだまだ実感がわいていないのかもしれない。こんなことに現実味なんて感じたくもない、悪い夢なら覚めてほしいとも思う。
しかしそれでも、この周囲に広がる荒野を見てぼーっと座りこんだままでいられたら困るよ私と一生懸命に喝を入れる。
このまま夜になればいったいどうなっちゃうんだろう、街灯の一つも見当たらないこんな場所では暗闇に飲み込まれてしまう。
そんな危機感はわいて出るものの、パニックが酷くあまりに疲労しすぎたのか、もうどうにでもなれーと心のどこかで自棄を起こしたのか、ぐらりと気を失いそうになる。
頭がくらくらして、目の前ハチカチカしていた。
あーもう馬鹿だなあこんなどこかもわからかないとこで眠ったらお終いでしょうに、起きてよ自分、起きなきゃ自分。でもどうしても起きていたくない、眠くて眠くて抗えそうにない。
いつまでもこれは悪い夢なんだと思っていたい。
どさり、と音を立ててついにその場に倒れこんだ。
腕を引かれた感覚があった。
私は今真っ暗闇の中にいて、目を瞑ったまま水の中に沈んでいき、それに抗おうとがむしゃらに泳いでいる。
早く上に上がらなきゃまずいという危機感は漠然とあったけど、とても疲れていて息も苦しくて、いつしかもがくことを諦めてしまった。
ただ揺蕩うだけになっだ私の身体がゆらりとどこかへと流れていく。
が、何かに腕を掴まれあっと思った次の瞬間には私は上へと浮上していた。
土の匂いがしていることに気が付きぱっと目を開くと、最初に視界に入ったのは鮮やかな昼の空の青。その次は見惚れるほど深い黒だった。
「…あの…」
口を開くと、私を見下ろしていた黒の持ち主…黒髪黒目の少年がビクッと肩を跳ねさせた。
何か驚かせることしたかな…。ぐったりと力なく倒れていた私は、最早息絶えているものだと思いこんでいたのかもしれない。だったらぱちっと目を覚ましたら驚くのも仕方ないかもなあとぼんやり考える。
「ここ、どこなのかな…」
上半身を起こすと、長い髪がするりと眼前に落ちてきた。私の記憶では”私“の髪は短くて、毛先が跳ねやすい頑固な癖っ毛だった。
さらさらと垂直に落ちるだけの髪をみて、ああやっぱり私は私ではなくなったんだろうと改めて理解する。
問いに対して何を答えてくれることはなく、彼はそのままササッと踵を返して行ってしまった。
答えてくれなくても、それでも起こしてくれただけでとてもありがたい。
…あのまま眠っていたらもう一度死んでいたような気がしてならないのだ。怖くて身震いする。
仮眠を取れたおかげで少し頭がスッキリしてきたようだ。
それでもまだ重たい瞼をこすり、降り注ぐ昼の太陽の光を身体に浴びながら立ち上がった。
そして。
「ああ、やっぱり夢じゃなかったんだなあ…」
肩を落としながら何度目かもわからない沈んだぼやきを繰り返すのだった。
風が髪をもてあそび、それはまるで私をけらけらと嘲笑っているみたいだと被害妄想を膨らませる。
気が付くと土の上に転がり知らない土地で空を見上げていたなんて摩訶不思議なことが起こるなんて、この世の誰が予想できただろう。
これは夢だこれは悪夢、もしかしたら目が覚めたら何もかも元通りになっているかもしれない…なんて逃避は仮眠の間に終了しいて、昼の陽を浴びながら私はそこそこに吹っ切れてきていた。
──私の名前は■■■■、xx歳。この度めでたく死んで、なぜか生き返りました。
今までのとは違う髪質や爪の形などの相違を見つけると、いやこれは生まれ変わりということになるのかなあなんて物思いに耽る。
「持ち物チェックー」
ポンポン、と腰回りや胸元を叩いて何も入ってないことを確認する。
今着ている質素な着物にポケットなんてついてるとは思えなかったけど一応見た。
そしてその時に改めて自分の胴回りの細さや手足の短さ、ぷにぷにの手の平を眺めて、改めて生まれ変わり説が強いなあと考察。
なぜ、どうして、ここはどこでどうやってなど理由根拠を探しても手がかりが見つかるはずもない。
「なんにも持ってないや」
がっくりと意気消沈して、でも落胆してても仕方ないなと顔をあげて歩き出した。慣れない履物に四苦八苦しながら進む。
建物もなく障害物がないせいで広すぎる昼空を見上げていると、嫌でも思い出す。
私がここで初めて目を覚ました時間帯はおそらく早朝。
──私が死んだのもちょうど朝焼けが綺麗な時間帯だったなあと、鮮明に覚えてる。
その神秘的な空気、煌めく空に溶け込むように死ねたことを美談だと思えばいいのかわからない。
さあこれからどうしようか、どうしたらいいんだろうか。あてもなく歩きながら改めて考えてみることにした。
縮まった身体はあまりに小さく脆そうで、箸も持て無さそうな頼りなさ。
見渡す景色はほぼ空の青、土の茶色、木の緑色の三色で構成されていて、緑豊かとか田舎や過疎地という言葉で済ませていいのか分からない自然で溢れていた。
「第一村人からは無視されちゃったし…」
前途が多難。「ここを右に○○キロ行けば××」なんて親切な看板が立てられている訳でもない。
しばらく歩くと転々と岩が転がっているのを見つけた。
大中小、大きさも配置も不規則になっているソレには苔がまとわりついている。
ヘンゼルとグレーテルのごとくその石を辿っていくと、誰かが腰かけているのを見つけた。
──黒髪のあの子だった。私を起こしてくれたあの子だ。
この場所から点在している民家を緩やかに見渡せて、ここは高い山のてっぺんというより、丘陵に近い場所にいるらしいと知る。
「あ、あのー…きみこの村…町…?の人なのかな…?」
「…」
素敵なタイミングで再会してくれた少年に声をかけると、ゆっくりとこちらを振り返ってくれた。黒い目がじっとこちらを見つめてくる。
表情も変わらず声も出さないから、何を考えているのか読めない。
「あの…もしもし…?」
「……」
「えっ無視!」
すると、思わせぶりにしておきながら彼は小さな身体をぴょんっと跳ねさせ岩から飛び降り、無言ですたすた立ち去ってしまった。
起こしてくれた時からつれないのはわかっていたけど悲しくなって硬直している私に、彼はこちらに背を向けたまま言葉を投げかけてくる。
「私は」
聞こえたのは、幼い風貌には似あわない、しんと落ち着いている声。
「この村のものでも、どこのものでもありません」
冷たく言いきって、彼はそのまま去ってしまった。
「…なんだ、違ったんだ…」
第一村人発見、これで手がかりを得られるかもと気分が上昇したのも一瞬のことで、彼も私と同じようにこの土地にゆかりもない部外者だったらしいと知らされた。
しかしでも、ノリで第一村人なんて言っていたのは私なんだけど違和感が浮き彫りになる。
「…町じゃなくてやっぱり村?」
どれだけ田舎の方にやってきてしまったんだろうなあと首をかしげた。
……いや、田舎っていうか…その前に、今どき着物を普段着にしてる人って少ないよね…
見慣れないから違和感ってだけなのか…?
彼も私も当たり前のようにまとってる和装。
その違和感の理由も、彼の言葉の意味も、私はそう時間もかからないうちに知ることになる。
短い足で集落まで歩いていき、「あのー」と通りがかった女の人に尋ね事をしようとすると、怪訝そうな顔で一歩引かれた。
え?と思っていると女の人はすぐ傍にある民家にいた夫らしき男を呼び出して、
こちらを指さしひそひそと内緒話をして少しすると、こちらへ問いかけた。
「あなた、どこの家の子?見たことないような気がするのだけど」
「ええと…どこの家の子でもありませんけど…」
死んで、目が覚めて、身体は元とは別人で、幼くて、薄汚れていて。森の中にひとりきり。恐らく親なんていないだろう。
彼女が訝しげにするのも無理はない。
…ああこれは田舎だとか過疎地どころの話じゃなかったんだなあ。
時代錯誤な規模と造りをしているこの集落なら、みんな全員の顔を覚えて交流できてるはずだ。
だから余所の子なんだと一目でわかっていたはず。確認したのは一応の形だけで、次の瞬間彼らは勢いよく敵意を剥きだしにして叫びをあげた。
石がぶつけられた瞬間走った痛みと共に、私は追いやられるような厄介者の私になったのだと自覚する。
そのまま逃げ続けても行く充てがあるはずもなく、そして小さい身体には体力もなくて、
日が暮れかけた頃また最初と同じ場所に戻り、猫のように丸まって寝た。
二度目の朝日を浴びても、現状は何も変わっていない。
──痛いほどに理解していく。現実を見ろと色んなことを突きつけられていく。
私は身体が強くない方で、でもなんとか日常生活を送れるくらいで、そこそこに生きてきた以前の■■■■ではなくて、「どこの誰でもない私」になったのだということを。
「あ、また会ったね、おはよ」
起きてから寝惚け眼でうろうろと徘徊して、やっと川辺を見つけて顔を洗っていると、同じようにしてしてやってきた彼を見つけた。
声をかけてもちらりと振り返り、また同じようにじっと見上げてくるのみ。
視線がかち合っているという訳でもないみたいで、どこか一点を見ていることに気が付いた。
「あ、これ?ちょっと色々あって」
私は頬にある傷を指でさす。昨日はなかったはずのこれが気になっているんだなとすぐに気が付く。
石を投げられましたなんて幼い子供に言う訳にもいかず、眉を下げながら言葉を濁した。
そのうち再び背を向け去っていってしまったので、ガーンとショックを受ける。
そんなに嫌いかなあ…特に何をした訳でもないのに初対面で嫌われるってほんとうに辛いなあ…
生理的に受け付けないってやつなのか…いや村の人たちはそれだけじゃないんだろうなあと顔をばしゃばしゃ洗いながら葛藤しているうちに。
「これ」
「…ん?」
「つけたらどうですか」
「え、えっ?なにこれ…いや、どうしたのこれ」
「あげます。…いらないなら返してください」
「い、いるいる、いりますいりますよっ」
隣に立ったあの子が、何か緑色のものを差し出してきた。
それは小さな葉っぱで、二、三枚小さな手のひらの上で束ね重ねられていた。
訳もわからず動揺しているうちに取り上げられそうになったので、理解しないまま奪うように受け取った。
手の中に納まったものをまじまじと見つめる。
つけたらどうですか?と言われたこれはもしかしなくてもそういう物なんだろう。
「心配してくれてありがとう」
「…別に、そんなことじゃ」
「痛かったからもらえて嬉しい。ありがとう」
「…何度も繰り返さなくていいですから」
「うん」
一枚を手で揉んで緑の汁が滲んだ頃、もう一枚の葉を蓋のようにして頬にぺたりと張り付けた。
傷に汁が染みてぴりっと痛んだけどこれは毒なんじゃなくて、良薬口に苦しと一緒なんだろう。
好意を素直に受け取るなら、これは治療のための薬草なのんだろうし。
ぷいと顔をそむけて、川の水をすくって顔を洗い出したのをまじまじ眺める。
自分よりも一回り小さい男の子だ。
土地勘があるみたい。だったらやっぱり村の子なんじゃないかと思うんだけど、本人はそうじゃないと否定してた。
集団に属さず山籠もりしてる子とか?私に優しくするのはどうしてだろう、ただの親切心か気まぐれなのかなあ。
独断で私に近づいてきて、この子が誰かに咎められないか心配になった。
1.生贄─死と邂逅
私にとって、生きることは何よりもムズかしく、何よりも楽しいものだった。
「明日死にます」と言われても驚かない。今すぐ死ぬわけじゃないけど、でも長生きをするのは難しい。
そんな曖昧なライン上で生きてきた私は、ついにそこからぐらりと落下したらしい。
人生リタイア、さよなら青春。
次に目を開けたときに視界に入り込んだのは朝焼けの空、その次に見えた子供みたいに小さい手。それを見た私は「その発想はなかった」とぐったり項垂れたのだった。
「私しんだの?今生きてるのに?…いや、死んだよ間違いないよ、じゃあなあにこれ?」
自問自答を繰り返して、なんとか仮初の答えを捻り出そうとする。そうしているうちに少しだけ焦りが緩やかになり落ち着いてきた。
答えなんか出たようで出てない、それでも少しはまともに周りが見れるようになってきたことを感じていた。
「わたし、やっぱり死んだのかー…」
再びがっくりと肩を落とした私は、何故こうも死という現実をあっさり受け止めてしまえるのか自分で自分が理解できないかった。
まだまだ実感がわいていないのかもしれない。こんなことに現実味なんて感じたくもない、悪い夢なら覚めてほしいとも思う。
しかしそれでも、この周囲に広がる荒野を見てぼーっと座りこんだままでいられたら困るよ私と一生懸命に喝を入れる。
このまま夜になればいったいどうなっちゃうんだろう、街灯の一つも見当たらないこんな場所では暗闇に飲み込まれてしまう。
そんな危機感はわいて出るものの、パニックが酷くあまりに疲労しすぎたのか、もうどうにでもなれーと心のどこかで自棄を起こしたのか、ぐらりと気を失いそうになる。
頭がくらくらして、目の前ハチカチカしていた。
あーもう馬鹿だなあこんなどこかもわからかないとこで眠ったらお終いでしょうに、起きてよ自分、起きなきゃ自分。でもどうしても起きていたくない、眠くて眠くて抗えそうにない。
いつまでもこれは悪い夢なんだと思っていたい。
どさり、と音を立ててついにその場に倒れこんだ。
腕を引かれた感覚があった。
私は今真っ暗闇の中にいて、目を瞑ったまま水の中に沈んでいき、それに抗おうとがむしゃらに泳いでいる。
早く上に上がらなきゃまずいという危機感は漠然とあったけど、とても疲れていて息も苦しくて、いつしかもがくことを諦めてしまった。
ただ揺蕩うだけになっだ私の身体がゆらりとどこかへと流れていく。
が、何かに腕を掴まれあっと思った次の瞬間には私は上へと浮上していた。
土の匂いがしていることに気が付きぱっと目を開くと、最初に視界に入ったのは鮮やかな昼の空の青。その次は見惚れるほど深い黒だった。
「…あの…」
口を開くと、私を見下ろしていた黒の持ち主…黒髪黒目の少年がビクッと肩を跳ねさせた。
何か驚かせることしたかな…。ぐったりと力なく倒れていた私は、最早息絶えているものだと思いこんでいたのかもしれない。だったらぱちっと目を覚ましたら驚くのも仕方ないかもなあとぼんやり考える。
「ここ、どこなのかな…」
上半身を起こすと、長い髪がするりと眼前に落ちてきた。私の記憶では”私“の髪は短くて、毛先が跳ねやすい頑固な癖っ毛だった。
さらさらと垂直に落ちるだけの髪をみて、ああやっぱり私は私ではなくなったんだろうと改めて理解する。
問いに対して何を答えてくれることはなく、彼はそのままササッと踵を返して行ってしまった。
答えてくれなくても、それでも起こしてくれただけでとてもありがたい。
…あのまま眠っていたらもう一度死んでいたような気がしてならないのだ。怖くて身震いする。
仮眠を取れたおかげで少し頭がスッキリしてきたようだ。
それでもまだ重たい瞼をこすり、降り注ぐ昼の太陽の光を身体に浴びながら立ち上がった。
そして。
「ああ、やっぱり夢じゃなかったんだなあ…」
肩を落としながら何度目かもわからない沈んだぼやきを繰り返すのだった。
風が髪をもてあそび、それはまるで私をけらけらと嘲笑っているみたいだと被害妄想を膨らませる。
気が付くと土の上に転がり知らない土地で空を見上げていたなんて摩訶不思議なことが起こるなんて、この世の誰が予想できただろう。
これは夢だこれは悪夢、もしかしたら目が覚めたら何もかも元通りになっているかもしれない…なんて逃避は仮眠の間に終了しいて、昼の陽を浴びながら私はそこそこに吹っ切れてきていた。
──私の名前は■■■■、xx歳。この度めでたく死んで、なぜか生き返りました。
今までのとは違う髪質や爪の形などの相違を見つけると、いやこれは生まれ変わりということになるのかなあなんて物思いに耽る。
「持ち物チェックー」
ポンポン、と腰回りや胸元を叩いて何も入ってないことを確認する。
今着ている質素な着物にポケットなんてついてるとは思えなかったけど一応見た。
そしてその時に改めて自分の胴回りの細さや手足の短さ、ぷにぷにの手の平を眺めて、改めて生まれ変わり説が強いなあと考察。
なぜ、どうして、ここはどこでどうやってなど理由根拠を探しても手がかりが見つかるはずもない。
「なんにも持ってないや」
がっくりと意気消沈して、でも落胆してても仕方ないなと顔をあげて歩き出した。慣れない履物に四苦八苦しながら進む。
建物もなく障害物がないせいで広すぎる昼空を見上げていると、嫌でも思い出す。
私がここで初めて目を覚ました時間帯はおそらく早朝。
──私が死んだのもちょうど朝焼けが綺麗な時間帯だったなあと、鮮明に覚えてる。
その神秘的な空気、煌めく空に溶け込むように死ねたことを美談だと思えばいいのかわからない。
さあこれからどうしようか、どうしたらいいんだろうか。あてもなく歩きながら改めて考えてみることにした。
縮まった身体はあまりに小さく脆そうで、箸も持て無さそうな頼りなさ。
見渡す景色はほぼ空の青、土の茶色、木の緑色の三色で構成されていて、緑豊かとか田舎や過疎地という言葉で済ませていいのか分からない自然で溢れていた。
「第一村人からは無視されちゃったし…」
前途が多難。「ここを右に○○キロ行けば××」なんて親切な看板が立てられている訳でもない。
しばらく歩くと転々と岩が転がっているのを見つけた。
大中小、大きさも配置も不規則になっているソレには苔がまとわりついている。
ヘンゼルとグレーテルのごとくその石を辿っていくと、誰かが腰かけているのを見つけた。
──黒髪のあの子だった。私を起こしてくれたあの子だ。
この場所から点在している民家を緩やかに見渡せて、ここは高い山のてっぺんというより、丘陵に近い場所にいるらしいと知る。
「あ、あのー…きみこの村…町…?の人なのかな…?」
「…」
素敵なタイミングで再会してくれた少年に声をかけると、ゆっくりとこちらを振り返ってくれた。黒い目がじっとこちらを見つめてくる。
表情も変わらず声も出さないから、何を考えているのか読めない。
「あの…もしもし…?」
「……」
「えっ無視!」
すると、思わせぶりにしておきながら彼は小さな身体をぴょんっと跳ねさせ岩から飛び降り、無言ですたすた立ち去ってしまった。
起こしてくれた時からつれないのはわかっていたけど悲しくなって硬直している私に、彼はこちらに背を向けたまま言葉を投げかけてくる。
「私は」
聞こえたのは、幼い風貌には似あわない、しんと落ち着いている声。
「この村のものでも、どこのものでもありません」
冷たく言いきって、彼はそのまま去ってしまった。
「…なんだ、違ったんだ…」
第一村人発見、これで手がかりを得られるかもと気分が上昇したのも一瞬のことで、彼も私と同じようにこの土地にゆかりもない部外者だったらしいと知らされた。
しかしでも、ノリで第一村人なんて言っていたのは私なんだけど違和感が浮き彫りになる。
「…町じゃなくてやっぱり村?」
どれだけ田舎の方にやってきてしまったんだろうなあと首をかしげた。
……いや、田舎っていうか…その前に、今どき着物を普段着にしてる人って少ないよね…
見慣れないから違和感ってだけなのか…?
彼も私も当たり前のようにまとってる和装。
その違和感の理由も、彼の言葉の意味も、私はそう時間もかからないうちに知ることになる。
短い足で集落まで歩いていき、「あのー」と通りがかった女の人に尋ね事をしようとすると、怪訝そうな顔で一歩引かれた。
え?と思っていると女の人はすぐ傍にある民家にいた夫らしき男を呼び出して、
こちらを指さしひそひそと内緒話をして少しすると、こちらへ問いかけた。
「あなた、どこの家の子?見たことないような気がするのだけど」
「ええと…どこの家の子でもありませんけど…」
死んで、目が覚めて、身体は元とは別人で、幼くて、薄汚れていて。森の中にひとりきり。恐らく親なんていないだろう。
彼女が訝しげにするのも無理はない。
…ああこれは田舎だとか過疎地どころの話じゃなかったんだなあ。
時代錯誤な規模と造りをしているこの集落なら、みんな全員の顔を覚えて交流できてるはずだ。
だから余所の子なんだと一目でわかっていたはず。確認したのは一応の形だけで、次の瞬間彼らは勢いよく敵意を剥きだしにして叫びをあげた。
石がぶつけられた瞬間走った痛みと共に、私は追いやられるような厄介者の私になったのだと自覚する。
そのまま逃げ続けても行く充てがあるはずもなく、そして小さい身体には体力もなくて、
日が暮れかけた頃また最初と同じ場所に戻り、猫のように丸まって寝た。
二度目の朝日を浴びても、現状は何も変わっていない。
──痛いほどに理解していく。現実を見ろと色んなことを突きつけられていく。
私は身体が強くない方で、でもなんとか日常生活を送れるくらいで、そこそこに生きてきた以前の■■■■ではなくて、「どこの誰でもない私」になったのだということを。
「あ、また会ったね、おはよ」
起きてから寝惚け眼でうろうろと徘徊して、やっと川辺を見つけて顔を洗っていると、同じようにしてしてやってきた彼を見つけた。
声をかけてもちらりと振り返り、また同じようにじっと見上げてくるのみ。
視線がかち合っているという訳でもないみたいで、どこか一点を見ていることに気が付いた。
「あ、これ?ちょっと色々あって」
私は頬にある傷を指でさす。昨日はなかったはずのこれが気になっているんだなとすぐに気が付く。
石を投げられましたなんて幼い子供に言う訳にもいかず、眉を下げながら言葉を濁した。
そのうち再び背を向け去っていってしまったので、ガーンとショックを受ける。
そんなに嫌いかなあ…特に何をした訳でもないのに初対面で嫌われるってほんとうに辛いなあ…
生理的に受け付けないってやつなのか…いや村の人たちはそれだけじゃないんだろうなあと顔をばしゃばしゃ洗いながら葛藤しているうちに。
「これ」
「…ん?」
「つけたらどうですか」
「え、えっ?なにこれ…いや、どうしたのこれ」
「あげます。…いらないなら返してください」
「い、いるいる、いりますいりますよっ」
隣に立ったあの子が、何か緑色のものを差し出してきた。
それは小さな葉っぱで、二、三枚小さな手のひらの上で束ね重ねられていた。
訳もわからず動揺しているうちに取り上げられそうになったので、理解しないまま奪うように受け取った。
手の中に納まったものをまじまじと見つめる。
つけたらどうですか?と言われたこれはもしかしなくてもそういう物なんだろう。
「心配してくれてありがとう」
「…別に、そんなことじゃ」
「痛かったからもらえて嬉しい。ありがとう」
「…何度も繰り返さなくていいですから」
「うん」
一枚を手で揉んで緑の汁が滲んだ頃、もう一枚の葉を蓋のようにして頬にぺたりと張り付けた。
傷に汁が染みてぴりっと痛んだけどこれは毒なんじゃなくて、良薬口に苦しと一緒なんだろう。
好意を素直に受け取るなら、これは治療のための薬草なのんだろうし。
ぷいと顔をそむけて、川の水をすくって顔を洗い出したのをまじまじ眺める。
自分よりも一回り小さい男の子だ。
土地勘があるみたい。だったらやっぱり村の子なんじゃないかと思うんだけど、本人はそうじゃないと否定してた。
集団に属さず山籠もりしてる子とか?私に優しくするのはどうしてだろう、ただの親切心か気まぐれなのかなあ。
独断で私に近づいてきて、この子が誰かに咎められないか心配になった。